最後に『琴座』を取り上げたい。『琴座』は永田耕衣主宰の同人誌で、安井は昭和三十四年(一九五九年)に同人となり、耕衣の死去により平成九年(九七年)に終刊になるまで在籍した。安井が師と仰いだ俳人は耕衣ただ一人である。耕衣と高柳重信は安井にとって特別な俳人であり、秋田の書斎には耕衣の大きな扁額と、重信の写真が飾ってある。
『琴座』は合計五回安井浩司特集を組んでいる(本稿末尾の書誌データ参照)。処女句集『青年経』(昭和三十八年[一九六三年])、第三句集『中止観』(四十六年[七一年])、第四句集『阿父学』(四十九年[七十四年])、第五句集『密母集』(五十四年[七九年])、それから少し間を置いて『安井浩司全句集』(平成五年[九三年])刊行時に特集が組まれている。執筆者も多彩で、永田耕衣、金子晋、光谷揚羽、鳴戸奈菜といった『琴座』同人はもちろん、加藤郁乎、柴田三木男、須永朝彦、河原枇杷男、寺田澄史、折笠美秋、和田悟朗、夏石番矢らが安井論を寄稿している。
『阿父学』全体の発散物に、「困った魅力」を感じた。実は、私が安井浩司という俳人を意識し始めたのは、『阿父学』を古本屋で見つけて読んだときだった。何とも言えぬ奇妙な揺さぶりをかけられて、買い求めたわけである。
(夏石番矢『〈密母〉への帰着――安井浩司第五句集『密母集』について』)
昭和五十五年(一九八〇年)刊行の『琴座』『密母集』特集に掲載された夏石番矢の評論だが、安井俳句を読んだ多くの読者が同様の感覚を抱いてきただろう。若い頃から安井と交流があった作家たちは、安井の人柄なども交えて作品を読み解いている。しかしまずテキストを読んだ者は、〝これはなんだ〟と感じるのが普通だと思う。
安井俳句は前衛俳句の大きな特徴である多行形式では書かれていない。通常のいわゆる一行棒書き俳句であり、後期になるにつれて五七五定型や季語などの約束事を守るようになる。しかし明らかに普通の俳句とは違うのである。この〝困った魅力〟は全句集が刊行され、安井の仕事の全体像が見渡せるようになった現在でもあまり変わっていないと思う。
詩のジャンルでは、多くの作家が若い頃に難解な表現に魅了される。アクロバチックな修辞を使いこなすことに喜びを感じるのである。しかし四十、五十と年齢を重ねるうちに修辞的意欲が薄れてくる。〝わからん〟と思いながらその仕事を見守っていた詩人たちは、その時になって初めて心からの賞賛と批判を贈るようになる。この場合の賞賛と批判は同じ意味である。難解な修辞の壁が崩れて作家の表現主題の〝底が見えた〟から、安心して評価を定めることができるのである。残酷な言い方をすれば、その作家の可能性が尽きたので賞賛も批判もできるわけだ。たいていの前衛詩人がこの道筋を辿る。
しかし安井浩司の〝底〟はいつまでたっても見えない。安井が普通の作家なら、『椿の花いきなり数を廃棄せり』、『ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき』といった名句の方向を目指すはずなのである。そうなれば『渚で鳴る巻貝有機質は死して』、『雁よ死ぬ段畑で妹は縄使う』などの謎めいた句が生み出された理由がはっきりわかるようになる。だが安井はますます複雑な言語世界へと赴いてゆく。
なぜ安井俳句が難解なままなのかという問いへの解答は二つ措定できる。一つは未だに安井の修辞的意欲が緩んでいないことである。もう一つは安井が本当に、通常の俳人とは異なる表現主題を持っているのではないかという推測である。
安井浩司は、まだうら若い青年であるが、迅くから、自己の俳句文芸において、超関係的関係の創造、つまりカオスの創造に、苦楽の日々を責めている新奇な好漢である。
(永田耕衣『安井浩司におけるカオスの創造-青年経-のために』)
永田耕衣は安井の処女句集『青年経』の序文で、安井は『超関係的関係の創造、つまりカオスの創造に、苦楽の日々を責めている』俳人であると書いた。耕衣の〝カオスの創造〟という言葉は、その後、かなり長期間にわたって多くの安井論で引用され続けた。平明な言葉で言い換えれば、安井俳句は豊饒だが渾沌としている、あるいは読解の糸口のない混乱の中にあるということである。しかし耕衣は〝カオス〟を混乱や渾沌の意味で使ったのでない。耕衣の真意は前段の〝超関係的関係の創造〟の方に置かれている。
