結果として『Unicorn』は第四号で終刊したが、誌面を見ている限りその気配は全くない。第四号後記には新たに天王寺谷精三、青木啓泰、水島洋一の三人が同人参加したと記載されている。編集・発行人の門田は『今四号の校正刷を前にし五号以後の充実を期する気持ちが静かに拡がってくる』と未来に向けた言葉を書いている。ただこれも後記の情報だが、加藤郁乎の御母堂が亡くなり、大岡頌司は結婚にともない転居、安井浩司も東京の西日暮里から飛騨高山に転居している。
様々な事情で主要同人の身辺はざわついていたわけで、そのせいか安井と大岡は第四号に執筆していない。だがそんなことが終刊の理由ではあるまい。四号刊行後になんらかの出来事が起こり、それによって『Unicorn』グループは空中分解したのだと想像される。なんとも中途半端な終わり方だが、同人誌はそれでいいのだとも思う。
ソルボンヌ大学の自治と民主化を求めて燃え広がった一九六八年(昭和四十三年)のフランス五月革命で、〝作家学生行動委員会〟の一つ(無数の作家学生行動委員会があった)にオブザーバーとして参加していたモーリス・ブランショは、議論の際に『要するに行動委員会というのは開かれた集団であると同時に、いつ解体してもよいもので、決して永続きすることを目指す組織ではないはずだ』と発言した。
ブランショの言葉は学生主体の運動の限界を示唆したものだが〝革命〟の本質を衝いている。革命は複雑な社会情勢と人間集団が生み出した一瞬の光である。そこで垣間見えた新たな認識地平は、革命とは審級の異なる努力で実現されなければならない。革命は少しだけ従来の世界認識を変える。しかし永久革命などない。それは文学も同様である。
同人誌は自然発生的なものである。ただ中心となる作家たちは、〝誰と〟一緒に仕事をすべきかを注意深く弁別している。誰を選ぶかによって作家の能力が明らかになると言ってもよいほどだ。人間の交友関係は意外に狭いものだ。今現在、身近にいる人間の影響を強く受ける。自分の側に誰がいるのかは極めて重要なのである。それは優れた同人誌が複数の作家を世に輩出していることからもわかる。
同人誌に集う作家たちは、自分一人では為し得ない認識地平を把握しようと模索し、その糧となる刺激を求めている。そのため希求している認識が得られたとき、あるいは得られないとわかった時に同人誌は解体する。同人の喧嘩別れなど大した問題ではない。同人誌が解体した後に、文学作品で結果が残せるかどうかが重要なのである。優れた同人誌は〝永続きすることを目指す〟、仲良しグループのための相互安全保障の場として企図されていない。
その原理的理念から言えば、当初の予定通りの号数で終刊する同人誌などあり得ない。同人誌はむしろ、『Unicorn』のように唐突に空中分解すべきである。安井浩司が『『ユニコーン』とは、はっきり申せば、それは俳句の文学運動でした。この後、俳句の世界において、純粋な文学運動は一つもありません』、『後が、結果が見えていたら、文学運動にはならないんだ。『ユニコーン』を立ち上げた当時は、まだすべてが未知だったんです』(『安井浩司「俳句と書」展』公式図録兼書籍 平成二十四年[二〇一二年])と語った通りである。
どこから見ても完全でしかないと感じられるような俳句などは、黄金分割の形見分けのようで味気ない。完全なる俳句らしさには、不確実性要素の人柱を生かし切れない内攻性の上げ底や四捨五入だけが際立って見える。名句に至っては、手入れのいき過ぎた性器のつまらなさであるにすぎない。「虚に居て実をおこなふ」支考の虚実論でなくとも、写実の猪鹿蝶をこよなく揃えたがる俳句や短歌は、イカサマの愛に生きたがる半裸体の文体を骨としている。文体の骨なんかはどこの馬の骨かわからないところが、月夜の晩ばかりではないマニエリスムの燐を燃やすのだ。(中略)裸体をなおもひんむくのは、「鏡の前で生き、かつ眠らねばならない」ボードレール氏症のダンディな文体願望であるかもしれないが、いまのところ鏡の側をめくることで赤裸(〝赤裸〟に傍点)な空語症の自分を、女や十二支やネアンデルタールとして抱きかかえてゆこう。負け惜しみを「恐れず」にいう奇習のためにも、『痴愚神礼讃』氏のおだてのキャプションを借りれば、「誰にとっても自分の屁はよく匂う」ものに違いないのであった。
(加藤郁乎『文体・裸体・幽体Ⅰ』より)
