大学生の頃は
夏休みに実家に帰省していた
僕は八月一日生まれだから
夏の王だ
誕生日には富山市で大きな花火大会があり
高度経済成長で景気がよかった頃は
近くの岩瀬浜でも小さな花火大会が開催された
夏になっても海に行ったり
夏祭りに出かけたりすることはなくなったけど
花火を見るのは今でも大好きだ
仕事場のある団地の部屋で花火の音が聞こえると
外に飛び出してしまう
高台にある近所の駐車場から
遠くに横浜開港祭の花火が見える
夜空に最後の一発が打ち上がり
みなとみらいのビル群の灯りだけになるまで見ている
この頃は世知辛くなって
花火が一番よく見える場所に有料席が設けられているそうだが
お金を払ってでも見たい唯一のイベントだ
できれば少年の頃のように浜辺に寝そべって
硝煙の匂いを嗅ぎながら
垂直に夜空に打ち上がる花火を見ていたい
1980年代初頭にはまだネットもワープロもなくて
細々とだが手紙のやり取りがあった
実家の住所宛に女の子から手紙が届いた
付き合っていたわけではなく
同じ文学同好会だか研究会だかに所属していた子だった
部室で交わした青臭い議論の続きだった
「幽霊は存在するけど実在しない
わたしたちは生き物を殺して食べるけど
霊になって現れる生き物なんていやしない
あるエコロジストが言うように
植物にだって魂があるなら
この世は霊だらけになってしまう
幽霊が存在するのは人の心の中だけ
それは龍や天女のように存在するから絵や像になって
見えてしまうような気がするだけ
幽霊は存在するけど実在しない」
手紙をもらってやっとそんな議論をしたことを思い出した
几帳面で意志の強そうな字だった
きっと彼女には大事な議論でずっと考え続けていたのだろう
僕の方はと言えば
夏らしい手紙だなと思っただけだった
僕が子どもの頃を過ごした岩瀬町は面白い町で
遠い親戚に片腕のオジサンがいた
いつも傾いて歩いていた
てっきり戦争で腕を失ったのだと思っていたが
若い頃酔っぱらって線路で寝てしまい
電車に片腕を轢かれたのだと母親がこっそり教えてくれた
町の通りを歩いていると
昔の木枠のガラス戸を派手な音を立てて突き破って
魚屋らしいビヤ樽体型の叔父兄弟がもつれ合いながら道路に転がり出た
驚いて立ちすくんだ僕をチラリと見て
「おおユージか」と言うとそのまま血塗れで殴りあった
祖母は港町の気の強い女で
終戦直後にヒロシという甥っ子が博打にハマったとき
「ヒロシ出てこい!」と怒鳴りながら賭場に乗り込んだ
首根っこをつかんで道路に引きずり出した
賭場の男たちは黙ってヒロシが連れ出されるのを見ていたそうだ
気が強いけど祖母は病弱で
危篤になった時にヒロシさんはおいおい泣いたけど
祖母はそのあと持ち直してけっこう長生きした
祖父は僕が大学に合格したとき
「ついにカネトラ一家から大卒が出るのかぁ」と遠い目で言った
ああそうかと僕は苦笑した
商売人がこの世で一番いい仕事で
大学なんてなんのために行くんだろうと思っていた人だった
朝刊は朝六時きっかりにポストに配達された
いつも同じ灰色のジャンパーを着た男の人の姿が磨りガラスに映った
中学生の頃までリヤカーを引いて毎朝訪ねて来た
豆腐売りのお婆さんはもういなかった
朝食を終えると父も母も仕事に出かけ
家の中は静かだった
窓から差し込む陽の光で
だいたいの時間がわかった
のどかだった
上越新幹線は開通前で
ヒマだったこともあって夏は夜行の北陸本線で東京に戻った
寝台ではなく固い椅子席だった
実家にいる時は
出発と到着の時刻表ばかり見ていた
切符を買えば電車が終点まで連れて行ってくれる
僕を終点に連れてゆく
直江津まで電車は海沿いを走る
魚津あたりの浜辺で
小さな花火を打ち上げている人影が見えた
それを過ぎると列車は山の中に入ってゆく
窓の外がいちだんと暗くなる
目を凝らしてもまばらな家の灯りしか見えなくなる
手紙を受け取ったまま返事をしなかったので
四十年ぶりに君に返信するよ
僕も幽霊なんて信じちゃいない
君の意見に付け加えられることなんてほんのわずかさ
人の心の中にしか幽霊が存在しないなら
死には二種類あるだろ
本当になにもない虚無と
人の死さ
親しい人の死は生きている人の心にずっと残る
それが幽霊と言えば幽霊だろうね
でもそれもやがて
誰も覚えていない人の死と同じように
なんにもない虚無の中に消えてゆく
祖父も祖母も
瓶ビールの王冠を歯で抜いて大笑いしていた
乱暴者の叔父たちも亡くなった
母親ももういない
僕は自分の死は
すぐに虚無の中に消えてほしいと思っているけど
生きている間は彼らの記憶が心の中から消え去らない
彼らの死が
なぜかぜんぶ僕のせいだったったような気がすることもある
それは生者の傲慢よと
手紙の君は笑いそうだけど
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■