U-25短歌選手権は25歲以下の歌人に限定した企画賞です。〆切日は確認できませんでしたが4月募集開始で一ヶ月かけて選考され選考会は7月3日とありますので二ヶ月くらいの公募期間だったようです。応募規定は25首。応募総数98篇で平均年齢21.2歲です。受賞者には賞状と角川短歌1年分が贈呈されます。選考委員は穂村弘さん栗木京子さん小島なおさんのお三人です。若手歌人を育成するための良い賞だと思います。
泣くときはかならずきみが先でしたトートバッグに混ざるはなびら
ゆびきりの気持ちは川によく似てて森鷗外は死んで百年
地下道にあわい耳鳴りわたしって主語はいつでも略されていて
木蓮にまぶされている昼休みわたしははやく舟になりたい
冗談で言ったことばはサイダーの匂いあとからあとから立って
これからのことを話せばしめやかに崩されていくチョコレートパフェ
ドーナツの砂糖しずかにきらめいていつかは切れるためのつながり
思い出すとき人間はうつくしい シルエットより輪郭がいい
水面でつながっている手の影をいつでもおもいだしてねじゃあね
中牟田琉那「死んで百年」優勝作品より
優勝作品は中牟田琉那さんの「死んで百年」です。いかにも若い歌人の歌ですね。まだ思春期の延長上にある繊細で淡く脆い感受性がとてもよく表現されています。ただ選考委員の先生方は「ゆびきりの気持ちは川によく似てて森鷗外は死んで百年」を意外な取合せで面白いと評価されていますがうーんよくわからない。連作の中ではむしろ浮いている歌じゃないかなぁ。
あえて評釈するなら指切りした約束は川の流れのように過ぎ去り消え去るけど森鷗外の作品は百年経ってもまだ読まれているということになるかしら。それなら「ゆびきりはながれながれて川となる鷗外文庫没後百年」くらいでよかったかも。これじゃあ説明し過ぎかもしれませんが「ゆびきりの気持ちは・・・」では説明不足じゃないかな。「よく似てて」くらいの口語的修辞を新しいともてはやしていたのでは心もとないなぁ。
もちろん詩は散文のように明瞭である必要はありません。しかし言語作品は必ず意味とイメージで構成されます。それが言語的無意識として捉えられる場合にいっけん曖昧模糊とした作品が優れた作品となるわけです。
中牟田さんの本領は「これからのことを話せばしめやかに崩されていくチョコレートパフェ」から「水面でつながっている手の影をいつでもおもいだしてねじゃあね」の歌の方に発揮されているように思います。孤独感ですね。孤独への意志や志向かな。しかし歌には不在ですが確実に〝相手〟がいる歌なのでこういった表現になる。ここから右に行くか左に行くかでしょうね。
僕といういっさいがっさいほうりこんでこたつが砦になる瞬間
じゅうたんをしっかりと見てほつれてる糸を大事にそよがせていて
ちいさな願いを持っている だれかに聞いてほしかった 石ころは寂しさの中でも静かだった
飛行機はみんな楽しそうにしてるものあれは浮かんでいるんだ
君のこと、僕はあんまり知らないと言ったら「だいじょうぶ」って何がだいじょうぶ
付き合うという一言で象さんが月にさびしそうな目をやった、春
放物を描くまなざしはやさしいシュークリームみたいにやさしい ほら
花びらの好きでした そして夜でした きれいにひらかれた額です
幸せだよと言ったあなたをしろくして大切にするこだまです
永井貴志「たそがれのいじわる」準優勝作品より
永井さんの「たそがれのいじわる」は一種の恋愛歌です。ただ「飛行機はみんな楽しそうにしてるものあれは浮かんでいるんだ」までの冒頭五首は恋愛とは無関係の歌です。「あれは浮かんでいるんだ」はあらかじめ恋愛幻想を相対化している歌とも読めますね。地に足がついていない。
恋愛歌中心ですから中牟田さんの作品とは違い明確に相手がいるわけですがその気配が薄い。「付き合うという一言で象さんが月にさびしそうな目をやった、春」にあるようにどこか終わりを予感した寂しさが漂います。相手がいるのにその中核に食い込めない――「君のこと、僕はあんまり知らないと言ったら「だいじょうぶ」って何がだいじょうぶ」――のは中牟田さんと同じです。
文学表現は相対的なものです。たとえばの話ですが自身の恋愛を小説で表現しなくてはならないとすると「たそがれのいじわる」のような淡い表現はできません。最低限であろうと自己と他者(恋人)の内面に食い込まなければならなくなります。ではそんな淡い表現が短歌独自の表現なのでしょうか。そうでもありそうでもないですね。時代が違えば異なる短歌表現の形を取ったはず。
何が言いたいのかと言うとニューウェーブ短歌の技法がマンネリ化している気配があります。技法的にも意味内容的にもそう。決定的な感情や思想を表現せず茫漠とした雰囲気で歌の身体を大きく見せる手法ですね。含みを残すのですが空虚なのが透けて見える。大変申し訳ないのですが受賞作を含め掲載されたお作品すべてに言えることです。横並び。無理をした気配がない。もう少し正確に言うとニューウェーブ短歌の技法の延長線上で自己表現を目指した無理くらいしか作品の圧が感じられない。
もちろん若手歌人をチア―アップするための賞なのですからまず手近な模倣から始めてそれを完璧にというのは一つの道筋です。でも受賞作や佳作のような作品がズラリと並んだのだとするとちょっと心配になりますね。
高嶋秋穂
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