毎年恒例の250ページ近い大冊の「短歌研究年鑑2024」です。文学金魚には句誌・歌誌時評のほかに小説文芸誌時評も掲載されています。詩誌時評は開店休業中ですが僕と池上晴之さんの対話「日本の詩の原理」が連載中です。創作者の興味が自分が関わる文学ジャンルに集中するのは当然ですが優れた作品を書きたいなら他ジャンルへの目配りは必要不可欠です。
日本では文学ジャンルが官公庁の縦割り行政のように分断されがちです。しかし短歌や俳句だけが文学であるわけではなく小説・自由詩もまた然りです。特定文学ジャンルに視線が釘付けになりそれが世界の全てになってしまうのはとても危険です。他ジャンルとの比較で自己の文学ジャンルを相対化すればより的確に同時代の文学動向を認識把握できます。新たな発想の源にもなります。
とはいえ歌人以外の方は短歌研究誌の年鑑がどのような構成になっているかご存知ないと思います。簡単に説明すると「歌人名簿」「年刊歌集」「アンケート」といった定番のほかに巻頭に「「2024年」と「短歌」」という特集が組まれています。これが年鑑のメイン特集です。
特集「「2024年」と「短歌」」は二部構成ですが「2024年の短歌展望」が一年の締めくくり的特集です。「2024年の短歌展望」はさらに「2024年作品展望」と「2024年歌集歌書展望」に分かれています。「2024年作品展望」は2023年10・11月から2024年8・9月までに出版された歌誌の短歌を6人の歌人の方が概括しておられます。「2024年歌集歌書展望」の方は2023年10・11・12月から2024年7・8・9月までに出版された歌集・歌書を4人の歌人の方が総覧しておられる。一年間に発表された主な作品と歌集・歌書を総覧できるわけです。
もちろん文学の世界では一年単位で何かが大きく動くことは稀です。俵万智さんの『サラダ記念日』などエポックメーキング的歌集が出版されてもその影響がどこまで及ぶのかは数年経たないとハッキリしません。もっと言えばエポックメーキング的出来事などめったに起こらず短歌に限りませんが文学の世界は十年二十年三十年単位で何かがズルリと変わってゆくのが常です。
もう誰も覚えていないと思いますが東日本大震災後に文芸誌では盛んに「3・11以降の文学」といった特集が組まれました。「3・11以降」のテーマで単行本を出した作家の方もいらっしゃいます。しかしそれは掛け声倒れで何も変わらなかった。最大の理由は文学者がもう社会全体のオピニオンリーダーではなくなったからです。それが露わになったからには文学の社会的役割を考え直さなければなりません。文学者の声が簡単に一般の人たちの耳に届くことはもうない。
「2024年作品展望」では歌人の方々が短歌研究は元より角川短歌・短歌往来・歌壇・現代短歌などの雑誌を二ヶ月単位で精査してレジュメを書いておられます。「2024年歌集歌書展望」も同様で出版された歌集・歌書を三ヶ月単位で集めて読み批評するのは大変な仕事だと思います。ただそれをメインの仕事として捉えてはいけない。
短歌研究誌に限りませんが年鑑のような特集は十年二十年先に振り返って「ああそんなことがあったな」と確認するためにあります。いわば歌壇と歌壇以外の人たちに2024年の短歌の簡便なレジュメを残すためのボランティア的仕事です。こういった仕事をメインに考えると間違いなく歌壇が世界になってしまいます。歌壇の動向に一喜一憂する業界歌人になってしまう。ボランティア的仕事はそれはそれで軽くこなし自己の文学活動を十年二十年先まで見通して腰を据えた仕事を重ねてゆくのが理想です。そういった作家が増えればエポックメーキング的作品も増え歌壇ジャーナリズムも盛んになります。
にっぽんは秋 中東のあらたなる戦火にほへるごとき黄葉
桑原正紀「短歌往来12」
みのらざる林檎の樹より神の罪、人間の罪問はざる秋や
水原紫苑「短歌往来12」
竹でなくデイジーが根を張るやうに地下通路張り巡らせてガザ
香川ヒサ「短歌研究1」
語ろうとしてガザの火を語り得ず塾は正解を教えるところ
齋藤芳生「短歌1」
樋口智子「2024作品展望 2023・12~2024・1までの短歌綜合誌を対象とした。」
2023年10月にハマスのイスラエル奇襲攻撃があり再びイスラエル―ハマス戦争(ガザ紛争)が始まって現在まで続いています。それを反映して2023・12~2024・1月の短歌綜合誌にはガザ紛争の時事詠が増えました。
原理的なことを言えば文字は遅れの中にあります。書き文字は特にそうで瞬時の衝撃的映像・音声情報より遙かに遅れてしまう。情報化時代になりそれはますます顕著です。文字の弱点であり強みでもある〝遅れ〟をどう理解し活用するのかは大きな課題です。
