川名大さんの連載「昭和俳句史―前衛俳句~昭和の終焉―」第10回「前衛俳句の勃興(昭和三十年代前半⑨)」は「高柳重信と金子兜太の暗喩方法論および暗喩作品の対比」。いよいよ真打ち登場かと思ったら、実に短い4ページ掲載。ん、重信・兜太はこれで終わりなのかな。緻密な川名さんらしくないなぁ。もしかすると角川俳句さんの前衛俳句嫌いが出て、お後は単行本でお好きにということかもしれません。知らんけど。
戦後の前衛俳句をどう捉えるのかはアプローチ方法がいくつかある。ただ焼跡からの復興、そして高度経済成長に至る向日的な社会動向の中で、俳句がより外向的になり様々な刺激を取り入れて従来にない形で表現の幅を広げようとした文学動向だったのは確かである。その代表が金子兜太と高柳重信である。
新たな表現を探求したという意味で兜太と重信にはわかりやすい共通点がある。強い自我意識(作家性)を持つ俳人たちだった。兜太は結社誌「海程」、重信は同人誌「俳句評論」の実質的主宰だった。同時代の俳人たちの中でもとりわけ気位が高く、口うるさい門弟ら(広い意味で)をまとめあげるだけの力量とカリスマ性を兼ね備えていた。
違いを言えば兜太は楸邨門であり伝統的な俳句形式の中で表現の幅を広げようとした。これに対して重信は俳句で初めて俳人の強い自我意識を前面に押し出し、モダニズムなどの外国文学から多くを学んだ新興俳句俳人、富澤赤黄男を師と仰いだ。新興俳句的な新奇な表現に寛容だったわけで、多行俳句に代表される新形式をも積極的に取り入れた。前衛が未踏の表現領域を求める運動だとすれば重信の方がより前衛的だった。
兜太、重信のどちらが優れていたのかというセクショナリズム的議論は無意味だが、俳壇内では兜太、俳壇外では重信の方が評価が高い傾向がある。重信が俳壇外の様々な文学動向を積極的に取り入れたからである。対する兜太が俳壇内で評価が高いのは、重信よりもより俳句に大きな影響を与えたことを示唆している。ただそれは相変わらずわかりにくい。
俳人たちは俳句インサイダーに向けて盛んに俳句の魅力を説く。角川俳句を読んでいても「俳句は世界で一番短く日本独自の素晴らしい詩で」とお決まりの俳句を寿ぐ言葉が冠詞のように並んでいる。ではそれを俳壇外の読者にわかりやすく説明できるのかというと、できない。「まあ固いこと言わずに俳句を詠んでみなさい、そしたらわかるから」といった勧誘に終始するのがほとんどである。
それに対して重信は、俳句を「俳句形式」と呼んで相対化して捉え論じた。厳密ではないが重信文学を通して俳句とは何かを理解した文学者は多い。重信の大きな功績である。で、川名さんの暗喩論ですね。
かなしきかな性病院の煙突 鈴木六林男
呼び名欲し吾が前にたつ夜の娼婦 佐藤鬼房
川名さんの「昭和俳句史」には兜太・重信の前衛俳句に隠れて見過ごされがちな「戦後俳句」の動向を捉えることも含まれる。六林男と鬼房の句は世相が大混乱していた戦後を強く想起させる。現実社会に食い込む質感を持っているという意味で戦後俳句である。「かなしきかな」「呼び名欲し」が俳人の個では如何ともしがたい暗い世相を喚起している。
ただこれらの句は基本的に写生句で「リアリズムの句」だと川名さんは論じておられる。ほんの一時期だが戦後には世相が文学作品を生み出す時期があった。漠然とであれ誰もが感じていた不安や苛立ちに食い込む言語表現が名句、秀句として残っている。それはそれで素晴らしい遺産なのだが、世相が安定し人々の興味が拡散するにつれていわゆる戦後俳句は衰退していった。写生的リアリズムを表現基盤としていれば当然そうなる。
高柳の暗喩法は心象を積み重ねて、最後に一つの作品全体の心象を形づくるというもの。即ち、一句全体が暗喩になる一個の構造物を造ること。(中略)そして、個々の心象とそれを集合する心象との関係は色合・影・匂い・響きなどの属性から引き出される類似性や調和だと言う。
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金子兜太の造形論(中略)では「創る自分」の意識活動を中心に説かれており、「意識活動によって自己の内部に対象を求めてゆく造形は必然的に暗喩を求める」(これは高柳の暗喩論に倣ったもの)というのみで、心象の連鎖には触れていない。金子の実作に照らして推測すれば、赤尾兜子の「第三イメージ論」(二物衝撃による交感・とりはやし)と同様に、ボードレールの「交感」の方に中心が置かれていると言えよう。
川名大「昭和俳句史―前衛俳句~昭和の終焉―」第10回「前衛俳句の勃興(昭和三十年代前半⑨)」「高柳重信と金子兜太の暗喩方法論および暗喩作品の対比」
暗喩はもの凄く単純に言えば抽象ということである。もちろん俳句の大原則として「楽しい」「悲しい」「美しい」「醜い」といった文字通り抽象的な言葉を並べるわけにはいかない。どんな場合でも具体物を取り合わせることになる。この取合せ方法が重信と兜太では違う。
これも単純化して言えば重信俳句では具体物を取り合わせて全体として暗喩的(抽象的)表現になることが多い。それに対して兜太の方法はより俳句に即している。川名さんはそれは「赤尾兜子の「第三イメージ論」(二物衝撃による交感・とりはやし)」や「ボードレールの「交感」」に近いと論じておられる。シュルレアリスムほど突飛ではないが、いっけん異質な物を取り合わせることによって、無意識的なものを含めて作家の思想をより的確に表現しようとする方法である。
身をそらす虹の
絶巓
処刑台 高柳重信
きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり
杭のごとく
墓
たちならび
打ち込まれ
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく 金子兜太
果樹園がシャツ一枚の俺の孤島
わが湖あり日蔭真暗な虎があり
川名さんが論文で引用なさった重信と兜太の句である。さて、兜太と重信、どちらがより暗喩的作品を書いているのか。
重信作品は確かに作品全体として暗喩的(抽象的)表現になっている。しかし読後感はもの凄く単純だ。俳句を現実事物や経験などと結びつける評釈的解釈はできないが、「身をそらす虹の」は重信の孤高の精神性を表し、「きみ嫁けり」は喪失感を、「杭のごとく」はうんざりするような諦念混じりの荒涼を表現している。俳句に関する一筋縄ではいかない議論はすべて評論で吐き出して、俳句作品はスッキリ単純というのが重信作品の大きな特徴である。
対する兜太作品は「銀行員」と「烏賊」、「果樹園」「シャツ」「孤島」、「湖」「日蔭」「真暗」「虎」という異質な物を畳み込むように列挙して社会批判意識や兜太個人の心性を表現している。兜太の心性は「孤島」と「虎」で受けられるのだから重信と同様に高貴で孤独だ。ただ修辞的には兜太作品の方が複雑である。
暗喩の使い方が違うのだから両者の優劣を論じてもあまり意味がない。また彼らの隠喩法をテクニックとして継承できるのかと言えばそれも難しいだろう。強烈な個性(自我意識)はもちろんのこと、現代俳人(当時の)として同時代を的確に表現し、俳句の表現の幅を拡げるという使命感から暗喩法が援用されている。別の時代に生まれていれば違う方法を採った(創出した)でしょうね。
岡野隆
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