作品を含めたすべての記事の中で、最も鮮烈に印象に残り、また唯一記憶に残ったものは「私のベスト3」というコーナーの岡崎玲子による「海外で受ける治療」だった。
この「私のベスト3」という、必ずしも文芸誌であることを選ばないようなタイトルのコーナーに、また必ずしも文学と関係のない「ベスト3」を載せて、なおかつほとんどそれだけが印象に残る、という現在の文芸誌のあり様については、今回は語るまい。このさりげなく置かれた「私のベスト3」という古色にじんだタイトルのコーナーは、文芸誌の中でも「前衛牙城の老舗」というかなり苦しげな立場の群像で読めるものとして、なかなか味わい深いのだ。
海外で受けた治療ベスト3の最初は、イランで受けたレーシックだと言う。いったいなぜ、イランでレーシック手術を受けるはめになったのかは不明である。目を切る、と言ったら、タクシーの運転手に、「神の御加護を」と言われたそうなので、イランがレーシック大国で、すごくポピュラーな施術というわけでもなさそうだ。
日本に戻ってきて、眼科医に診せたら、「視力は完璧で、しかも傷痕が残ってない」と言われたそうである。何か、考えてしまう。何を考えるかと言うと、そのことをどう考えたらいいのかということを、考えてしまうのだ。
単にイランに名医がいた、と思えばいいのはわかっている。ただ、イランという国名にまつわる様々、あれこれと無関係に、ぽつんとしてあるその事実のたたずまい。なんとなく、いい感じである。
それからソウルでの骨気という、かなり激しいマッサージ。絶叫を繰り返したあげく、その後に出たパーティでは「別人のように顔が整っていた」というのは、どういうことか、とこれまた考える。骨気なるマッサージを受けないでいる普段の我々の顔というのは、そんなに崩れているものなのか。ソウルに行かないままでいたら、我々の顔はどこまで崩れ続けるのか。これは広告でない、群像の記事なのだと思うと、むしろ怪しげな表現であるほど、広告効果絶大である。
謎の発疹に悩み、上海で中医学の治療を受けた、というのが三つめである。問診はせず、脈診のみですべてを言い当てるというのだから、なにやら海外で評判の占い師じみている。が、針で一つずつ発疹を潰すという暴挙?に出たあげく、その後にもらった薬の成分を訊ねたら、「どうせわからない」。インフォームドコンセント全否定の恐るべき医療行為によってしかし、発疹はきれいさっぱり直ってしまったという。
そういうことはあるものだ。我々は何もかも知っているわけではない。世界はまだまだ広い、といったところが共通の読後感で、そう思わせるだけで、いい話である。だから最後の、信頼できるかどうか見極める目を養いたい、といった教訓的な決意表明は無用の一文であった。文芸誌であってもなくても無用だが、文芸誌の編集者ならば、それを削らせる見識ぐらいは持ちたい。
長岡しおり
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■