塩田武士先生の「朱色の化身」、一挙掲載ですわ。スゴいですわねぇ。3段組ですからゆうに300枚は越えています。力作です。
「朱色の化身」は「序章 湯の街炎上」「第一部 事実」「第二部 真実」「終章 朱色の化身」の四部構成。
元新聞記者でフリーライターの大路亨が、やはり元新聞記者で定年後は同じくフリーライターの仕事をしていた父の松江準平から調査を依頼された。姓が違うのは大路の両親が子供の頃に離婚したから。彼は母親に育てられました。祖母の菊代に可愛がられた子供でもありました。その祖母の遺品を整理していたときに興信所の書類が出て来たと父が言ったのです。
興信所の書類の日付けは昭和三十一年七月。優しく正直な祖母で秘密調査を行う興信所とは無縁のはずです。また当時祖母は夫(祖父)を亡くして女手一つで息子(準平)を育てなければなりませんでした。住んでいた福井県芦原の温泉街が大火になって焼け出されたばかりでもありお金に余裕がなかったはずなのです。
調査の対象は辻静代という女性。当時芦原温泉の旅館白露で仲居をしていた女性です。調査報告書には不審な点はないと書かれていましたが娘に辻珠緒がいるとあった。夫は亡くなっていたので浮気調査とは思えない。元新聞記者の父の好奇心が燃え上がります。準平はガンで療養中なので息子の亨に祖母が何を調べていたのか調査して欲しいと依頼したのでした。
大路が調べてゆくうちに、興味の中心は興信所の報告書にあった辻静代ではなく娘の辻珠緒に向かいます。物語は珠緒と辻家の秘密を探る形で進みます。
ただ大路が父から調査を依頼されたことが明らかになるのは「第二部 真実」冒頭なんですね。「序章」と「第一部」はけっこう長いです。辻家と珠緒のことを探っているのはわかるのですが〝なんのために?〟が今ひとつハッキリしない。これもサスペンス小説の一つの手法といえばそうなのですが、ちょっと隔靴搔痒の感じがありますわ。
前日の夜、温泉街の通りに微かな土埃が立った。
渦を巻くことなく砂塵は消え、しばし風が止む。夜気から宵のぎこちなさが抜けると、しんとした暗がりの中に輪郭のぼやけた店々が浮かび上がった。
乾物屋、竹細工、理髪店・・・・・・住居を兼ねる細かな商いには確かな暮らしの気配があり、長年の風雪で傷んだ木造の店舗には、月並みな疲れが透けて見える。だが、やはりこの街の主は湯であり、宿であった。駅の北側には、磁力で吸い寄せられたように大小の旅館が軒を連ねている。
昭和三十一年四月二十二日。
塩田武士「朱色の化身」「序章 湯の街炎上」
「序章」は小説全体の俯瞰図のようなもので、芦原温泉の大火から始まります。作家による客観描写です。時代は興信所の報告書にあった昭和三十一年。叙述の中心になるのは辻静代と珠緒の親子。物語の発端と終点が示唆されているわけです。
ただこの古典的な描写法で松本清張を思い起こす読者も多いんじゃないかしら。実際、物語は松本清張的ラインで進みます。大路が興味を持った辻珠緒は京都大学卒の才媛。卒業後はほとんど女性初の総合職として銀行に勤めました。京都の和菓子屋の御曹司と結婚し、離婚はしましたがその後趣味のゲーム作りで頭角を現して大ヒット作を生み出しています。それだけで見れば――離婚は別として――誰もが羨むようなキャリアです。
ただこの珠緒さん、不幸な生い立ちです。実父はヤクザ者。母親が再婚した義父に虐められ、それ以外にも高校時代に教師から性的暴行を受けたかもしれないという疑惑も調査過程で判明します。アルコール依存症だった時期もあった。小さな調査を積み重ねていくと貧乏で不幸な家庭から身一つ(珠緒の場合は京大に進学できるほどの知力)でのし上がっていった女性の姿が浮かんできます。もちろんその光で隠れがちな闇の部分を調査し明らかにするのがこの小説の焦点です。
谷川治則の証言 二〇二〇年十月三十日
いえいえ、それは構わないんですけど、私の話なんか役に立ちますかね?