加藤郁乎が『Unicorn』に発表した評論は、最初から最後までそのトーンが変わっていない。郁乎は『えくとぷらすま』(昭和三十七年[一九六二年])で行った、俳句形式解体後の新たな表現方法を模索している。しかしそれは一向に見えて来ない。一九六〇年代末の郁乎は自由詩を創作しながら批評で俳句を思考していた。詩集『荒れるや』(四十四年[六九年])は『Unicorn』刊行中に上梓されたが、その表題が当時の郁乎の心情をよく表している。
『文体・裸体・幽体Ⅰ』は第四号に発表された郁乎の評論である。多くの読者は『どこから見ても完全でしかないと感じられるような俳句などは、黄金分割の形見分けのようで味気ない。(中略)名句に至っては、手入れのいき過ぎた性器のつまらなさであるにすぎない』までをさらりと読んで、その後のセンテンスを読み澱むだろう。『完全なる俳句』や『名句』を指弾・排斥しながら、それに代わる新たな規範を提示しあぐねているからである。
郁乎の批評の文体はペダンチックである。ストレートに言えば、詩人は書き悩んでいる時、あるいは何も書くことがない時にこのような文体を使用する。郁乎は『完全なる俳句』、『名句』とは何かを明らかにしなければならない正念場でそれを衒学化している。支考の虚実論やボードレールのダンディズム、エラスムスの『痴愚神礼讃』に言及することで、自己の思考はもちろん、読者の注意をも本題から逸らしているのである。
ただ郁乎は正直な作家だ。彼は『空語症の自分を(中略)抱きかかえてゆこう』とも表現している。郁乎は昭和四十五年(一九七〇年)に第三句集『牧歌メロン』を上梓するが、その前衛性は早くも空洞化し始めている。その後の郁乎は、いかにも郁乎らしいきっぱりとしたやり方で、先が見えない『空語』表現に見切りをつけ江戸俳句の方へと回帰していく。郁乎から前衛性が失われたわけではないが、それは極端なほどの江戸俳句への耽溺として表現されていくことになるだろう。
結論めいたことを書いておくと、『Unicorn』が創刊された昭和四十三年(一九六八年)当時、高柳重信以降の前衛俳句を担える明確な力量を持っていたのは郁乎だけだった。前衛俳句は、自己の作品成果を全くといっていいほど理論化しなかった富澤赤黄男から始まる。赤黄男の『蝶墜ちて大音響の結氷期』が同時代の新興俳句よりもむしろ、詩人・安西冬衛の『てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた』や北川冬彦の『軍港を内臓してゐる』と並べて論じられるのは、赤黄男が明らかに従来の俳句とは異なる思想・技法を俳句に取り入れたからである。象徴主義自由詩からの影響である。
正岡子規の時代、自由詩はヨーロッパ詩の稚拙な翻案文学だった。他ジャンルの作家がそこから影響を受けることなどあり得ず、それどころか日本文学に定着するかどうかすら危うかった。しかし北原白秋、萩原朔太郎師弟の登場で状況は一変する。朔太郎は自由詩が、極端なほど強固な作家の自我意識によって成立する芸術であることを明確に示した。子規以降の俳句は伝統派の高浜虚子と前衛派の河東碧梧桐の二派に分裂したが、それはあくまで俳句形式(技法)内での伝統派と前衛派の対立だった。しかし赤黄男は明治維新以降に日本文学に現れた、まったく新しい言語・思想的成果を俳句に導入したのである。
この赤黄男が重信を愛弟子に選んだ。あるいは重信が赤黄男を師に選んだのである。赤黄男と重信師弟は、ギリシャ哲学におけるソクラテスとプラトンに比定できる。ソクラテスは一冊の書物も書き残さなかったが、弟子のプラトンがそれを緻密に言語理論体系化した。しかし師の啓示と弟子によるその理論化は、さらなる統合を経なければ普遍化への道を辿れない。ギリシャ哲学でその役割を担ったのはプロティノスである。日本の前衛俳句では、誰もが郁乎がその役割を担うだろうと期待した時代があったのである。
超党派の俳句前衛集団である『Unicorn』が第四号で空中分解したことは、究極を言えば郁乎が重信以降の前衛俳句のヴィジョンを提示できなかったことを意味している。一瞬だったかもしれないが、郁乎は確かに俳句の神から愛された詩人である。『球體感覺』、『えくとぷらすま』といった句集は今後も読み継がれていく名作だろう。しかしそれは、重信的前衛の限界を示唆するものであっても、さらなる前衛の地平を切り拓いてはくれなかったのである。
私たちは前衛俳句を、伝統的俳句結社のような集団を前提にしては考えない。思想が最重要だからである。それが室町時代以降綿々と続いてきた俳句文学と、赤黄男・重信の出現によって確立された前衛俳句――すなわち俳句の〝現代性〟――とを区分する敷居である。
