短歌は俳句の母体ですが両者には大きな違いがあります。短歌・俳句に打ち込んでいる方はもうお忘れでしょうが素人が実際に作品を作ってみれば簡単に実感できます。神社仏閣を中心にした日本の観光名所にはしばしば投句箱が設置されています。上手い下手は別にして俳句なら多くの人が簡単に作ることができるわけです。これに対して投歌箱はほとんど見かけない。素人には短歌を詠むのは俳句を作るより難しいわけです。そんなところにも両者の違い――もう少し突っ込んで言えば短歌と俳句の言語的・思想的相違がはっきり表れていると思います。
日本語の単語には二音のものが多いです。ハナ(花)、クサ(草)、クモ(雲)、アメ(雨)、ウミ(海)、ヤマ(山)、カワ(川)などいくらでも挙げることができます。それらを「の」「は」「が」などの接続詞でつなぐと五音になります。複合語や観念語は三音四音が多いのでそれを接続詞でつないでも七音になります。短歌や俳句を構成する五音七音は日本語の言語構成と相性がいいわけです。しかし五音と七音の言語ブロックで構成されるとはいえ俳句より七七音十四文字多いだけで短歌を作るのは難しくなります。少なくとも作り手の方にある抵抗感が生じてしまう。そこには日本語の言語構成とはまた異なる理由があるようです。
岡野隆さんが俳句時評でが書いておられましたが短歌は密教的であり俳句は禅的であるという特徴があります。俳句は松尾芭蕉の『古池や蛙飛び込む水の音』をその表現基盤にしていますが一切説明的要素のない客観描写作品です。なんの先入観ももたず裸眼で現実を描写することが俳句文学の基本なのです。正岡子規流に言えば写生ですね。ほぼ純粋な客観描写句であるにもかかわらず『古池や』が芭蕉の禅的悟りの境地を表現した作品だと読解されてきたのは言うまでもありません。しかし短歌は俳句ほど明確な表現基盤を持っていません。素人が短歌が作りにくいと感じるのは短歌には俳句のような明確な制作基盤がない――あるいは俳句よりも遙かに緩いからだと言えます。
のびやまぬ草の上総にくいくいと褐色の月がのぼってきたり
むくむくと死者のにほひを噴きあげて生家の裏の六月の椎
庭中にはるじよをんのはな咲きあふれあはあはしかりちちははのいのち
どうぞ、その貝の生身(いきみ)はあをあをと水のにほへるガラスの皿に
遠雷にふるふ青葉の葉の間をぬるるばかりに黒揚羽(あげは)とぶ
(日高堯子『蜂蜜漬けの胡桃』より)
八月号から歌誌『かりん』編集委員の日高堯子(たかこ)さんの作品を五首引用しました。これらの作品では『くいくい』『むくむく』『あはあはし』『あをあを』というオノマトペ(擬音・擬態語表現)が使用されています。同号では平成二十二年(二〇一〇年)にお亡くなりになり産経新聞主催で短歌賞が創設された河野裕子さんの特集も組まれています。特集で伊藤一彦さんが『河野裕子のオノマトペ-「だくだく」から「すうすう」まで』という評論を書いておられる。論の中で伊藤さんは佐佐木幸綱さんの『作歌の現場』(角川選書)を引用して幸綱氏の『現代短歌には、オノマトペの用例が決して多くない』という言葉を紹介しておられます。厳密にオノマトペ表現を考察すればその通りでしょうが日高さんが作品『遠雷に』で使っておられる『ふるふ』『ぬるる』などの繰り返し表現方法なども考慮すれば短歌では俳句よりも遙かに重畳表現が多いと思われます。
死ぬことが大きな仕事と言ひゐし母自分の死の中にひとり死にゆく
子を産みしかのあかときに聞きし蟬いのち終る日にたちかえりこむ
ゆつくりと空を渡りてゆく月に月の匂ひあり向き合うて吸ふ
あの枇杷が欲しいと思う届かねば光つて見せるびは色の枇杷
白梅に光さし添ひすぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅
(河野裕子作品『特集 河野裕子のボキャブラリー』より)
河野さんの五首ですがいずれも撞着表現が使用されています。『死』で始まり『死』で終わり『月』から『月』、『枇杷』から『枇杷』、『白梅』から『白梅』と回帰します。『子を産みし』が生からの死への回帰(循環)を表現しているのは言うまでもありません。このような表現方法は短歌特有のものだと思います。俳句より十四文字多いからといって短歌で文字数制限のない小説や詩や評論のような内容を表現できるわけではありません。俳句に微妙な形で受け継がれているように短歌では表現主体が地名や物やある言葉の音韻や意味などに憑きそれを描写することで思想や心情を表現しようとします。また句読点やブランク(一字空き)を使わずに一気に詠み下すのが短歌の基本的な表現方法です。
俳句では作家の直接的な思想・感情表現が〝述志〟と呼ばれ俳句の王道である写生表現と区別されるように短歌でも作家の心情は水の流れや花の姿などに憑いて表現されることが多いわけです。ただその表現方法は俳句に比べると遙かに撞着・粘着的です。現代短歌はこの古典的な作歌方法を更新あるいは革新しようと句読点やブランクを多用しシュルレアリスム詩のようにあえて異質のイメージや観念を並列させたりしてきました。しかし短歌の基層(古層)的表現方法はそう簡単に変わらないでしょうね。短歌基層を踏まえない新たな表現は一時的な新しみで終わってしまうと思います。