珠緒さんと会ったのって、ほんの数回ですし、がっつり話したのなんか、そのインタビューのとき一回だけですからね。
あぁ、そうです、この記事です。懐かしいですねぇ。何しろ顔写真も本名も公開NGでしたから、なかなか苦労した記憶があります。「四十歳、元銀行員、異色のゲームクリエイター」っていうのが、中居さんから言われたコンセプトでしたから「え! 顔写真ダメなの!」ってなりました。だから、あんまり話題になりませんでしたね、この記事。
「朱色の化身」「第一部 事実」
「第一部 事実」は大路による調査のいわゆるテープ起こしです。大路は珠緒を追って様々な人に数珠つなぎでインタビューしていったのです。この手法は有吉佐和子の『悪女について』以来のものですね。松井今朝子先生の直木賞受賞小説『吉原手引草』もこの手法で書かれていましたからけっこう頻繁に活用されています。
つまり「朱色の化身」は文体的に言えば戦後文学と言わざるを得ないところがあります。しかし実質的主人公(興味の対象)となる珠緒はバブル時代の始まりの一九八〇年代に学生時代を送っています。清張さんや有吉さんの小説のように戦後のどさくさの中で、犯罪を犯してまで社会的に成り上がることができた人たちの時代ではありません。じゃ、作家様はなぜ戦後文学の文体フレームを使って現代社会を描こうとしたのか、と言うことになりますわね。
「最初は父に頼まれた人捜しでした。でも、珠緒さんに関する証言を得て半生が立体的になっていくたびに、彼女が乗り越えてきた〝壁〟が昔話などではなく、今に通ずるものではないかと気になり始めたんです」
宝は無言のまま、大路の力みを包み込むように微笑んだ。
「珠緒さんが育った環境は、決して恵まれたものとは言えませ。しかし彼女は明晰な頭脳を自覚し、それに見合った努力を重ねてきました。だからこそ、福井県を代表する進学校に入り、京都大学に現役合格し、中央創銀の総合職として活躍できたんです」
宝は相変わらず何も言わず、首肯することで先を促した。
「でも今、彼女は何かに追われている。いくら頑張っても、過去の亡霊につきまとわれている。確かに私は部外者からもしれませんが、知ってしまった以上、このまま放っておくことができないんです」
「朱色の化身」「第二部 真実」
行方不明の珠緒の居場所を知っているかもしれない宝というキーマンと大路の対話にこのお作品のテーマが表現されています。「彼女が乗り越えてきた〝壁〟が昔話などではなく、今に通ずるものではないか」ということです。珠緒のいわゆるのし上がりは清張・有吉張りの戦後的人間のそれですが、そこに「今に通ずるもの」がある。だからこそ珠緒の第二のキャリアがゲームプランナーであり、彼女が作ったゲームが謎解きのキーになっています。
ただ「今に通ずるもの」が多かれ少なかれ誰もが抱えている「過去の亡霊」では弱いかもしれない。珠緒とその家族がひた隠しにしている秘密は昭和二十年代の舞台設定でも違和感がありません。珠緒が現代的な〝壁〟を打ち破ってきた人生は彼女の処世術の賜物ですが、彼女が自分で望んだわけではない「過去の亡霊」がとりわけ「今に通ずる」現代性を持っているとは思えませんわね。
言い添えておくと、実に緻密に取材が為された良作です。個々の説明は驚くほど詳細で説得力がありますわ。ただそれが空回りしているような。
文学表現は過去作品からの継承ですが、ここまで戦後文学的文脈を踏むならそれを一気に相対化する姿勢が必要だったかもしれません。極端なことを言えばあからさまな松本清張や有吉佐和子のパロディという前提で現代的問題を捉えてもよかったんじゃないかしら。
物語は謎解きに向かい、謎はきっちり解かれるわけですが人間の良い面が強調される終わり方になっています。清張・有吉のあからさまなで残酷な人間悪からは遠いです。もちろん性善を現代性とすることはできますが、それなら戦後文学のフレームをハッキリ示して換骨奪胎した方が戦後文学に馴染みのある読者をもっと惹きつけられたかも。勝手なことを書きまして妄言多謝でございます。
佐藤知恵子
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