俳句・自由詩・小説に比べて時事ネタに対する短歌の反応は早い。いち早くそれを文字表現しています。もちろん歌人の皆さんはインテリですからハッキリどちらかに肩入れすることは少ない。悲惨な戦争に対する戸惑い・同情・詠嘆が表現されるのが常です。人間的良心ですね。それはそれで短歌表現の大きな特徴だと思います。
火の海が遠くに見えて空港はしづけき宵の闇によどめる
大辻隆弘「歌壇3」
中央線快速に乗るこの今も震災孤立地区に雪ふる
小島ゆかり「短歌3」
あれもこれも捨ててくれ、とぞ繰り返す媼あり被災地の高揚に
黒瀬珂瀾「短歌研究3」
狭き田を誉めるが耕すかの棚田大崩れなきにひとまづ安堵す
沢口芙美「短歌研究3」
*
地球のどこかに戦争があれば夜もなき工業地帯ならんか火を噴く
馬場あき子「短歌往来2」
戦ひのさなかに桃は香りたちねむいよ大和ひかりふる午後
西田政史「現代短歌3」
ゼレンスキー氏の疲労いつしか一個人の疲労に見えてまた二月くる
米川千嘉子「短歌研究2」
じわじわと再び毒を盛らるると知ってたらうにナリヌワイ氏は
今野寿美「短歌往来2」
土井礼一郎「2024作品展望 2024・2~3までの短歌綜合誌を対象とした。」
よりにもよって2024年1月1日に能登半島地震が起こり翌2日には能登半島支援に向かう予定だった海上保安庁航空機がJALのエアバスと滑走路上で衝突・炎上するという二次災害が発生してしまいました。エアバスの乗客・乗務員全員は奇蹟的に無事でしたが海上保安庁機の方は機長を除く5人がお亡くなりになってしまった。誰も予期していなかった文字通りの〝事故〟でした。
能登半島地震と羽田空港地上衝突事故を受けて2024・2~3月の短歌綜合誌にはその時事詠が即座に掲載されています。ロシア―ウクライナ紛争もパレスチナ紛争も終結の兆しすら見えずそれに関する時事詠も多い。時間が経つと少しずつ弱者側に肩入れする歌が増えてゆく傾向がありますが基本は戸惑い・同情・詠嘆の良心詠です。こういった時事詠は2024年中にたくさん詠まれています。年を越しても詠まれ続けるでしょうね。
人間的同情や戸惑いを表現するのはとても大事なことです。しかしそこに留まっていてはずっと脊椎反射的時事詠で終わってしまう。ロシア―ウクライナ紛争に関しては大国ロシアのスラブ的救世主志向(思考)について考えなければ理解できないでしょうね。ガザ紛争はもっと残酷です。イスラエルのシオニストたちがパレスチナ人殲滅を目標にしているのは事実です。それは対立するパレスチナ側もまったく同じ。カナンの地で行われているのは二つの民族の生存権を賭けた闘いです。イスラエル建国以来80年近くに渡って双方で膨大な犠牲を出し続けている両陣営の間では一時的停戦はあっても恒久和平はもはやあり得ない。どちらかが滅びるまで続くでしょうね。
紀元前のユダ王国は350年続いて滅びました。中世には十字軍によってエルサレム王国が樹立され200年近く続きムスリム勢力に滅ぼされました。シオニストたちはその歴史を痛いほど知っています。パレスチナ人も中立を装っている周辺アラブムスリム国家も同じです。カナンの地では神の意志は数百年単位で動く。そういう土地で歴史です。それはこれからも変わらない。
時事詠は大切ですがそれだけでは文学表現で衝撃を表現しにくい時代です。歌人にとって歌(作品)が最重要なのはもちろんですが散文などを駆使して思考を深めリアルタイムに大きく遅れながら本質を表現する努力も必要な時代です。
騙し上手な順に手品師の名を並べゆく開票速報
今頃になって気づいたように言う(彼は危ない)メディア殆し
中沢直人「短歌9」
だんだんと獰猛になる河馬のごとく人心荒れて都知事選なり
生沼義朗「短歌研究8」
水上芙季「2024作品展望 2024・8~9までの短歌綜合誌を対象とした。」
2024年7月には東京都知事選がありそれもすぐに時事詠となっています。だけどまあ愚痴や皮肉としては面白いんですが寿命の短そうな歌だなぁ。ニューウェーブ短歌も盛んなのですが二ヶ月単位で短歌綜合誌を概観するとどうしても時事ネタが目についてしまいますね。切り口を変えれば別の歌が選ばれるでしょうけど。
藤原定家は息子・為家の岳父・宇都宮蓮生の依頼で『百人秀歌』を撰び贈りました。それが何者かによって改編され『小倉百人一首』になった。『小倉百人一首』の成立の秘密はさておき定家は貴人や弟子らに頼まれ様々な歌のアンソロジーを作っています。「激動のニューウェーブ短歌の一年」というお題が与えられればこれはこれで成立したでしょうね。
鶴山裕司
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