ダーウィンが来た!
NHK
日曜 19:30~
長寿の動物番組である。動物番組の制作というのは、人手もギャラもいらないようだが、実際にはかなり大変で、予算もかかるだろう。何しろ動物は計算できない。使える絵が撮れるまでにどれだけの時間がかかるか、またどんな出来になるか、わからない。人間を扱うほうが、ずっと楽に違いない。
動物を取材したものは民放でもあるが、そういうわけでやはり NHK の独壇場という印象だ。現地の人々の生活、クイズなどを取り混ぜて薄める手法をとらず、あくまで動物をメインにというスタンスに立つと、番組は一見地味に見えるが、実はそれだけコストと労力がかかっているわけだ。NHK 様でなければ、とうてい撮れない絵、というものはある。
話題になったダイオウイカが記憶に新しいが、NHK がイギリス BBC と共同制作した「プラネット・アース」などのシリーズは、映像そのものの価値が滲み出ていた。画面からコストがこぼれ落ちてくる、と言うべきか。海中から大ジャンプしたシャチがアザラシを捉えるシーン、ワニの口がシカの足を挟み、時間をかけて沼へ引きずり込むシーンなど、カメラの廻ってないところでも日々、地球上でこんなことが起こっているとは、と思わざるを得なかった。
「プラネット・アース」では番組の最後に、緒形拳の案内で取材の苦労した様子が流される。それまでは人間の姿がない、というより俗世の気配がない。観る側は取材クルーのことなど念頭になく、ただ地球の有様を眺めていただけだ。
「プラネット・アース」は動物だけを撮影したものでなく、文字通り地球の姿を捉えようとしたものだが、他のどの番組よりもくっきりと動物の姿が目に焼きついている。そこにいたのは地球上の動物の姿であり、デパートの屋上にいるのでも、撮影クルーをやきもきさせているのでもなかった。
つまりは視点の問題なので、動物だけを撮るかどうか、といったことではないのだ。動物の生態を撮るということは、私たちと別世界にいるものたちの姿を捉えることで、こちら側へお客に来てもらうことではないはずだ。が、視点が低いままでいれば、私たちの日常生活の延長線上にいる彼らとしてしか捉えられない。
視点を、志を、そしてコストを高く保てば、地球にいる私たちが、地球にいる彼らをその位置関係のまま、俯瞰で視野に入れることができる。それは言うまでもなく、神の視点に近い。ダーウィンによって否定されるも、広い意味で創造主のことを思うこと以外に、動物のことを知らねばならない理由などあるだろうか。
「ダーウィンが来た!」は貴重な長寿動物番組だ。ナレーション、タイトル、分類の仕方には俗世の価値観がてんこ盛りだが、そこは「教育」の必要性からだろうか。動物番組を観る、観させるというのはたいてい子供なのだ。子供の生態をつぶさに眺めれば、これから俗世で生き延びていくのに教育が必要な動物であるに違いない。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■