35歳の高校生
日本テレビ
土曜 21時~
最初に観たときは、何だか高校生たちがひどく子供っぽく思えた。中学生か、今の世の中なら、下手をすれば小学生ぐらいのメンタリティではないか、と。学校の問題と言えば、いじめだが、いじめってだいたい、高校生にもなると収まるものではないのか、と。
その高校生たちの間に、米倉涼子扮する35歳が在籍する。教師ではなく、同級生というところがミソなのだろう。実際、今の35歳は見た目も若いし、米倉涼子であればなおのこと違和感はない。名前だけはシャレで「馬場」というものだが。
実際のところ、最近の教師のメンタリティもずいぶんと幼いことが多くて、若い女教師と学生との間に区別をつけるものは制服だけだったりするから、それならいっそ年増に制服を着せて、彼らの中に放り込んだら何が起きるかを見ている方が有意義かもしれない。
そしてどうやら、この高校生たちにおいて描写されている状況は、いじめというのとは違うらしい。スクールカーストとかいうもので、もちろんいじめの背景ではあるが、いじめの被害者をも含む教室全体の序列化の光景であるようだ。
序列や差別なんて、いつの世にもあるものだと言いたいものだが、いじめが昔のいじめとは違っていたのと同様に、この序列化も以前のものとは違うらしい。我々に覚えがあるのは、学力や体力など実力差がもたらす序列だった。親の経済力というのもあるにせよ、そこには実力を磨くことの重要性、また力のない者に対する世間の風はどういうものかを学習する機会があった。
今の序列を形作るのは、「力」ではなく「人気」なのだという。一軍、二軍、三軍といった子供じみた序列も、クラスの中での人気、すなわちアピール度によるそうだ。大人なら誰でも、この「人気」という言葉には違和感を覚えるだろう。いったい、誰に対する人気を競っているのか。人気を争うメンバー自体が、クラスでの人気を決める構成員そのものなのだ。高校生にもなって、この矛盾や馬鹿馬鹿しさに気づかぬことを子供っぽく感じるのは当然だろう。
が、理屈でわかっても、どうしようもないからこその「カースト」であるということだ。結局のところ、競争を無意味、あるいは悪として排した結果、別の形での序列化が始まったに過ぎない。どうやら人は、まったく序列のない均質な状態というものが耐えられないようだ。
そもそもは同年の、似たような学力と生活環境にある者たちだけを集めるというのは、かなり不自然な集団なのではないか。序列がないということが、かえってストレスを生む。とすれば、通常の社会と同様に歳の離れた者を入れるというのは試みではある。教師という管理者でなく、無謬でもない大人と対等に向き合わざるを得ず、どのように扱うか距離を見定める経験は、確かに環境と世界観を変えるだろう。
このドラマでは残念ながら、その実験的な部分が必ずしもうまく表現できたとは言えない。米倉涼子の制服コスプレを見ものと思うかどうかで、やや爆弾発言しがちの教師、あるいは生徒たちに受け入れてもらうことを願う新人教師という役回りと、あまり変わらないように思える。
視聴者のターゲットも絞りきれてない気がするが、スクールカーストという事情を知れば興味深い。現役中高生には面映ゆいか、片腹痛いだけだろうから、PTA の啓蒙ドラマとして、もうほんの少しインパクトがあれば、と惜しまれる。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■