9月号では『完全保存版56ページ 特集 佐佐木幸綱 伝統と述志』が組まれています。歌人の皆さんには説明するまでもないですが幸綱さんは昭和13年(1938年)生まれの歌人・国文学者で歌誌『心の花』の主宰・編集長です。佐佐木家は弘綱・信綱・治綱・幸綱・頼綱と五世代続くお歌の家です。『心の花』は幸綱さんの祖父・信綱さんが始めた雑誌です。
信綱さんは明治5年(1872年)生まれで近現代の国文学の基礎を作った大学者です。落合直文や与謝野鉄幹らと新詩会を結成して新体詩(自由詩)の研究と実作を行った詩人でもありました。『卯の花のにおう垣根に/時鳥(ほととぎす)早も来なきて/忍音(しのびね)もらす夏は来ぬ』で始まる唱歌『夏は来ぬ』の作詞者としても有名です。特集に『伝統と述志』とあるのは幸綱さんが信綱さん以来の日本文学の伝統と前衛性を意識的に引き継いだ歌人だからです。現在一般社会で最も有名な歌人・俵万智さんの師でもあります。
サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず
見つめあう視線がつくる<今>のようになまぐさくあれつねにあなたは
なめらかな肌だったけ若草の妻ときめてたかもしれぬ掌(て)は
さらば象さらば抹香鯨たち酔いて歌えど日は高きかも
生と死とせめぎ合い寄せ合い水泡(みなわ)なす渚蹴る充実のわが馬よ
賛歌なき現代短歌、抜歯せし穴より出ずる血のにがさかな
楠(くすのき)であり続けたる千年を想いてぞゆく旅の心に
一国の詩史の折れ目に打ち込まれ青ざめて立つ柱か俺は
父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色(こんじき)の獅子とうつれよ
傘を振り雫はらえば家の奥に父祖たちか低き「おかえり」の声
幸綱さんの作品から10首選びました。『サキサキと』『見つめあう』『なめらかな』からは幸綱さんの短歌的エロスが感受できると思います。『さらば象』『生と死と』に表現されているのは強い生命力と高い志でしょう。『賛歌なき』『楠で』『一国の』では歌人として短歌文学を背負っていくのだという強い意志が感じられます。また『父として』『傘を振り』には歌と学問の家である佐佐木家を継ぐ者としての決意が表現されていると思います。通読していただければおわかりのように古典に精通している学匠歌人でありながら幸綱さんの表現はおおむね平明です。塚本邦雄や岡井隆と並ぶ前衛短歌の巨匠ですが幸綱さんの表現は現在歌壇を席巻している口語短歌を最も先取りしています。
幸綱さんは短歌の伝統と現在の状況(問題)を深く理解しておられる歌人であり文学全体についてリベラルな思想をお持ちの方ですから書いてしまいますが氏の作品が魅力的であってもそれは大局的に言えば正岡子規が指摘した新古今以来不作の短歌文学をかつての高みへと直ちに引き上げるものではありません。『一国の詩史の折れ目に打ち込まれ青ざめて立つ柱か俺は』とあるように幸綱さんは厳しい状況を重々認識しておられます。しかし幸綱文学が短歌の過去と未来を繋ぐ『柱』であることも確かです。幸綱さんの初期作に『俺の子供が欲しいなんていってたくせに! 馬鹿野郎!』があります。この思いきった口語(俗語)短歌が一時の若気の至りでなかったことは幸綱さんの作品を通読すれば簡単に確認できます。
幸綱さんには『万葉集の〈われ〉』(平成19年[2007年])という優れた評論集があります。『万葉集』の歌の発話主体(作家主体)を考察した論考です。重要な論考であり特集の三枝昻之さんのインタビューでもこの本の内容が話題にあがっています。
・・・『万葉集』の歌の中の「われ」に、作者の「われ」ではなくて、現場の発声者「われ」の歌と理解される歌がかなりある。文字が入ってきて以降、短歌も文字表記がなされるようになって、つまり「場」が流動的になって、発声される歌の場が崩れてゆく。発声する「われ」の場を越えるというか、そういうかたちで文字で書かれる短歌の「われ」が出始める。(中略)
つまり、われわれは書かれた短歌の中での「われ」という、非常に限定された「われ」で勝負をしているということだ。それでも、始発時に刻印された「われ」の詩という短歌のありようは、一四〇〇年経た現代短歌にも受け継がれている、そういう見取り図でいいと思う。
(『伝統と異端』三枝昻之氏インタビューの佐佐木幸綱氏発言)