この題目(注-『妙所之事』)は、世阿弥の名著「花鏡」の中に出てくる。すなわち「妙とはたへなりと也。たへなると云は、かたちなきすがた也。かたちなき所妙体也。」というのが、その書き出しである。
以下かなり長く妙所之事が書かれてあるのだが、(中略)現代俳句にかぎっていうと、現代は、ほとんどこの妙所を失っているか、さもなくば、妙所まみれであるか、この二つの傾向が強いように思う。例の(中略)社会性俳句の流れを汲む人たちの俳句が前者に近く、いわゆる純粋をふり廻す人たちの俳句が後者に近いのではないかと思う。(後略)
安井浩司君は、私のいう芸術至上主義者ではないが、時にその妙所をつくさんとするのあまり、「妙所まみれ」になる傾向がある。(中略)「妙」を得るのに目的論をもたぬということは、同時に、それに溺れぬ根性を大切にする意味をもつのである。
(永田耕衣『妙所之事-安井浩司君に-』)
昭和三十八年(一九六三年)刊行の『琴座』『青年経』特集掲載の評論で、耕衣は〝カオスの創造〟を〝妙所之事〟という言葉で説明し直している。世阿弥の『かたちなき所妙体』は、古典的タームで言えば〝幽玄〟である。しかし耕衣は幽玄で思考を止めるほど甘くない。耕衣は〝妙〟に至るには『「無我」とか「無心」とかいう境地が絶対に必要』だと書いている。また鈴木大拙の言葉を引用して、既成概念を『いくらでも壊して壊して壊し尽くしたところから、なにか出てくるものを見る。それが玄の玄のまた玄で妙だ』と論じている。
つまり安井俳句は、既成概念の破壊から新たな関係性を生み出す前衛だということである。耕衣は俳句と社会の関わりを重視する社会性俳句について批判的な言葉を書いているが、一方で前衛芸術が現世的な『目的論をもたぬ』ゆえに、芸術至上主義的言語遊戯に陥りやすいと釘を刺している。芸術は作家の社会思想や意見の表現の道具ではなく、それ自体で完結していなければならない。しかしそれは無目的遊戯ではないのである。
前衛は各時代の現世を超脱した心性によって、新たな関係性を言語的に創出する芸術である。この新たな関係性が現世・現代を高度に抽象化したものであり、かつ未来の文学ヴィジョン――感覚を含めた人間精神が進むべき方向――を示唆している限りにおいて、前衛は前衛であることを許される。それを見失えば、前衛は前衛的身振りをした技法に堕落するだろうと耕衣は忠告している。
『青年経』上梓当時に、安井は表現主題を難解な修辞で包んで補強・隠蔽する作家ではなく、既存概念の破壊に立脚した新たな関係性を希求している詩人だと喝破したのは耕衣だけである。この直観の正しさに耕衣が安井の師である理由がある。もちろん安井より三回り、三十六歳も年上で、激動の大正・昭和俳壇の渦中にいた耕衣に安井俳句の微細な機微までが見えていたわけではない。しかし〝師〟の直観はいつも正しい。
私は安井浩司氏の作品を通して、氏の人生観を素直に受用することがでいない鈍根である。哲学は多分に緑色を呈し瑞々しくあると思うのに、人生観が不明に近いというのは、矛盾した受容不当の恥晒しだ。だが、この恥晒しの内に、氏の奇妙な空観のニヒリズムが鮮やかに見えてくるような気がする。それは、「俳」の精神である諧謔の裏打ちによって、「空観の見栄」を輝かす傑作たち、その何れもが帯びている快さだ。そこには、或るばあい、露悪的含羞の美が「永遠の顔」をしながら人類を風刺しているおもむきを呈する。
(永田耕衣『空観の見栄 「密母集」小感』)
『空観の見栄』は昭和五十五年(一九八〇年)発行の『琴座』『密母集』特集に発表された評論で、『琴座』に耕衣が掲載した最後の安井論である。耕衣は安井の俳句『哲学』は理解できるが『人生観』が見えてこないと不満の言葉を漏らしている。しかし耕衣は不満を安井に向けない。自分は『鈍根』であり、それが理解できないのは『受容不当の恥晒し』だと書いている。耕衣はなぜこのような『恥晒し』が起こるのかを考え始める。この思考が湧き上がってからの文章を、耕衣は恐らく勘だけで書いている。