短歌には確かに短歌特有の特徴があります。それを明らかにしようとすれば恐らく日本語の成立期にまで思考を遡らせなければならなくなると思います。本稿でそんな壮大な論を展開できるはずもありませんからここではそれを〝調〟と呼びたいと思います。〝ちょう〟〝しらべ〟ですね。短歌には短歌特有の調があります。俳句は形式にうるさい芸術です。名だたる俳人の多くが五七五プラス季語を守らない俳句は認めないと断言されてます。反論があることは承知していますがその前にまずそういった主張が為される理由を考えた方が実り多いでしょうね。しかし短歌で厳密に形式を守るよう主張した高名な歌人はほとんどいません。短歌では形式より重要な要素があるということです。
簡単に言えば短歌では調に乗らなくてはならないのです。正岡子規が短歌革新に乗り出した際にまず門弟の俳人らに作歌させその出来に大きな不満を洩らした文章が残っています。俳人の作る短歌は五七五と七七で断絶しており子規が考える短歌の体を成していなかったのです。形式や意味を重視しすれば短歌はゴツゴツとして読みにくいものになりがちです。実践してみれば簡単にわかると思いますが形式を意識しながら創作できるのは俳句が限度です。五七五七七を強く意識しながら短歌を作ることはできません。もう少し正確に言えば五七五七七は所与の枠組みとして常に意識されています。しかし絶対ではない。短歌で重要なのは五七五七七の枠組みの波に乗ることです。無理なく短歌の調に乗って作歌することなのです。そのため字余りなどの形式的破調は短歌ではほとんど問題になりません。形式より内在律と呼んでもいいような調が重視されるのです。
素人が俳句ならなんとか作れるのに短歌では途方にくれてしまう理由がこのあたりにあります。写生理論に示されているように俳句では単語を羅列するようにしても作品を作ることができます。しかし短歌では息の長い調べが必要になります。それに乗って頭から終わりまですらりと言葉を繰り出さなければならないのです。もちろん限られた文字数ですから複雑な表現はできません。もう少し突っ込んで言えば複雑な事柄を表現しようとする時の方法がヨーロッパ的な論理や心理描写とは異なるのです。あえて説明しようとすれば言葉によって紡がれる調が虚空にフッと消え去るときに短歌的思想は最も輝きを発すると言うことができるのではないかと思います。
わが内の脆き部分を揺り出でて鰭(ひれ)ながく泳ぐあかき金魚は
(中城ふみ子 遺稿歌集『花の原型』より)
死は少し黄色い色をしてゐしか茗荷の花は白黒(モノクロ)であつた
(河野裕子 遺稿歌集『蟬声』より)
八月号に掲載されていた中城ふみ子さんと河野裕子さんの絶唱です。二首とも死を覚悟して死の直前に詠まれた歌です。両歌とも無理なくすらりと読み出されておりかつ明暗の対比で生と死を表現しています。中城さんの『わが内の脆き部分』(暗)が乳癌を示唆しているのは言うまでもありません。それがどこかおどろおどろしい『あかき金魚』(明)のイメージに展開します。その〝赤〟は生への強い執着を表現しているかのようです。
河野さんの作品は中城さんよりもさらに奇妙な読後感を与える歌です。自然界に存在する茗荷の花は白い花弁に黄色の蘂が一般的ですから『茗荷の花は白黒』という描写は正確ではありません。しかし河野さんは実在の茗荷の花の色を観念化して歌に活かしておられる。『死』は明るい『黄色』で現実(自然界)に存在する『茗荷の花』は『白黒』だという表現は生死の逆転あるいはそれが等価であることを示唆しているのかもしれません。まがまがしいほど赤い金魚も諦念を秘めたような白黒の茗荷の花も短歌作品で表現できる思想のイマージュ化だと言えると思います。
諧謔滑稽の文学とも呼ばれるように俳句は人間の生をあからさまに表現できる文学です。これに対して短歌にはどこか死の影がつきまといます。作家の強烈な自我意識が極点に達するような瞬間にそれが無私化して一つのイマージュとなるのですがそれは空虚=死に近いわけです。もちろん俳句は禅的諦念によって無私の境地(死)を表現できるわけですが短歌には生と死のダイナミックな往還があると言ってもいいかと思います。短歌が物語文学の母胎である理由がこのあたりにあるのではないでしょうか。
この短歌に差す死の影は〝短歌文学の死〟という観念とどこかでつながっています。短歌に興味のない方は『短歌文学はすでに死んでいるのでありそれは古今・新古今以来千年近くにわたってその表現地平を超える作家と作品を輩出できていないことからも明らかである』と簡単に言うことができると思いますしそれは一面の真理だと思います。しかしもしそうであったとしてもそこから始まる文学があってもいいと思うのです。特に日本のような長い歴史を持つ国の文化にとっては。
死にもいろいろな様態があります。清潔な死もあるしどこか生臭く生の尻尾を引きずっているような死もあります。比喩的な言い方になってしまいますがもし短歌が死んでいるとしてもその死体は腐臭を放っています。この匂いが消えない限り日本文学に短歌が存在することには意義がありまた必ずしも短歌文学自体の革新・更新に寄与しないとしても日本文学になんらかの影響を与え続ける可能性があります。近現代短歌の秀作には生死の境を見た作家の絶唱が多い。一度短歌文学の死を生きてみることも作家には必要なのではないかと思うわけです。
高嶋秋穂