カンブリア宮殿
テレビ東京
木曜22:00~
妙な言い方だが、なるべく観ないように心がけていた。面白いのはわかっている。ためになりそうなのも、重々承知している。見逃がすとオンデマンドででも観たくなる。そのコストは間違いなく経費で落ちそうな気がする。
いいことづくめで何を警戒して遠ざけるのかと言うと、自分自身のわかったつもり、な気分だ。とりわけ文学だのカルチャーだのの周辺にいる世間知らずな我々は、週刊東洋経済かなんか読んですっかり事情通の気分になり、社会派コメンテーターを気取るなんてことになりがちだ。Twitter もブログも、そういうのに溢れているが、政治経済のプロパーから見たら、さぞかし滑稽だろう。だいたい週刊東洋経済に載った時点で、裏情報でも何でもないのだ…。
実際、我が身を振り返り、舌打ちした瞬間を思っても想像はつくことだが、たとえばメディア企業が採用のときに最も嫌うのは、大学時代に広告とかメディア論とかを勉強しました、あるいはそういうサークル活動をしてました、という輩だと聞いた。知性も教養もないくせにメディア周辺をうろちょろしている半可通ほどセンスのない者はない、というのには激しくうなづける。
まあつまり、週刊東洋経済とかカンブリア宮殿の情報にびっくりして、得々と語っちゃうなんてのも、そもそも社会性が欠落している証拠に他ならない。が、ついそうなってしまうような魅力がある媒体であるのも確かだ。
メディアに関わることで言えば、カンブリア宮殿でアートディレクターの佐藤可士和をとりあげた回では、「伝わっていない前提で仕事をする」という「金言」が掲げられる。何が伝わっていないのかというと、企業の本質的な価値、ということだ。
従来の宣伝・広告は、その観点からすれば、企業の「飾り」にすぎない。飾り立てることで本質的な価値が見えなくなっている、ということはあるだろう。広告デザインをいつの頃からか、クリエイティブなどと呼ぶようになったが、おかしな話だ。企業は、彼らが企業名をお題に「自分の感性」とやらで「創作」した代物を買わされる。
企業の本質を最も把握し、体現していると言ってもいいのは経営者だけだ。わかってない社員が発注して、わかったつもりの自称クリエイターがひねり出した「イメージ」が会社を飾り立て、本質もビジョンも歪めることに絶望しつつ、経営者はそれに金を払い続けていたということか。佐藤可士和への依頼は、セブン&アイ、ユニクロ、楽天といずれも経営トップからの直接の依頼である。
宣伝とか広告、デザインに特化した自称クリエイティブにはプライドやスキルはあっても、経営者の思想を理解するだけの「知性」に欠けるということなら、存在そのものが無駄だろう。経営者が期待するのは、司会の村上龍がまとめた通り、企業本質を見出して伝える「伝道師」だからだ。しかしどんなジャンルでも、本当のクリエイティブとは、そういうものではないか…とまたしても、明日から使える何かをつかんだ気になるから怖い。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■