一.タルク
毎年夏になると、決まって思い出せないことがある。去年はどのくらい暑かったか。これが面白いほど出てこない。確かに記憶はある。「今年は冷夏じゃない?」と自分に言い聞かせながら、人に尋ねたはずだ。でもそれが去年かどうかが分からない。気付けば夏の記憶の更新も数十回目。冷夏の記憶はどこかに埋没しているらしい。多分サルベージ不可能。
で、今年は暑い。しかも早くから暑い。猛暑の前倒し、要らないんだけどな。ではその分早めに秋になるかというと、きっとそうではない。当てずっぽうだけど、悪い予感は当たりがち。
エアコンを点けても室温はなかなか下がらない。水道から出る水はお湯並みに温かく、トイレは罰ゲーム並みに暑い。ポストやコンビニへは早朝六時台に出かけるが、一歩外へ踏み出した瞬間にもわっと熱気に包まれる。数年前に「パキスタンで連日気温50度以上」というニュースを聞いたが、他人事と決めつけず「なくはない」くらいに受け止めておこう。
……以上の主張からご察しのように、暑さにはかなり弱い。本当、苦手だ。寒い方が百倍良い。なので毎年夏になると呑みに行く回数、というか外出する回数が減る。だからという訳ではないが、ちょっと過去を振り返り、暑かった店を思い出してみたい。マイナス情報と捉える人が多いことを信じ/案じ、今回は細かな地域名もシークレット。
都内の立飲み屋「S」は、まだオープンして数ヶ月。よく行く店の斜向かいなので、気にはなっていた。なのに入らない理由は「なんとなく」。意外とこのパターンは多い。そんな店につい先日、ようやく入ってみた。理由はやはり「なんとなく」。ブルース・リー風に言うなら「ドント・シンク、フィール」。強いて挙げるなら、開けっ放しのドアが涼しげだったから。さて、と入店してみると……暑い。内心慌てたが、もう後の祭り。ひとり店番をするオネエサンに「いらっしゃいませ」と声をかけられてしまった。こうなったらままよ、と腹を括ってチューハイ、マカロニサラダをオーダー。少しでも涼しい場所を見つけようとキョロキョロしたが、目に入ったものは動いていないエアコンと全開の窓。どうやらこの暑さはミステイクではなく、意図されたものだったらしいーー。嗚呼、大誤算。無論、初めての店で暑いだ寒いだ騒いだりはしない。十分以内に出ようと決め、チューハイに口をつける。マカサラを半分食べたタイミングで、慌てていない風を装いチューハイおかわり。これ、私なりの高楊枝。但し何の為の見栄かは分からない。結局八分ちょっとで店を出て、斜向かいの馴染みの店で涼を取る羽目に。「ドント・シンク」を気取るにはどうやら暑すぎたらしい。
スティーリー・ダンのフォロワーをチェックしていた時期、一番のお気に入りはモンキー・ハウスだったが、最近再びよく聴いているのはタルク。セッション・ミュージシャン二人からなるユニットfromロンドン。きっかけは未発表曲のリリースだった。それもミシェル・ルグランのカバー。更に曲は「ディ・グ・ディン・ディン」(数年前に整髪料のCMに使われた人気曲)。これはカタいな、と予想しつつ実際に聴いてみるとそれ以上の仕上がり。数年前、彼等のアルバムを最初に聴いた時は、ダンサブル度数の強さがスティーリー・ダンのイメージをオーバーしていると感じたが、今回は嬉しい誤算。ご褒美みたいなハプニング。
【 De Gui Ding / Talc 】
二.アイザック・ヘイズ
暑かった店、で真っ先に思い浮かぶのは神奈川県内のとある角打ち。実際は店舗とスペースが別になっていたので殆ど立飲み。数年前、夕方過ぎに訪れると、あまり広くないスペースに先客が十名以上。ドアを開けた瞬間、熱風が顔に直撃。あまりの衝撃に思わず笑ってしまった。そのまま缶チューハイをいただき、何とかスペースを確保したところで、既に全身汗まみれ。暑いというか暑苦しい。これサウナじゃん、と再び笑ってしまった。多分あれは自暴自棄のスマイル。しかもそういう時に限って、隣り合わせたオジサンが話し好き。「初めてかい?」に始まり、最後は「近所に立飲み、いくつかあるけどさ、店出て右の方の店はやめときな。客のガラ、悪すぎるから」。これぞ灼熱地獄で仏。ぼんやりした頭で店を出て、とりあえず左を目指した。
暑苦しい音楽、といって浮かぶのはソウルフルな歌い手。JB、欧陽菲菲、トム・ジョーンズ、番外編で勝新。でも実際のところ、意外とキレが良くてクールだったりする。そんな中、自信を持って推薦したいのは、「黒いモーゼ」を自称するアイザック・ヘイズ。スローで長尺なトラックに乗った、彼のヘヴィーな歌声&サウンドはもわっと耳にまとわりつく。これもまたファンキー。冷房が効いた部屋で是非一度お試しあれ。
【 The Look Of Love / Isaac Hayes 】
三.ペレス・プラード
稀に店内の暑さを忘れさせてくれる店がある。銘店と称されていた都内の居酒屋。初めて訪れた時、既に創業九十年以上。夏の午後、店内には扇風機しかなく、外と全く変わらぬ暑さ。でも、その雰囲気とおもてなしの素晴らしさに気持ちが向き続け、あまり暑さは気にならなかった。その後も何度かお邪魔したが、少し前に残念ながら閉店。その後、一度だけ訪れて趣きのある外観をしっかりと拝ませていただいた。
単純な刷り込みと言われればそれまでだが、やはりラテン音楽には「夏」や「汗」を感じてしまう。中でもマンボに関しては、なぜか「ご陽気」なイメージも追加されていたが、そんな勝手な思い込みを覆してくれたアルバムがある。マンボの王様、ペレス・プラードによる『ハバナ午前3時』(‘56)。故郷キューバの歓楽街ハバナの眠らぬ夜に想いを馳せたという歴史的名盤。楽器の音色、そしてあの掛け声の野蛮さと、それを暴走させない端正かつ趣きのある旋律。これなら踊っている最中、少しくらい汗ばんだって気にならない。
【 La Faraona / Perez Prado 】
寅間心閑
■ タルクのCD ■
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