川名大さんの短期集中連載「俳人 中村苑子―自筆年譜・自伝・自己語りの修正」が始まった。俳人であり高柳重信「俳句評論」の実質的オーナーでもあった方としても知られる。平成十三年(二〇〇一年)にお亡くなりになったのでもう俳句史上の方だと言っていいだろう。苑子さんについては俳壇インサイダーではない僕の耳にもいろいろなウワサが耳に入って来る。どれも真偽不明だが川名さんの連載はそれを徹底検証したものである。
寺山修司が虚飾・虚言癖の人であったのと同様に、中村苑子も虚飾・虚言癖の人であった。寺山の自伝『誰か故郷を想はざる』(角川文庫・昭48)や、寺山はつ『母の螢』(中公文庫・平3)などに纏められた多くの虚言は、青森高校の後輩半田澤拓也の『虚人・寺山修司伝』(文藝春秋・平8)によって修正された。また、寺山を歌人としてデビューさせた「短歌研究」編集長・杉山正樹著『寺山修司・遊戯の人』(新潮社・平12)によっても、寺山の出生をはじめ、自伝的な事柄の誤りは修正されている。今回、中村苑子の各種の「自筆年譜」(「俳句空間」第23号、平5・6など)・自伝「ある女の風景」(「俳句自在」角川書店・平6)・自己語り『証言・昭和の俳句 増補新装版』(コールサック社・令3)・エッセイ集『俳句礼賛』(富士見書房・平成13)などにも、多くの誤りが纏められている。
苑子の自伝的な誤りは「出生年月日」「本名」「出生地」の虚言から始まる。
川名大さ 短期集中連載「俳人 中村苑子―自筆年譜・自伝・自己語りの修正」
「はじめに」の冒頭だが推理小説のような書き出しである。
中村苑子が「出生年月日」「本名」「出生地」からして偽っていたのは驚きだが、寺山修司に限らず実人生の軌跡を自ら改竄した作家はいる。よく知られているところでは小説家・井上光晴。娘で作家の井上荒野さんや大西巨人の著作にあるように光晴の自伝は虚言だらけだ。左翼作家としての自己像を盛り立てるための虚言ばかりではない。出身大学についてもウソをついている。井上さんの虚言癖には謎が多い。中上健次にも多少の虚言癖があったようだし最近では西村賢太の自伝も多少怪しい気配がある。
ただ寺山は歌人で演劇人だ。井上光晴は小説家である。短歌も小説も自我意識表現である。「私」の自己劇化と無縁ではない。また戯曲や小説がフィクションで成り立っているのは言うまでもない。その意味で作家の虚言は作品の延長だと捉えることもできる。
しかし俳句は非―自我意識文学だ。基本はわたしはこう思う、こう感じるの自我意識表現を可能な限り配して、花鳥風月の写生によって日本的な循環的かつ調和的世界観を表現するための文学ジャンルである。虚言による自己劇化が俳句表現のプラスになることはまずない。
苑子の自伝的な誤りには一つの型がある。それは大切に保存していた若い頃の書簡類、自分が関わった俳誌や著名俳人との関わり、著名な詩人や小説家などとの関わりについて自分の見栄えがいいように脚色することである。以下、それらについて、苑子の俳句人生に沿って時系列で、客観的事実に基づき実証的に修正していこう。
同
川名さんは「俳人 中村苑子」執筆の目的について「本稿では苑子の自伝的な誤りや不都合を暴くことや評伝を書くことを意図したものではなく、今後の苑子の評伝や作家論などに資するためにできるだけ正確な基礎資料として「自筆年譜」「自伝」「自己語り」などの誤りを修正していく」と書いておられる。
この評論に限らず川名さんの著作は緻密な資料の探査に基づく実証的なものだ。それは作家やある俳句潮流について直観把握で書かれた評論よりも遙かに役立つことがある。考える際の基礎資料になってくれるのである。
ただ川名さんは「昭和四十年代から「俳句評論」関東同人会(首都圏に住む「俳句評論」同人たち)の人々の間では、苑子の生まれた年や本名、学歴や産んだ子供の人数や長男などについての誤りが囁かれていた」とも書いておられる。川名さんは「俳句評論」同人として苑子に身近に接した人でもある。
ネット時代になって実際に会って言葉を交わさなくてもそれなりに密な交流ができるようになった。しかし間近に接して言葉を交わした経験は一種独特だ。文学者は生きて動いている姿を見ていないと文学史上の人だがほんの少しでも生きた姿に接すればその人は身近な同時代文学者になる。その意味で会う(見る)ことには意義がある。もちろんそんな経験をしても何も感じない人もいるわけだが。
川名さんは中村苑子に接することで若い頃からある種の違和感のようなものを感じておられたのだろう。川名評論の倫理として客観的実証姓を守り抜かれると思うが、同時代人の証言としての生々しい苑子評も読んでみたいと思う。刺激的な評論連載が始まった。
岡野隆
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