今号は鴻上尚史先生の「ベター・ハーフ」一挙掲載。アテクシたちの世代には第三舞台『朝日のような夕日を連れて』が衝撃的でしたわ。名作戯曲でもあります。ラストの輪唱のような台詞場面ではマジ鳥肌が立ちましたもの。あれはなんなんでしょうね。やっぱ舞台って魔法のようなところがございます。劇団がアングラから小劇場に移行する時代に最も印象的な舞台(戯曲)を上演なさったのは鴻上先生、野田秀樹先生、平田オリザ先生らよね。あ、北村想先生の『寿歌』も忘れがたいわぁ。もち皆さん現役バリバリです。
鴻上先生の舞台、実に明瞭明確です。こんがらがったアングラから演劇を見はじめたアテクシなど、最初「え、こんなにさっぱりしていていいの?」と思ってしまいましたわ。ただそれが曲者なのよねぇ。悪者善人、美男美女とぶさいくがハッキリ分かれるわけですが、つかへいさんの舞台のような屈折はありません。ただそれぞれの役割というか、純な気持ちが舞台上でパッと風穴を開けてゆくのよね。そのブレイクスルーの快感ったらありませんわ。
小説「ベター・ハーフ」は舞台版の小説化です。残念ながらアテクシは見逃しているのですが、小説を読んだだけで舞台が目の前に浮かび上がります。「それって小説としてどーなのよ」っていう突っ込みが入りそうですが、鴻上先生はいいのよ。
劇作家で小説もお書きになる方は大勢いらっしゃいます。何作か読みましたが迷いが透けて見える方が多いわね。戯曲じゃないんだ、小説なんだ、小説らしくしなきゃならないといった迷いです。それがあるとやっぱ中途半端な文学臭が立ち上ってしまうのよ。簡単に言うと意味過剰ね。でも極端なことを言えば、昔ながらのサヨク系の新劇の出し物なんかは別として、アングラ以降の演劇に意味なんてないわよ。少なくとも詩、小説、哲学などの文学で表現されているような意味がないから演劇って素敵! になるわけ。
鴻上先生のキッパリ感は小説でも徹底しています。小説としてはある意味こんなに単純でいいの? という登場人物が動き回るわけですが、その衝突が解釈しようと思えばできる意味を生じさせてゆく。まさしく演劇の小説化ね。これは劇作家が小説を書くんだから当たり前のこと。戯曲家の小説というスッキリした形になっています。他ジャンルにのしてゆく時に本業の本質を変えちゃうまくいかないってことかしらね。
「可愛いじゃないか」
沖村さんは、僕が撮った動画を見て叫んだ。
写真を撮ろうとして、録画モードにしていた。自分がこんな失敗をすることが信じられなかった。(中略)
沖村さんは、僕のスマホを持ったまま、五秒ぐらいの動画を何回も再生している。
「写真を送ってくれないから、半分、覚悟してたのに、こんな可愛い子だったなんて。アイドルみたいじゃないか。奇跡は起こるんだなあ」
声が震えている。感動しているのか。
「なあ、諏訪。空を見上げて、『ああ、女の子が落ちてこないかなあ』って思わず呟いたこと、あるだろう」
そんなことは一度もない。
「パズーに起こって、なんで俺に起こらないんだろうって、ものすごく哀しくなっただろう」
『天空のラピュタ』じゃないか。アニメと現実は違うって。
「でも、奇跡は起こるんだなあ・・・・・・諏訪、まさか、お前、ほれてないだろうな!」
沖村さんがいきなり真剣な目でにらんだ。
鴻上尚史「ベター・ハーフ」
登場人物は男性二人に女性二人。男性の方は諏訪佑太とその上司の沖村嘉治。小さなPR会社の社員です。諏訪は29歳でイケメン。野心に燃えていて「なんとか勝ち続けて、より大きなビジネスのできる場所に移りたい」と考えています。ワーカホリックと言えるほど仕事熱心な青年です。対する沖村は43歳独身で恋愛経験なしのアイドルヲタク。「顔は、どことなくウシガエルに似ている」「沖村さんは部下の手柄を横取りしたり、ムチャなノルマを押しつけて、できないことを罵ったりする上司じゃない。(中略)けれど、沖村さんは「仕事に勝つ」ことに対してはまったく興味がない」とあります。
物語は沖村がマッチングアプリに登録して女の子と仲良くなったことから始まります。メールのやり取りは盛りあがったのですが沖村は顔も年齢も詐称していた。諏訪の顔写真を貼り付け年齢も諏訪に合わせたんですね。ようやくデートの約束を取り付けたのですが自分が行ったら「あなた誰?」になってしまう。そこで諏訪にデートに行ってくれるよう懇願したのでした。
ただし女の子の方は実際に会うまで写真は送りたくないと言っていました。いわゆるブラインドデートになるわけですが、イケメン諏訪青年は容姿に自信がある女の子が写真をアップしないわけがない、おまけに代理デートだと気が進みません。ところが現れた女性はアイドルと見まごうような可愛い女の子だったのです。
