僕は宮殿のように華やかな
都内一流ホテルの大広間にいた
「あなたには縁のない世界を見てみませんか」
そう言って彼が僕をパーティに誘ってくれたのだった
「男たちは靴と腕時計しか見ません
時計はお貸ししますが
靴はサイズが合わないので
できれば最高級品を買ってください」
僕は彼の言葉に従った
靴は無理してジョンロブを購入し
腕時計は彼のパテックフィリップを借りた
「みんな混乱するでしょうね
あなたのような服では意図がわからない
わざと崩しているのか
それともただの異端者なのか」
古めかしい言葉を使って愉快そうに笑った
彼は日本では珍しい生粋のボンボンだった
幼い頃から両親は一級品しか与えなかった
オモチャも服も靴も学校や友だちもそうだった
当然グルメだった
おまけに一八〇センチを越える長身で
モデルか俳優になれそうな美男子だった
「理由は単純です
ひい爺さんも爺さんも父親も
若い頃はいい女を追いかけまわすことにしか興味がなかった
放蕩の末に美人で気立てのいい女を妻にした
だから僕のようなハンサムが生まれたんです」
珍しい薔薇や朝顔の育て方を話すように
熱もなく言った
僕は知り合いの骨董商の紹介で彼に会った
骨董商が面白半分で僕のことを詩人だと紹介しても
たいていの人は「へぇ」と気のない返事をするだけだ
しかし彼は「詩人?
生きている詩人に初めて会いました」
心底驚いた顔をした
「ご一緒に食事でもどうですか」
彼は僕を高級寿司店でもてなし
「もう少し飲みましょう」と
僕には高いのか安いのかわからない
六本木のクラブに連れていった
「彼は詩人なんだ スゴいだろう」
彼がそう言い女の子たちが曖昧に笑うたび
僕はいたたまれなかった
一刻も早く帰りたかった
ただ彼の会話術は見事だった
テーブルを囲んだ五、六人全員に気を配り
決して飽きさせなかった
ふと「詩人とはどういう存在なんですか」と聞いた
「高貴なフリした偽善者」
自分でも思いがけない言葉が口から出た
「それじゃあまるで
僕みたいじゃないですか」
彼は軽く僕の言葉のトゲをかわし
女の子の肩を抱くと
「ねえそうだろ」と耳元に囁いた
遊び慣れていた
「ここにいる人たちの多くが僕の顧客です
上場企業のお偉いさんだけじゃなく
最近ではIT企業のオーナーも多いですね」
パーティ会場を見回しながら彼は言った
彼はロンドンで美術品を扱うアート・ディラーだった
「お金持ちの多くがポートフォリオに美術を組み込みます
希少価値がある美術品はゴールドと変わりませんから
量が限られていて
価値が変動するのもゴールドと同じ
誰も本当の価値がわかっていなくて
皆が欲しがるから欲しくなるのも同じです
でもゴールドと美術品が違うのは
欲しがる人が二人か三人でいいことです」
五十五歲の若さで進行性の癌で亡くなるまで
彼は年に五、六回は仕入で日本に戻ってきた
二、三回は僕に連絡をくれ
年に一度は会った
定宿は帝国ホテルで広い部屋だった
ジョンロブは使い途がないので
彼に会うときだけ履いた
彼は僕の足元を見て嬉しそうに笑った
「あらかじめすべて持っていた者だけが
あらかじめなにも欲望しない者になれる」
口癖のようにそう言っていた
「明晰で複雑」
彼が扱う美術品の特徴だった
彼は私立の一流大学を出ると何を思ったのか
ツテを頼って美術商の従業員になった
三年働いて京都に店を出すと
二十七歲で結婚した
相手は祖父の愛人の娘で離婚して女の子が一人いた
当然両親は大反対したが押し切った
結婚騒ぎを機にロンドンに移住した
「幸せです
彼女は僕にないものすべてを持っているんです」
財布から写真を取り出して見せてくれた
女の子を真ん中に
彼と彼の妻の小さな家族が笑っていた
「あなたにピッタリの品物を見つけました」
ある時ポケットから古ぼけた小さな紙包みを取り出した
中には干からびた餅の欠片のような物が入っていた
紙包みに明治十年の明治天皇正倉院特別開封に随行した柏木貨一郎が
塵芥の中からそれを見つけたと自筆で書いていた
柏木が正倉院から物を持ち出した唯一の証拠品
「三十万円で売ります
お金はいつでもいいので
この口座に振り込んでください」
彼は銀行口座が印刷されたカードを手渡した
一度だけ彼から買った
奇妙な美術品
僕も彼も
価値があり
価値のないものを探していた
始源を探し求めていた
それは微かな記憶であり
確かな物であり
男や女の影となり
手の届かぬものとなって
やがて闇の中に消えてゆく
僕らは遠くて近い友だちだった
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