いわゆる伝統派は、形式がアプリオリに存在することを前提として、その技法を探究することで俳句を生み出している。しかし前衛派は、俳句形式は思想を核として生成されるという前提に立つ。従って前衛俳句の表現方法は様々だ。多行であろうと一行だろうと、五七五でも破調でも、あるいは季語があってもなくても俳句文学は成立する。俳句文学は究極を言えば五七五定型に集約されるだろうが、前衛俳句作家の場合、伝統派と同じ形式だろうとそれは個々の作家の思想から生み出されている。
利休が桃山時代に至って平安末期から続いていたお茶の精神を大系化したように、江戸初期に現れた芭蕉が室町時代以来の俳句を理論化した。正岡子規が自分の俳句は蕪村から一歩進んだだけだと自己規定したように、子規の仕事は芭蕉理論を近代化したものだった。それは俳句を明治近代社会に適応させ、蘇生させたという意味で重要だが、子規以降の俳句界で明確に新たな思想を提示した作家は重信以外にいない。
大方の俳人は芭蕉と子規の思想を本尊のように護持し続けている。俳句文学の基層は把握しているかもしれないが、自由詩や小説のような〝現代性〟はない。つまりほとんどの俳句は、作品でたまさか現代的事象を表現していることはあっても、本質的な位相で現代文学の要件を満たしていないのである。
重信の死去にともない、確かに前衛俳句の集団的探究の時代は終わった。しかしその基本理念に立脚すればとりたてて悲しむべきことではない。本来、前衛俳句の新たな表現地平は個によって切り拓かれ、個によって継承されるべきものである。前衛俳句が集団になるとすれば結果論である。個として一定の理念を共有・継承する作家が増えて外部からは集団に見えるか、俳壇ルールに従い結社モドキとして集まって、現世の楽しい勢力争いに参加しただけのことである。また集団性は消滅しても、前衛俳句の理念は現在も脈々と受け継がれている。
私は郁乎以降、『Unicorn』以降の俳句界で新たな前衛俳句の可能性を明らかにした作家は、安井浩司以外には見当たらないだろうと思う。安井の〝もどき理論〟は、俳句形式は思想によって生み出されると措定している点で現代的である。また形式を生む俳句本体とでも呼ぶべき思想は、個に属するのではなく、無私的(超越的)な文化基層にあると考える点で伝統的である。安井の創作は彼の俳句理論に呼応しており、個性的だが本質的には超個性的かつ伝統的である。
安井は俳壇で孤立しているが、俳句という底の固い芸術ジャンルで真に未来のヴィジョンを切り拓く試みを始めた時に、〝それは面白い〟と即座にたくさんの理解者が集まってくる方が異様である。特に重信以降の俳句前衛は敷居が一段高くなっている。孤立は当然と覚悟すべきだろう。ただいつの時代でも、文学の新たなヴィジョンは一人の作家によってもたらされる。〝俳壇〟は違うのかもしれないが、〝文学〟とはそういうものである。
鶴山裕司
■ 『Unicorn』第4号 書誌データ ■
・判型 B5版正形 縦25.3センチ×横18.1センチ(実寸)
・ページ数 45ページ
・奥付
ユニコーン(季刊)第四号・昭和四十五年六月十五日発行・定価五〇〇円(郵送料共)・編集兼発行人門田誠一・印刷所大阪市福島区亀甲町一丁目五五亀甲センター協栄印刷工芸株式会社・発行所奈良市百楽園四丁目門田誠一ユニコーン・グループ
・同人(23人)
伊藤陸郎、馬場駿吉、徳広順一、大岡頌司、大橋嶺夫、加藤郁乎、塩原風史、吉本忠之、竹内義聿、竹内恵美、八木四日女、安井浩司、前田希代志、松林尚志、前並素文、藤吉正孝、酒井弘司、島津亮、東川紀志男、門田誠一、天王寺谷精三、青木啓泰、水島洋一
* 同人名簿はないが、「後記」に天王寺谷精三、青木啓泰、水島洋一が新たに参加したと記載されている。
■ 『Unicorn』第4号 目次 ■
【評論】
[寄稿]死とことばと沈黙 平井照敏
*
グリンプス・虚子 島津亮
近代と伝統Ⅳ-保田与重郎「芭蕉」をめぐって 大橋嶺夫
文体・裸体・幽体Ⅰ 加藤郁乎
【共同研究】
詩人について-黒田三郎論 大橋嶺夫/八木三日女/前並素文
【映画私語Ⅱ】
グラス・オニオン 島津亮
【作品】
門田誠一/竹内恵美/水島洋一/島津亮/青木啓泰/天王寺谷精三/藤吉正孝/伊藤陸郎/松林尚志/竹内義聿/八木四日女/酒井弘司/大橋嶺夫
【吾が古典】
万葉の茜 竹内恵美
異聞毛野国東歌 緑埜宮風史
寸感 門田誠一
【書評】
入沢康夫著「詩の構造についての覚書」 松林尚志
*
後記
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■