どの文芸誌でも新年号は力が入るものです。ただ力が入ると言っても業界にはそこはかとなく序列がある。今現在優れた仕事をしているかどうかには関係なく過去の実績によって序列は形作られます。敬意を表するのは良いことですがそれが新年号の意気込みを削ぐこともあります。
短歌研究の新年号は序列通りに編集されているのですがとても良い出来映えになっています。大家中堅若手がうまく組み合わさっている。そう感じさせることからも現在の短歌界の勢いが感じられます。一言で言うと幅が広い。歌風が違えば反発を抱くこともあると思いますが句誌や詩誌のように似たような作品が並ぶと面白くない。雑誌は雑ですから坩堝を感じさせる時代が良い時代です。
木の思ひ怖ろしきまでまつかなる葉にありただに散るのみなれど
太陽がほしくてことし目いつぱい伸びし榠樝はみのらざりけり
今朝なにを食べたか忘れ昼忘れ風止んで死の谷のごと静かな夕べ
危機感はあれど倦怠感ふかき晩年にしてほろびの香する
木の葉落ちて静かになりし木のもとに野球のボール転がりてをり
眠つても眠つても眠いと歎きゐし亡き人の秋わが秋となる
冬枯れの木々瞑想に入るなんて嘘だらう視野ひらけ世界が見えて
母の記憶なけれど丹波黒豆は莢ながら茹でぬありがたきかな
馬場あき子「木々の沈黙」三十首より
巻頭は馬場あき子さんです。九十代の半ばにおなりですから死を強く意識する連作になっています。それがとても良い。年を取れば必ず気力体力が衰えます。文学者の場合それは書けなくなることと同義です。しかし馬場さんは大量の短歌をスラリと詠む。すごいことです。
馬場短歌には調べの美しさがあります。五七五七七の短歌の調に乗って世界が次々に分節表現されてゆく。「木の葉落ちて静かになりし木のもとに野球のボール転がりてをり」まで到るとほとんど無私の写生歌です。しかしそこから「眠つても眠つても眠いと歎きゐし亡き人の秋わが秋となる」と現実が重層化する。「母の記憶なけれど丹波黒豆は莢ながら茹でぬありがたきかな」と過去に飛ぶ。自在です。
金子兜太さんは『私はどうも死ぬ気がしない』という本を書き残しました。揶揄しているわけではないのですがそれでもお亡くなりになった。兜太の場合「死ぬ気がしない」というのは彼の俳句へのスタンスでした。俳句は死に近い。芭蕉「古池」にしてもあれは誰が詠んでもいいような句です。「古池」解釈は膨大ですがその中にはあの世(冥界)からの声というものもある。兜太はそれに抗った。
よく眠る夢の枯野が青むまで
兜太らしい句です。「枯野」はもちろん芭蕉辞世の句を踏まえている。それが「青む」まで芽吹くまで眠ってやろうという意味になる。もの凄く乱暴なことを言えば自我意識にとっての死の芸術である俳句を生臭く生きたのが兜太文学でした。ただ兜太のような俳人の方が例外で俳人はおしなべて生きながら死んでいるような世界を詠むのを最上とします。
翻って短歌はどうでしょう。これも乱暴な言い方をすれば短歌では死ねない。絶唱であっても死にそうで死なない自己しか歌えない。業平の「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを」から変わっていないのです。死に近いようで死から最も遠いのが短歌文学だと思います。馬場さんは大晩年の全盛期に入ったのかもしれません。
誰からも頼まれなくて書くという悦び「愛の不時着ノート」
何度でも見るドラマありあの人が元気でいるか確かめたくて
親孝行できなかったと泣くヒロイン明日は母に電話をしよう
ファイトよりちょっと可愛いファインティンが気に入っている今日もファインティン!