「汀さん、フェラチオをなめてはいけませんぜ。いえ、フェラチオはなめるもんだけど、なめたらダメなんだから」あたし、なんかおやじギャグみたいなことを言ってる。
汀さんのスマホを借りて、あたしが参考にしているエッチサイトを検索した。(中略)
「この動画を見て、なめ方の練習ね」
「なめ方?」汀さんは、動画を見始めた。
「中級者向けね。このなめ方、完コピするのじゃ」
「完コピ・・・・・・」(中略)
「えー!? なに!? そんなことするの!? そこ!? そこまで!? 速い! ものすごく速い! エロい! ものすごくエロい!」
いちいち、声に出さなくていいです。
遊んでいた子供がなんだろうと近づいてきた。後ろから、母親が慌てて追いかけてきて、子供を抱えて公園から出て行った。
同
女の子の方は平澤遙香と小早川汀。遙香は21歳のアイドル志望の女の子で芸能事務所に所属してレッスンに励んでいます。ただ突然オーディションなどが入るので時間が決まったアルバイトはできない。そのためフェラチオあり本番なしのデリヘル嬢として働いています。汀は27歳のトランスジェンダー。男に生まれたけど内面は女の子です。遙香はデリヘルの仕事で行ったホテルのラウンジでピアノの弾き語りをしていた汀の歌に惹きつけられ声をかけます。遙香は可愛いルックスだけど割り切って性を仕事にしている女の子。汀はデリヘルの仕事をしていると告白した遙香に「すいません。そこらへん奥手なんです」と言うような純な子です。
この汀が沖村がマッチングアプリで知り合って話していた相手でした。話は合ったのですがトランスジェンダーの汀は沖村に実際に会う勇気がない。なにせ沖村が貼った写真はイケメンの諏訪の顔ですから。そこで遙香にデートに行ってくれるよう頼んだ。つまり沖村・諏訪、汀・遙香の側も代理デートだったんですね。
物語はこの四人がくっついたり離れたりすることで進みます。「ベター・ハーフ」の登場人物は完全にこの四人だけ。多分、250枚くらの小説だと思いますが、この長さだと普通は登場人物四人ではもたない。風景描写や心理描写が多いわけでもありません。でも一気に読めてしまうのは事件が起こるから。5ページくらいの間に必ず一つ事件が起こります。
トランスジェンダーという現代的要素も取り入れていますが過剰な暗さはありません。汀は当然のようにそれに苦悩します。遙香も同じ。アイドルとして成功してメデタシメデタシになるわけではない。むしろその逆です。性の描写についても同様。陰湿さはありません。なぜそうなるかと言えば事件が起こり登場人物たちがそれに引っ張られるから。それどころじゃないところにお作品のテーマがあります。
「沖村さん、落ち着いて下さい。たかが、恋愛じゃないですか」
そうなんだ。この揉め事は、たかが恋愛のことなんだ。
沖村さんはふざけるなという顔になった。
「たかが恋愛? なんだよ、その言い方! お前なんか、たかが仕事に命かけてるだけじゃないか!」(中略)
「そうよ! 佑太は愛を信じてないのよ! 仕事しか信じてないの!」
背後から汀の声が聞こえてきた。
「そうよ。たかが恋愛? よく言ったわね! 頭の中には、仕事しかないんでしょう!」
汀はそう言いながら、ベランダに回り込んだ。
気がつくと、沖村さん、遙香、汀、三人がベランダに一列に並んで、リビングにいる僕に向かって文句を言い出した。
「いったい、恋愛をなんだと思ってるのよ!」汀が叫んだ。
「そうだ、そうだ、恋愛に失礼だぞ!」沖村さんがうなづいた。
「定年退職したら、カラッポの人生が待ってるから!」汀がざまあみろという顔をした。
「仕事しかない人生は恥ずかしくないのか!」沖村さんが呆れたように言った。
「一生、愛の意味を知らないまま死んでいくのね!」遙香が憎々しく叫んだ。
唖然とした。三人がベランダに一列に並んで、僕を責めている。
僕のことを一番良く知っていると思う三人が同じことを言っている。どうしていいか、分からなくなった。
同
この部分が「ベター・ハーフ」のクライマックスです。小説のクライマックスというだけでなく舞台でもそうでしょうね。ああいいわねぇと思っちゃう。ホントに目に舞台が浮かんでくるような箇所ですわ。
図式的に捉えれば物語の主人公は諏訪で、道化回し的な影の主人公が上司の沖村です。沖村がすべてのトラブルを生じさせます。ただ沖村、諏訪、汀、遙香の四人に小説的登場人物的優劣はありません。クライマックスで表現されているのは人間の肉体です。人間がそこに立って声を発しているから迫力がある。肉体表現が見事に小説化されています。劇作家ならではの良作の小説でございます。
佐藤知恵子
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