ラスト・シンデレラ
フジテレビ
木曜 22:00~ (放送終了)
テレビドラマの最終回というのは、難しいものだと思う。なかなかこれというものがないばかりか、ブチ壊しだというものが多い。っていうか、ドラマというのはだいたい、ラストに近づくにつれて低調になる。
大昔に観たものに、安田成美が中年、というより初老に近い男性と付き合っていて、最終回で男が倒れて亡くなったのに、まだそれを知らされないまま一歩踏み出すところで終わる、というのがあった。タイトルは忘れてしまったのに、その切ない感じは、いまだに鮮明に記憶に残っている。
反対に、今話題のクドカンの初期作品「木更津キャッツアイ」では、いつ死ぬのか、いつ死ぬのかと言われ続けてそのたびに復活し、最終回もそんな馬鹿馬鹿しさの延長で、これはこれでよかった。もっとも視聴率は低迷して放送終了後になぜかTSUTAYAで大ブレーク、巨額予算の映画二本目でやっと死に際の映像が流れ、けりがついた感が。それもそれで素晴らしかった。
あの「ビューティフルライフ」のラストも悪くなかったし、テレビドラマのオチをつけるのは、やっぱ「死」なんだろうか。映画だとそうともかぎらないのに、数ヶ月にわたって視聴者の生活とともにあるような冗長感が、「死」をもって終わらなくてはならない原因なんだろうか。
だからこういうラブストーリーはラストに苦慮するということだろう。篠原涼子演じるヒロインが、若い男(三浦春馬)と同僚(藤木直人)のどちらに転んでも、納得できないというファンがいる。しかしそのように盛り上がってくれるファンがいる、ということがテレビドラマの冥利なのだ。
実際、このドラマについてはサイトでの盛り上がりと併せて観ないと、観たことにならないかもしれない、と思うほどだ。そこでのコメントの数々、視聴者を巻き込んでの川柳募集と、こういうのは連続テレビドラマならではだろう。もはや映画と比べてどうこうというものではなく、むしろ連載漫画に近い。っていうか、昨今は連載漫画ベースのドラマだらけだが。
コメントのいくつかが指摘していた通り、ラストについては決まっていなかったか、あるいは既定の結末をひっくり返したのではないか。もしそうなら、ファンの動向を見ながらストーリーを決めてゆくという韓国ドラマの方法を踏襲したようにも見える。
しかしやはり韓国ドラマのごとき、やや強引なストーリー展開、出来事に継ぐ出来事のご都合主義がないと、最終回の弛緩はまぬかれないのかもしれない。もちろん最終回までファンを引っ張り込んだのだから、後は消化試合に過ぎないという考え方もあろうが。
テレビドラマはツカミが重要で、まず設定で視聴者を惹きつけなくてはならない。ホルモンバランスが崩れてヒゲが生えてくるようなアラフォー女性が、似合いの年頃の男と若い男の子の両方に言い寄られるのは、夢物語ではあるが、そのアラフォーのオヤジ女子っぷりが同世代の同性の共感を得て、なおかつどこか可愛らしくあればよい。
それから後は、制作側にすらどっちへ転ぶかわからない三角関係で引っ張る。そのわからなさで、数字はいけると思う。「ラスト」は決めなくてはならない正念場ではなく、頑張ったご褒美といったところだろう。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■