「短歌研究」90周年特別企画 楽歌*楽座特別篇として巻頭に水原紫苑さん染野太朗さん東直子さんによる「長歌・反歌「炎天通信旅支度」が掲載されています。こういった企画はとても面白い。刺激的でもあります。
長歌は皆さんご存知の通りです。古代歌謡で『万葉集』にたくさん収録されています。現代作では窪田空穂の『捕虜の死』がよく知られています。とってもめんどくさいことを言い出しますと『万葉』は宛字の万葉仮名で書き残されたわけでこれが本居宣長流に言って漢意なのか大和魂なのかは議論のあるところです。でもその中間が穏当なところじゃないかな。
日本は中国より遙かに文化・文明が遅れていましたがその分書き文字発生に関しては不明な点が多いにせよある程度の痕跡をたどることができます。古墳時代以前は無文字だったのは確実です。しかし当時としては強大な権力者がおりその周囲で原初的文化が存在しました。そうでなければ巨大古墳が造営されませんよね。文化先進国の朝鮮半島や中国大陸と交流があったのも確実です。
では無文字時代に人々が喜怒哀楽や神への祈りや死者の鎮魂をどう表現していたのかと言えば歌です。節づけて歌った。身近なところではアイヌを始めとする無文字文化の歌は有文字文化とは質が違います。アイヌの歌謡はユーカラですが熊送りなどの祭祀で一番いいところで歌を止めてしまったりします。歌に聴き入っていた神様が「それで続きは?」と来年も聴きに来てくださるからです。歌はどこから始めてもいつ終わってもいい。無文字文化にグルグル文などの円環模様が多いのはそのせいです。
日本の無文字文化時代に人々は延々と歌ったと考えられています。すでに日本語の特性は成立していたのでそれが五七調となったと推測されます。観念語(漢意)としての漢字がないので同じことを繰り返し似たような言葉を重ねることで心情を強調していた。今でも日本語の強調では繰り返し表現が多い。この無文字文化の痕跡が長歌に残っているわけです。『古事記』や『日本書紀』の祝詞もその一つです。ただし文字として書き留められた時代にはすでに漢字(漢意)が流入していましたから純な(限りなく純なと言うべきでしょうか)大和魂の発露ではありません。しかし長歌の原初型には止めの反歌がなかったのは間違いありません。それは文字流入後の形式です。
籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ 我こそは 告らめ 家をも名をも
『万葉』巻頭を飾る雄略天皇御歌です。日本側に同時代の雄略天皇に関する文書資料はなく『宋書』列伝に倭王武として記され稲荷山古墳出土鉄剣にワカタケル大王と刻まれている天皇です。『万葉』は勅撰集ではありませんが天皇家編纂の書であることがわかります。和歌はその始まりから天皇家と密接に関係していた。言葉を統べる者は地上を統べるわけですね。その初源が短歌。短歌は天皇家から逃れられませんが別に現天皇家という意味ではありません。それをやると問題の審級が混乱するのであくまで抽象的な日本文化の発生論として捉えた方がいい。
脱線しましたが雄略天皇御製は五七調ではありません。「籠もよ み籠持ち ふくしもよ」は三/四/五です。すごく歌いにくい。文字が増えてゆくので本当に初源的な歌かもしれません。これも余計なことですが古代のことはわからないのでこの歌は求婚の際の一般的な歌だったという説があります。しかし古代において「吾こそませ 我こそは 告らめ」と高らかに歌うことができたのは相当力のある貴人だけでしょうね。雄略かどうかは別として天皇のような高位の人の歌と考えて良いと思います。
前置きが長くなりましたが本題です。現代歌人が長歌を作ってもほとんどキャリアになりません。基本一行棒書きの短歌だけが歌壇で評価されます。まあ言ってみればお遊びです。またお遊びと割り切らなければ誰もが長歌を詠むのに尻込みしてしまうでしょうね。それでも意義を求めれば長歌というものがどういうものか理解しているのかあるいは理解する気があるのかの試金石にはなるでしょうね。
これやこのそらみつ大和 まほろばか否か知らねど ひむがしの老いたる乙女 港町横浜に棲み あかねさす紫苑と名乗り まづしかる歌詠みたるが この世なるうから失ふ いや久にちちはは離り いや遠に白犬翔けり ただ独り夢さめにける ぬばたまの夜々堪へがたく 今こそはわだつみ越えて ふらんすは巴里にゆかむと 盗人の多なる都 おそれつつ旅支度せり わらひたまふな友どち来たれ
紫苑
見沼区の 赤い夕日に かがよへる キャリーケースを 引きながら 貨物列車の 轟音の とほく去りゆく その線路沿ひ。拭へども 汗とめどなき 首筋の ほそく流るる 芝川に 白鷺をらず 日のなほ沈む。
その家の インターフォンを 押したれば 扉のひらきつつ おかへりと 母の声せり。腰深く 曲がれる母の また痩せて 声のみ高く 玄関に立つ。揚げ物の 匂ひのしたり。キッチンに 赤い顔して 焼酎を 嘗めながら立つ 父と目が合ふ。おみやげの なきことを詫び 手を洗ひ うがひぐすりに うがひして 居間に戻れば ボリュームの やたらと大き テレビにて 明日の豪雨は 予報されたり。
太朗
過去帳をゆっくりひらく
生年と没年のみその人の声が聞こえて来るような
雨粒を雨粒を飲み込み灼熱の都市の地下より出ておいで
母の私が語るとき娘の君の脊髄に同じ悲しみしたたりて
きこえてくるよきこえたよもういいよっていったよね
そして昨日の髪抜け落ちる
直子
お三人の歌人の最初の長歌です。お遊びですから優劣を言ってもしょうがないのですが水原さんの長歌がその勘所を抑えていますね。こういった共作ではプライドがありますからそれぞれ独自性を打ち出さなければならない暗黙のルールがあります。それはきちんと守られています。ただ水原さんは長歌に向いているかもと感じました。
彼女の歌は圧が高く象徴性も強い。決まれば秀歌になるのですが圧縮と象徴性が高まるとなにがなんだかわからなくなる傾向があるような(失礼)。もしかして言葉数の多い長歌で秀作が書けるかもと思った次第です。妄言多謝。
高嶋秋穂
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