簡単に整理すると幸綱さんは短歌を〝場の短歌〟と〝文字表記上の短歌〟に大別しておられます。短歌は初発においては特定の場所で特定の個人によって詠まれていました。それが文字で表記されるようになると場所の記憶も発声者の切迫した心情も失われてしまいます。〝文字表記上の短歌〟は『発声する「われ」の場を越える』ことができるという意味で共同体の共有表現(財産)になり得ます。だからこそ短歌は歌枕や本歌取りといった形でテキストが重層化した高度な表現に変化(進化)していくことができたのです。しかし幸綱さんはそのような〝文字表記上の短歌〟を必ずしも評価なさいません。『われわれは書かれた短歌の中での「われ」という、非常に限定された「われ」で勝負をしている』とおっしゃっています。
通常わたしたちが問題にするのは明治維新以降の〝われ=自我意識〟(いわゆる近代的自我意識)です。封建社会の枠組みが崩壊した後に現れた自由主義的(立身出世主義的)自我意識だと言ってもいい。しかし封建的自我意識も近代的自我意識もテキスト上で表現されるものである限り共同体構成員が共有可能な一つのパラダイムを形作ります。あらかじめ一定の言語・文化的枠組みを課された自我意識であるわけです。しかし幸綱さんは文字表記以前の自我意識を問うておられます。古代の原初的な自我意識にまで遡ろうとなさっています。
言うまでもなく文字を知ってしまったわたしたちが文字以前の心性を正確に認識把握するのは不可能です。もしそれを試みようとすれば折口信夫や吉本隆明が試みたように実に微妙な直観に頼るしか道はありません。学匠歌人である幸綱さんも十分その困難を認識しておられます。氏の作品に『なぜわれは〈われ〉をうたうか 分からねど追ってゆく万葉の〈われ〉今昔物語の〈われ〉』があります。『歌もまたテクストである? 昨日逝きにし歌主を措きて歌はある? ない?』という作品もあります。
『万葉の〈われ〉』と『今昔物語の〈われ〉』が並列されているように文字以前と以後の自我意識は幸綱さんの中では必ずしも厳しく対立するものではありません。どう足掻いても『歌』は文字化された『テクスト』として共有される以外に存在し得ないのです。しかしテクストを越えた『歌主』がなければ短歌は弱いものになってしまいます。幸綱さんにとって文字以前の自我意識の探索は文字化以降の自我意識歌に揺さぶりをかけその行き詰まりを打開するための方途としてあると言えます。
春はまだまだ浅ければスリムスリム那智の大瀧風に揺れ居り
老武者のエロティシズムと呼ぶべしや座れる人のふかき静かさ
また折ってしまった白墨 かがみ込むわれに教卓下の星空
穂すすきが穂が濡れて居り鈴虫が鈴虫の声が濡れて居るなり
半蔵門線に立ちつつわれも死んで居る九段下で生き返ればいい
教室に通うたび見る「鳥が入ります窓を開けないで下さい」の窓
日本が貧乏だったころの桜 象のはな子の上に写れり
俺が死ぬ日を思うこと常として追悼文はこれが六つ目
六十路ゆくわが影甲冑のなき影をみつつ思う清盛のこと
平成23年(2011年)刊の幸綱さんの最新歌集『ムーンウォーク』から特集で栗木京子、穂村弘、光森裕樹さんが3首ずつお選びになった計9首を引用させていただきました。短歌の歴史を一身に担おうとする強い意志を表明しながら幸綱さんの作品にはいわゆるエゴの発露は見当たりません。むしろ〝極私的〟と呼んでいいささやかで繊細な自我意識が表現されています。それがなんびとも否定も排除もできない文字文学の歴史を遡って文字以前の自我意識を探究しようとする幸綱さんの方法ではないでしょうか。
『また折ってしまった白墨 かがみ込むわれに教卓下の星空』に表現されているように幸綱文学ではある特定の場所の時間に存在する『われ』の自我意識はスッと広大な『星空』へと抜けていきます。述志では歌に公の意識が流れ込みます。私を歌う場合は私以外に関わりのない極私的な心情や光景が詠まれる場合が多い。極私的な自我意識(文字以前の自我意識)から共有可能な自我意識(文字化された自我意識)への往還のダイナミズムが幸綱文学の大きな特徴になっています。それは時に口語短歌とほぼ同様の平明な表現を生み出しますがその骨格となっている思想は大きく異なると思うのです。
社会全体が大きな変革期に差しかかっているときにその変化を最もラディカルに感受するのは言語・文化共同体の中で基層となる文学――すなわち詩です。日本文学には短歌・俳句・自由詩の三つの詩の形態がありますが最も古い基層を形作っているのは短歌です。そして短歌文学は現在大きく動揺し始めています。幸綱さんは先駆者ですが口語短歌が一時のブームで終わらないためにはさらなる理論的探究と意欲的な実作が求められると思います。
高嶋秋穂