俵万智「ファインティン」三十首より
俵さんの「ファインティン」は韓国ドラマを題材にしているようです。詳しくないのでよくわかりませんが。冒頭句は「誰からも頼まれなくて書くという悦び「愛の不時着ノート」」で俵さんは楽しみとして「愛の不時着ノート」を書いておられるようです。「誰からも頼まれなくて書くという悦び」はいかにも俵さんです。
言うまでもなく俵さんは実質的な口語短歌の創始者です。俵さんと同時に穂村弘さんが登場して彼が今歌壇を席捲しているニューウェーブ短歌の創始者になりました。文学において何かを新たに始めた作家は特権的な位置を占めます。短歌界においては対外的スターが俵さんで歌壇内のすでに重鎮が穂村さんではないでしょうか。それは当然のことだと思います。彼らは決定的に新しいことを為した。
質は違いますがお二人に共通するのは〝肯定〟です。俵さんの肯定は生に属し穂村さんの場合は過去の幼年時代に属しているように思います。いずれにせよ生の苦悩を歌うことが多かった短歌で初めて力強く肯定を打ち出した作家たちです。
ただ俵さんの骨格は本質的に古典的です。時間がまだありあまっているという感じの三十首連作ですがもっと年をお取りになればあっさり年齢相応の歌に変わると思います。その場合でも肯定は維持なさりそうです。これは意図してやろうとしてもなかなかできないでしょうね。得難い歌人です。
野分ゆき蝶かへり來るこのやうなる朝に死にたし短き夏よ
水晶の短劍となり五千年待ちつづけたり言の葉の鞘
痩せ痩せて秋のひよどり來たりけり憎惡は汝を美しくせり
くれなゐの荻に黄蝶がとまりけり神は死すともまなこ殘らむ
絕對の偶然あれば賭けむとす死の赤玉は美しからず
ありがたうとさやうならのあはひ何者にも摘まるることなき薔薇咲かせたし
空色のヒュビリス・傲り、破滅へとわれをみちびく勿忘草や
水原紫苑「ヒュブリス」三十首より
お三人目は水原紫苑さん。正直なところ相変わらず何を詠っておられるのか今ひとつよくわかりません。しかし魅力的な表現です。冒頭歌は「野分ゆき蝶かへり來るこのやうなる朝に死にたし短き夏よ」ですが自殺願望の歌ではないですね。憤死だろうという気配です。何かに恐ろしく怒っている。それが伝わって来ます。
「絕對の偶然あれば賭けむとす死の赤玉は美しからず」「ありがたうとさやうならのあはひ何者にも摘まるることなき薔薇咲かせたし」の二首は傑作だと思います。「赤玉」「薔薇」と赤のイメージの連続ですがこれは象徴の薔薇でしょうね。この作家は象徴の城を言語的に構築したいのかもしれない。それが可能なら死んでもいいという声が聞こえて来そうです。伝統短歌ともニューウェーブ短歌とも違う独自の表現です。
今号には水原さんの師である春日井健さんの最後の講演も収録されています。
大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき
『未青年』(春日井健第一歌集)から二首ほどと思うその二首のうちへやはりこの一首を選んでしまいました。どうして十九歳のとき、三島が三十三歳のとき、私は歌集の巻頭にこの歌を置いたのでしょう。(中略)巻頭歌には叙景歌がいいだろう、それも歌柄の大きいものにしよう。夕方には一日君臨していた日輪が忽然と没する。余映のむらさきが空を覆う。古典和歌をはじめおびただしい夕暮色を加えよう。まったくの偶然で無邪気に採った歌でした。それが時に辛い苦い思いを誘うことにもなるものですね。
春日井健 講演「三島由紀夫と私と短歌」
「大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき」を読むとああ水原さんは春日井さんの弟子なんだなと思います。「斬首」がありますから「大空の」歌も単純な叙景歌ではない。一種の象徴歌だと思います。象徴詩は過去のすべての詩的営為を一手に引き受ける無謀な詩作法でもありました。その無謀さを水原さんに感じます。サンボリストは誰もが苦しむ。彼女もまた得難い歌人です。
高嶋秋穂
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