月曜から夜ふかし
日本テレビ 月曜日 23時58分~
同じくマツコ・デラックス出演の「怒り新党」と比較されることが多い番組である。どちらも面白いと思うが、好き嫌いが分かれるようだ。外形的には「怒り新党」は三人、「月曜から」は二人のMCで進行する。
「怒り新党」は読者からのお便りで口火が切られ、「三大○○」といった教養・豆知識?的なビデオで後半が占められる、という点ではいくらか子供向けである。夏目アナウンサーの存在からしても、深夜でなくても流せる。二人の女性(一人はオカマ)に気を使っている雰囲気を出してか、有吉の毒もそこそこ、やや疲れたような表情の「付き合ってる感」も悪くはない。
それに対して「月曜から」は、二人というある「親密さ」の雰囲気の中で、言いたい放題感のある演出となっている。関ジャニ∞村上信五は、ジャニーズからの大抜擢と言える。親密さの演出は、アイドル村上にマツコがときどき思い出したように言い寄ろうとする、というお約束とあいまって深夜的な味わいを深めている。
「怒り新党」のテーマが読者からのお便りであるため、多かれ少なかれ社会性を試されるようなものであるのに対して(だから「新党」なのだろうが)、「月曜から」の話題は心底くだらなくて非常に好感が持てる。深い真理とは、宗教的ですらある高邁な思想か、もしくはこういう馬鹿馬鹿しさの中に潜んでいる。のかもしれない。
特に人口に膾炙した「埼玉貧乳問題」は、成長ホルモンや女性ホルモンと睡眠時間との関係もさることながら、それがベッドタウンとしての埼玉県と通学時間との関係とピタリと合う以上、やはりある深い真実を示しているとしか言いようがない。それがくだらないかどうかを決めるのは、もっぱら社会の受け取り方に過ぎないのだ。
加えて埼玉の県民性として、出世しない県民No.1でもある。貧乳になるほど睡眠時間を削り、勉学に励む。が、出世はしない、というのは、女性が世の中で発揮する “ 力 ” というのが今も昔も結局、“ 胸の大きさ “ に象徴されるのではないか、という示唆をも含んでいる。気がする。
「怒り新党」は好きで「月曜から」が嫌い、という視聴者は、村上信五のノリについていけない、と言うことが多い。「歳上のマツコになぜタメ口なのか」というのはしかし、この親密感の演出上、ちょっとナンセンスではないか。そもそも「ですます」や敬語は、必ずしも相手への尊敬を示す使い方をされているわけではない。とりわけ深夜のバラエティ番組などでは、それは相手との距離をとるためのものだろう。「怒り新党」といった社会派のパロディの番組で、有吉が使う敬語はそういう類いのものだ。
関西弁のなれなれしく響くテンションの高さが、特に面白顔の芸人でなく、若いアイドルの部類だから気になる、ということはあろうか。それでも全般的に、村上信五は番組コンセプトもマツコの呼吸もよく飲み込んでいると感心するが。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■