十一月だけどぽかぽか陽気だったので
『四月四日火曜日の本』は
芝生に座って絵描きとクラフトビールを飲んだ
近くのポプラは10メートルもある大木だった
例年より黄葉がうんと遅くて
てっぺんの方だけハゲていた
でも小学生の運動会の入場行進のように
行儀よく公園の端まで整列していた
「絵が売れなくてさ」
ビールを飲みほすと
絵描きはアルミ缶を紙風船みたいに握りつぶした
プシュッといい音を響かせてまたプルタブを開けた
近所の子どもたちを集めて
日曜絵画教室を開いて暮らしていた
「オレは画家じゃなくて絵描きなんだ
そこんとこ 間違えないでくれよな」
ゴクリとビールを飲むと言った
「タイムカードを押すといいよ
仕事してる月曜から日曜まで
また月曜から日曜まで」
「絵を描いてるときりがねぇ」とぼやく画家に
『四月四日火曜日の本』はアドバイスした
「するってぇとどうなる?」
「生活にメリハリが出るよ」
「いいアイディアだねぇ」
絵描きはてっぺんがハゲたポプラを見つめ
その向こうの青い空を見つめた
近所のリサイクルショップで倒産した会社の
中古のタイムカード・マシンを買おうと思った
1964年で
東京オリンピック開催の年で
しかし東京じゃなく群馬の田舎町に住んでいたので
世の中のバカ騒ぎとはまったく無縁に
わざわざ前橋市まで出かけていって
映画館でかの有名な『風と共に去りぬ』を見た
日本で初公開されてから十年以上もあとだった
しかも何度目かのリバイバル上映だった
「ヴィヴィアン・リーは美人だなぁ」とぼーっとしたが
持病の痔が痛み始めて
あの長い映画を最後まで見られなかった
続きを見ればいいものを
なぜかそれから映画雑誌ばかり読むようになり
『風と共に去りぬ』が彼女の最初のテクニカラー作品だったことを知った
大発見だった
男が古本屋になった理由はそんなところ
真面目な古本屋で
古本は絶版じゃなきゃいかんという主義を持ち
新本を仕入れると業者交換会で売ってしまい
新刊本の総合カタログを取り寄せて
復刊された本は業者交換会で売るという徹底ぶりだった
『逃げたオウムを取り戻す方法』
『永遠に眠れ冷蔵庫』
『オーバーオールのたたみ方』
これは1897年にアメリカのニューヨークで出版された稀覯本
『四月四日火曜日の本』もあった
古本屋は一日中タバコを吸い本棚にハタキをかけたが
ぼーっと映画雑誌を眺めるだけで
本棚の本は決して開かなかった
『四月四日火曜日の本』は生まれたてだったので
目に入るものをじっと見た
まばたきするのを忘れて
朝の最初の光りを
昼下がりの静かな部屋の中を飽きることなく見た
抱っこされると大人の顔が近くにあった
じっと見ても目をそらさず微笑んでくれるのは
父親か母親か
あるいは誰かの父親か母親らしき人だけだった
それ以外の大人は
たいてい曖昧に笑って目をそらしてしまう
〝汝見つめ過ぎること勿れ〟
『四月四日火曜日の本』が最初に学んだ人生訓
十三歲は大胆で有害で楽しい遊びを始める年頃だけど
『四月四日火曜日の本』はおとなしかったので
浜辺に立って水平線を見た
蜃気楼のように憧れのハワイが見え
教科書で習った赤い中国共産党が見え
紀元前217年に大噴火したヴェスヴィオス火山
の噴煙が見えるような気がした
夏だったので『四月四日火曜日の本』は
アイスキャンディを舐めながら自転車を走らせた
食べ終えた木の棒に〝当たり〟を見つけた
急いで引き返して当たりを駄菓子屋のオバサンに渡そうとしたけど
ない
口にくわえていたはずなのにない
「運に頼らず生きていかなきゃ」
『四月四日火曜日の本』が103個目に得た
ささやかな人生訓
四月四日の火曜日はだいたい24年に一度しか巡ってこないので
『四月四日火曜日の本』は
誕生日が来るたびに一気に老けこんだ
老けたといってもこれからどう年を取ってゆくのか
そっちの方が大問題だった
小学校の校庭にタイムカプセルを埋めても
よほど頑丈な密閉容器でない限り
紙はすぐに朽ちてしまう
ポンペイの町では羊皮紙は全部焼けてしまった
残ったのは壁に書かれた落書きだけ
文字は化石にならない
古文書を漁って親戚をたどってゆくと
きっと絵に行き着くに違いない
「ああだから飲んだくれの絵描きと仲良しなのか」
『四月四日火曜日の本』は思った
飲んだくれの絵描きは
ネットで群馬に謎の帝国があるという怪しげな記事を読んで
さっそく写生旅行に出かけた
ホテルや旅館で朝晩タイムカードを押した
数字の羅列が増えてゆくのが嬉しかった
草津にも伊香保温泉にも謎の帝国は存在せず
小さな町で古本屋をのぞいた
棚から『四月四日火曜日の本』を抜いて広げた
最初のページに
「この本には決して出てこない大切な人たち」と印刷されていた
「いい本でしょ」
タバコの煙を吐き出しながら古本屋の主人が言った
「ええ 僕にはタイトルと表紙と背表紙だけでじゅうぶんです」
絵描きはそっと『四月四日火曜日の本』を元に戻した
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