第65回角川俳句賞受賞者、抜井諒一さんの第二句集『金色』の特集が組まれている。ようやく作家の特徴があらわになってきたと思う。平明で奇を衒わない、とてもすぐれた句集である。
花火とは別の夜空へ帰りたる
秋晴れの中なる蝶を消せる青
向いている方へは飛べぬばつたかな
轍伸ぶ通行止めの雪の先
泥水の氷に泥の無かりけり
流木の湖を出られぬ暮の秋
蟷螂の身じろぎもせず喰はれゆく
風花の止みてどこにも無かりけり
写生を基本としているのだろうが無音の世界を強く感じさせる。あるいは世界は無と紙一重ということか。ただ厭世的で黒々と固まった虚無感とは無縁で無の奥行きは深い。「花火とは別の夜空へ帰りたる」「轍伸ぶ通行止めの雪の先」とどこまでも拡がってゆく。
闇鍋に闇どばどばと注ぎ足しぬ
見る見る暗し掌の春の雪
日の氷みづの輪郭より光
雪の上の落花の色の濃かりけり
手花火の明るさ家族ひとつ分
みな遠き山を見てゐる鯉のぼり
湖に一条春の川の色
無は当然闇と親しい。ただ何もないという意味での無ではないので、それは世界生成のような光に転化する。「手花火の明るさ家族ひとつ分」は現実に即した写生句として評釈できるが、花火の光はこの世でただ一つの光であり、家族は聖家族を思わせる。「日の氷みづの輪郭より光」「みな遠き山を見てゐる鯉のぼり」といった句は秀句である。
『金色』の諸句は用語や修辞の面でなんら特別な作為が施されていない。にも関わらず強い作家性を感じさせる。オーソドックスな写生句と言っていいのだが、現実を写生した、つまり現実に触発されて生まれた句ではない。吟行写生で詠まれた句であってもまず確かな作家思想がある。それに沿って現実事物が選ばれ写生される。そして写生に先立つ作家思想にはほとんどエゴが感じられない。俳句ならではの作家性のあり方である。
透明感の強い句が多いが「遠蛙ときをりすぐそこの蛙」のように、撞着的な濁りの世界も実は親しいものだろう。表現に無理がないだけでなく、まだまだ表現されていない余白を感じさせる。句集上梓と同時に特集が組まれるだけの力のある俳句作家の登場である。
凍港や旧露の街はありとのみ 山口誓子
唐太の天ぞ垂れたり鰊群来 第一句集『凍港』(S7・素人社屋社)
七月の青嶺まぢかく溶鉱炉
スケートの紐むすぶ間も逸りつゝ
かりかりと蟷螂蜂の皃を食む
ラグビーのジャケツちぎれて闘へる 第二句集『黄旗』(S10・龍星閣)
夏草に汽罐車の車輪来て止る
螢籠むしろ星天より昏く 第三句集『炎昼』(S13・三省堂)
枯園に向ひて硬きカラア嵌む
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
蟋蟀が深き地中を覗き込む 第四句集『七曜』(S17・三省堂)
つきぬけて天上の曼珠沙華
角谷昌子さんの連載「俳句の水脈・血脈―平成・令和に逝った星々」第七回は山口誓子。俳壇で絶対権威・権力を持っていた虚子「ホトトギス」に反旗を翻したのは秋櫻子だが、誓子は秋櫻子「馬酔木」にすぐには参加せず、一拍置いて参加した。俳壇的事件としては秋櫻子「馬酔木」刊行がこの時代最大のトピック(スキャンダル)だが、その後の俳句界に絶大な影響を与えたのは誓子だった。「かりかりと蟷螂蜂の皃を食む」と「つきぬけて天上の曼珠沙華」のように地上の猥雑から天上にまでダイナミックに視線(作家精神)が往還するのが誓子俳句の醍醐味である。母親を自殺で失い荒涼とした樺太で多感な少年時代を過ごした影響を無視することはできないだろう。ただ誓子俳句がその後に与えた影響はそれだけではない。
「溶鉱炉」「スケート」「ラグビー」「汽罐車」「カラア」といった言葉はそれまでの俳句ではあまり使われていなかった。使われたとしてもしっくり句に定着してくれなかった。それを誓子はある種の向日的な明るさで俳句に詠み込んだ。
新興俳句は秋櫻子・誓子の「馬酔木」を母胎としていると言われるが、最も影響を与えたのは誓子だろう。初期誓子俳句にはモダニズムの香りがある。そしてモダンとは遅れの意識である。モダン=現代に近づこうとするのがモダニズム運動というものだ。モダン=現代を表現に取り入れようとするから突飛で実験的な作品が生まれる。虚子写生俳句、というより花鳥諷詠俳句に画然たる新機軸を打ち出したのは誓子である。つまり誓子俳句の登場によって虚子写生俳句(花鳥諷詠)は古く遅れた俳句として感じられるようになった。
春水と行くを止むれば流れ去る 第五句集『激浪』(S21・青磁社)
秋の暮山脈いづこへか帰る
今晩は今晩は秋の夜の漁村
海に出て木枯帰るところなし 第六句集『遠星』(S22・創元社)
寒月に水浅くして川流る
せりせりと薄氷杖のなすまゝに
戦死して翅拡ぐるに任せたり 第七句集『晩刻』(S22・創元社)
月明の宙に出て行き遊びけり
誓子の全盛期は概ね終戦直後までと言っていいだろう。誓子は明治三十四年(一九〇一年)生まれだから終戦時に四十四歳。壮年期でもあるが老年を意識し始める年齢でもある。
作品には敗戦を反映してか虚脱の色が濃い。「海に出て木枯帰るところなし」は代表句の一つだが、地上と天上を往還していた作家精神がプツンと切れて行方不明になりかけている気配も漂う。「今晩は今晩は秋の夜の漁村」の繰り返しや「せりせりと薄氷杖のなすまゝに」のオノマトペも精神の衰えを感じさせる。誓子は当時の超有名俳人であり、戦中にはもちろんいわゆる翼賛俳句を書いた。
熱なくて遠くのちちちろまで聞こゆ 第八句集『青女』(S26・中部日本新聞社)
海に鴨発砲直前かも知れず 第九句集『和服』(S30・角川書店)
頭なき鰤が路上に血を流す
大和また新たなる国田を鋤けば 第十句集『構橋』(S42・春秋社)
鵜篝の早瀬を過ぐる大炎上 第十一句集『方位』(S42・春秋社)
美しき距離白鷺が蝶に見ゆ 第十二句集『青銅』(S42・春秋社)
日本がここに集る初詣
「天狼」主宰(当初は同人誌だった)になってから誓子は旺盛に作品を発表するようになる。ただ読めば明らかなように自分が創出したモダニズム俳句の微妙な模倣の気配が漂う。「大和また新たなる国田を鋤けば」のように構えは大きいが現実に食い込む手ざわりがない。「美しき距離白鷺が蝶に見ゆ」などは誓子らしくない衰弱句である。美とまとめてしまうと出口がない。
ただ誓子は学ぶところの多い俳人である。この作家は確かに高貴な精神の持ち主だった。しかし精神は肉体とともに衰弱する。誓子は肉体の衰えに精神が抗ったような印象を与える作家だ。どんなに強固に見えても作家思想は肉体とともに衰え成熟してゆかなければならないということである。もしかすると晩年、最晩年、大晩年と晩年を唱え続けた永田耕衣は、ほぼ同い年の誓子の姿を見て肉体と精神の歩調を合わせたのかもしれない。
岡野隆
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