難解な文章だが、耕衣は自己の〝鈍根・恥晒し〟を、安井文学にまだ読み解けない〝謎〟があるからではなく、哲学と一体化した人生観があまりにもあからさまに表現されているからではないかと推測している。それを耕衣は『空観のニヒリズム』と表現し、『空観の見栄』と言い直している。人生観を求めれば安井文学は〝空〟である。だから作家の肉体性を感じることができない。作品は言語表現のみの『永遠の顔』をしている。しかし素直に読めば、作品に全てが表現されているのではないか、『露悪的含羞の美が「永遠の顔」をしながら人類を風刺している』のではないかと耕衣は読み解くのである。耕衣の批評は安井の最新句集『空なる芭蕉』(平成十二年[二〇一〇年])を予感しているように思う。
永田耕衣は実に厄介な俳人だ。この一見俳句王道を邁進するかのような俳人は、いつの時代でも異端の相貌があった。戦後的な意味で未知の表現領域を開拓するアバンギャルドではないが、独自の東洋的思考によって常に俳句本道から逸れていく前衛作家でもあった。
西東三鬼は『天狼』を創刊する際に耕衣を同人に迎えている。高柳重信は『俳句評論』に特別同人待遇で耕衣を招いた。加藤郁乎中心の『Unicorn』が真っ先に寄稿を求めたのも耕衣である。神戸で小規模な同人誌『琴座』を主宰するだけで、俳壇の要職に就くことも、全国誌や新聞の投句欄撰者として全国に名を轟かすこともなかったが、伝統・前衛派のいずれの俳人たちにとっても耕衣は別格だったのである。
また耕衣はほとんど悪魔のように俳句に没頭した。自分の俳句のことしか頭になかった。耕衣の興味は今現在取りかかっている自己の新しい俳句表現に注がれていたのである。俳人論でもおかまいなく自己の興味の対象について書いた。しかし我に返るようにほんの少しだけ本題である俳人の方を振り向くと、その本質を的確に言い当てた。高柳重信が理知によって俳句の本質を認識把握したとすれば、耕衣は直観によって、前衛の必要性を含めて俳句本質を的確に理解していたと言える。
耕衣は安井俳句はヒネリが多いが、『もう一つヒネリ返すと、ヒネリは魔境を健かに脱して、(中略)正面切った分り易さを素直に呈することになるのではないか』(『空観の見栄』)とも書いている。しかし耕衣の〝ヒネリ返し〟はどうだっただろうか。私たちは耕衣晩年の作品が、恐るべき数の造語に満ちた、諧謔的だが難解なものであることを知っている。決して〝分り易さを素直に呈する〟作品ではない。
耕衣の人生観は禅的悟りの境地に置かれている。しかし諧謔的で難解な耕衣作品は、明透であるはずの悟りの境地を無化している。作品が悟りの境地を空無化しているのである。安井には耕衣のような東洋的人生観がない。しかし現実や超現実世界、滑稽や諧謔も、すべて言語として表現する安井文学は、それを成立させる求心点としての〝空〟の存在を示唆している。それは耕衣と同様、ある実体的質量を持つ〝空〟である。構造的には同じことだ。耕衣と安井は確かに師弟だと思う。
俳句が自由詩や小説と同質の〝文学〟であるとき、師弟関係は必ずしも必要ではない。しかし伝統・前衛俳句を問わず、恐るべき強固な基盤を持つ俳句文学では師弟関係はいまだ有効だと思う。ただそれは〝制度〟の問題ではない。制度を文学の要件として位置付けた時に、初めて俳句における師弟関係は許容される。ある種の俳人たちには特権的結び付きであり、外部からそれを眺める人たちには旧態依然たる恥部に映る師弟関係が、初めて文学の問題として位置付けられると思う。
鶴山裕司
■ 『琴座』昭和38年 七月号 第165号 安井浩司青年経特集 ■
* 安井浩司論は太字で表記(以下同)
・判型 A5版変型 縦21.1センチ×横15.4センチ(実寸)
・ページ数 18ページ
・奥付
琴座 七月号/昭和三十七年六月三十日印刷 昭和三十八年七月一日発行/編集兼発行人 永田軍二/印刷人 高木保二 神戸市兵庫区水木通十丁目三 印刷所 高木印刷所/兵庫県高砂局内荒井町三菱社宅本通一〇三号 光谷揚羽方 発行所 琴座俳句会 振替口座神戸二三二〇一番/誌代 一部 七十円 六ヶ月 四百二十円
【目次】
悪霊 二十三 永田耕衣
妙所之事-安井浩司君に- 永田耕衣
う゛ぁいおれっと・かーど 加藤郁乎
安井浩司について 柴田三木男
這賊集
沖までの送経 安井浩司
琴座の諸作 永田耕衣
青年経寸感 光谷揚羽
作品と人-月評(二)- 村上鬼愁
琴座集
名句をたづねて(31) 永田耕衣
後記
奥付
