最初に大学雑誌をレビューした関係で、手に入りにくい雑誌を担当する役回りになるのかも・・・。といっても群像が書店で手に入りにくいと気づいたのは、レビューしようかと思い立ってからだ。もちろん、買おうと思えばネットで取り寄せればいい。ただ我々、レビュー子はちらりと立ち読みして、批評の見当がついたものから買う。立ち読みは申し訳ないけれど、それでレビューの俎上に上げるかどうか判断するのも、評価の一部というつもり。ま、浅学非才で論評できない、ってのもありますが。
で、最新号を眺めるだけ眺めようにも、近くの図書館にもない。すばるとか文藝とかはまだ置かれているのに、伝統三誌の一角、群像がないのは奇妙だ。図書館は借り手が減ると買わなくなる、と聞いたが、文芸誌各誌でそう差があるとは思えない。逆に、群像の読者は図書館などで借りずに買っている人が多いのか、とも考えた。
そんなこんなで、ちょっと遅れて2月号。大学図書館で見て、そのまま借りることができた。で、無事に借り出す前に、あることに気づいた。電子版が出てるんだ。
ところがその電子版にも、どういうわけかアクセスしづらい。プレ創刊号とか、創刊号のことはすごく話題になっていて、評判もよかったみたいだ。が、えらく昔の話。最新に近いものを探したが、2011年の6月号から先、どうもうまくいかない。出てない? って、大出版社が、まさか。同人雑誌じゃあるまいし。
いや、同人雑誌をバカにするつもりなんざ、ありませんよ。バカにしようにも、やっと開いた紙版の群像2月号の目次を見ると、すごく地味。一色刷りになっているせいかもしれないけど、よくも悪くも、これもまた同人誌って感じがします。文壇内同人誌。語義矛盾だけど、そんな雰囲気です。群像のホームページはデジタルだからキレイ。だけど紙の雑誌については売る気も撒く気もない、そういうのは電子版に移行させるということだと思うが、その電子版をレビューしようにも、やっぱり眺めることも、入手することも難しい。
まあ、何色刷りでも構いはしないけれど、その目次をきちんと見る。オレンジ色一色の中に大江健三郎とか蓮實重彦とか、三木卓とかのビッグネーム、もしくは知っている名前があるのは、安心感よりはちょっと妙な感じがする。やっぱり二色刷にしてください。
もっとも文壇どっぷりの人種とは違い、その縁から池を覗き込んで魚を追っているだけの読者の一人としては、その中で最近、ジャーナルとして人の口にのぼっていた記憶のある記事だの著者だのは、高橋源一郎の「日本文学盛衰史」だけである。
今回は、社会思想史におけるルソーの言説を取り上げ、そろって誤訳した訳者たちの「思い込み」から民主主義、政治について、そこから「戦後」へと思考を巡らせている。この論法だと、あらゆる社会思想史の本は「戦後文学」として読めることになるが、もちろん重要なのはそう読める、ということでも、その本をどう読んだか、でもない。「戦後文学」という概念が、あえて援用された社会思想の概念によって、総括できるのか、ということだ。また「あらすじ」に書かれているように、タカハシさんが昨今の震災を「時震」ととらえ、現在を「戦後」と重ねるならば、今、社会思想の概念として民主主義を問うことが文学とどう関わってゆくのか。もしそれが原発のことならば、一番深く関わり合うのは文学でも民主主義でもなく、官僚制度と利権の構造では、と思えるが。
いずれにせよ、この議論は来月以降に続くのだろう。楽しみにしたいが、いかんせん手に入りづらい。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■