■ 『琴座』昭和46年 11・12月号 第256号 安井浩司*中止観*特集 ■
・判型 A5版正型 縦21.1センチ×横15センチ(実寸)
・ページ数 30ページ
・奥付
琴座 11・12月号/昭和四十六年十月三十日印刷 昭和四十六年十一月一日発行/編集兼発行人 永田軍二/印刷人 村上民二 神戸市生田区下山手五丁目二三 印刷所 創文社/兵庫県高砂市高砂町栄町中社宅三号 光谷揚羽方 発行所 琴座俳句会 振替口座神戸二三二〇一番/誌代 一部 百五十円 六ヵ月 九百円
【目次】
種 十三 永田耕衣
無日の抄 安井浩司
高山日記 安井浩司
注視観 安井浩司断片 須永朝彦
対談・「中止観」を読みつつ 三好豊一郎 三橋敏雄
這賊集
二句勘辨 橋閒石「荒拷」小感 永田耕衣
夢殿への供物 河原枇杷男
無分別行 「中止観」途中小感 永田耕衣
現在の無常 田荷軒主人
琴座の諸作 永田耕衣
琴座集
後記
奥付
■ 『琴座』昭和50年 7月号 第296号 安井浩司句集阿父学特集号 ■
・判型 A5版正型 縦21.1センチ×横15センチ(実寸)
・ページ数 30ページ
・奥付
琴座 七月号/昭和五十年六月三十日印刷 昭和五十年七月一日発行/編集兼発行人 永田軍二/印刷人 村上民二 神戸市生田区下山手五丁目二三 印刷所 創文社/兵庫県加古川市平荘町山角一三七ノ六 光谷揚羽方 発行所 琴座俳句会 振替口座神戸二三二〇一番/誌代 一部 二百円 六ヵ月 千二百円
【目次】
一休寺遊業 光谷揚羽
田荷軒殺佛 三 永田耕衣
同異抄 安井浩司
喞筒小屋の季節 寺田澄史
相聞性俚論 安井浩司句集「阿父学」への相聞 折笠美秋
もどき阿父学考 金子晋
這賊集
阿父学小感 天野芳江/前田緑/桑原次枝/光谷揚羽/谷口青天女/八島静水/寺井文子/石井峰夫
随処不作主 阿父学寸感 永田耕衣
這箇集 抄出・石井峰夫
琴座集
後記
奥付
■ 『琴座』昭和55年 4月号 第348号 安井浩司密母集諸論 ■
・判型 A5版正型 縦21.1センチ×横15センチ(実寸)
・ページ数 38ページ
・奥付
琴座 四月号/昭和五十四年三月二十五日印刷 昭和五十五年四月一日発行/編集兼発行人 永田軍二/印刷人 村上民二 神戸市灘区都通四丁目一-十三 印刷所 創文社/兵庫県加古川市平荘町山角一三七ノ六 光谷揚羽方 発行所 琴座俳句会 振替口座神戸二三二〇一番/誌代 一部 三百円 六ヵ月 千八百円
【目次】
田荷軒殺祖 二十五 永田耕衣
渾沌の様式 安井浩司『密母集』読感 和田悟朗
〈密母〉への帰着――安井浩司第五句集『密母集』について 夏石番矢
『密母集』を読んで 杉本龍史
空観の見栄 『密母集』小感 永田耕衣
二句勘辨 田荷軒主人
モチーフに見る安井浩司 『密母集』眇看 金子晋
這賊集
愛語鈔-耕衣宛-
這箇集 抄出・清水径子
生死玩弄之巻 琴座の諸作 永田耕衣
琴座集
後記
奥付
■ 『琴座』平成6年 7・8月号 第489号 安井浩司全句集特集 ■
・判型 A5版正型 縦21.1センチ×横15センチ(実寸)
・ページ数 54ページ
・奥付
琴座 七・八月号/平成六年七月二十五日印刷 平成六年八月一日発行/編集兼発行人 永田軍二/印刷人 村上哲也 神戸市灘区都通四丁目一-十三 印刷所 創文社/兵庫県加古川市平荘町山角一三七ノ六 光谷揚羽方 発行所 琴座俳句会 振替口座神戸九-二三二〇一番/誌代 一部 七百円 六ヵ月 四千二百円
【目次】
二句狼頌 田荷軒陸沈居士
原人記 一 永田耕衣
句篇 安井浩司
安井浩司俳句抄覧 選出 金子晋
安井浩司の一句 金子晋
誘惑-『安井浩司全句集』を読んで 五十嵐進
宇宙を覗くように-安井作品管見- 黒田正実
わが〈密母〉考 皆川燈
睡蓮の白に限りなく 藤原千恵
まひるの無 鳴戸奈菜
THE ETERNAL-『安井浩司全句集』後記の系譜- 柿沼裕朋
宝石の眠りが目覚める-安井浩司の近作- 山内将史
這賊集
田荷軒狼蔵集 その二十八 摘録 鳴戸奈菜
さびしい-石井峰夫管見- 楢崎充代
愛語鈔-田荷軒宛-
琴座の諸作*平成六年七・八月号 葱院集 三十一句 陸沈居士 撰出
琴座集
這箇集 抄出・皆川燈
後記
奥付
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■