今号には「新潮新人賞第一作」中西智佐乃さんの「祈りの涙」が掲載されている。180枚の中編だ。「新潮」好みの作品だなぁという気がちょっとする。
二大週刊誌「新潮」と「文藝春秋」で鎬を削っている新潮社と文藝春秋社にはそこはかとなくカラーの違いがある。これはまあ僕が抱いている勝手なイメージだが、新潮社は社会派のイメージだ。案外硬派なところがある。それに対して実質的に芥川賞を主宰する「文學界」とオピニオン誌「文藝春秋」を擁する文藝春秋社は、会社を代表する雑誌が硬派に見える割にはヌエ的なところがある。このところ週刊新潮より文春の方が好調だが、まーなんて言いますか、言いにくいですが文藝春秋社、案外下世話なところがありそうだ。とってもしたたか。その分、闇の部分が多そうだなーという気がほんの、ほんの少しだけしますぅ。
兄は「質問」するだけではなかった。兄にとって良いことをすると褒めた。母が一番、次に父、美咲は褒められたことがなかった。美咲は「質問」されるたびに生活の範囲が狭くなっていった。友達を呼べない、国語の朗読の宿題はしてはいけない(母はせずともすぐに印鑑を押してくれた)、お菓子は兄が食べてから、兄より高い誕生日プレゼントを望んではいけない、一つ一つ、手放していった。もし、美咲が首を横に振れば、兄は母、父を使い、時には祖母も動かした。美咲が疲れ切ってしまうまで、質問し続けられる特殊な体力を持っている。人は怒り続けることは出来ない。けれど、本人が正しいことであると信じていると、相手が正しくなるまで、続けられる。
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母が言うには、父は酒を飲まないといけない人だった。父が言う酒は、ペットボトルに入った四リットルの焼酎のことで、それを飲んでは怒鳴り、母、少女、弟の身体を変色させ、時には少女の皮膚を焼いた。左肘の内側の三か所を特に好んで焼いた。水ぶくれがまだ出来ている時はどうしても耐えられず、歯の隙間から声が漏れた。そうすると殴られるのだ。頭の横を。そこを殴られると脳がぐわんと揺らぎ、立ち上がることが出来ず、口がだらしなく開き、唾を垂れ流すことになるのだ。
中西智佐乃「祈りの涙」
「祈りの涙」の主人公は二人いる。一人は高校卒業後、地元のパン工場に就職してベルトコンベアのラインでパン作りの仕事をしている美咲だ。兄がいるが歪んだ性格の男だ。子どもの頃から家族を執拗な「質問」責めにした。質問といってもわからないことを聞くのではない。どうしてと果てしなく相手を問い詰め自分の思うがままにさせるためだ。「本人(兄)が正しいことであると信じていると、相手が正しくなるまで、続けられる」拷問である。暴力も振るう。父母は兄の言いなりだ。溺愛されているからだが兄の質問の執拗さを恐れているからでもある。兄の異様な振る舞いは今も続いている。
美咲はそれにずっと耐えている。大人になり就職したのだから家を出ることもできるわけだが、幼い頃からの兄中心の家族の関係性に呪縛されている。また長男を溺愛しその異様な言動を受け入れる父母は不可解だが、そういった歪みはもの凄く珍しいわけではない。当事者にとっては大きな苦痛だが社会的事件にまでは拡がらない。ただ日常として淡々と過ぎてゆく家族関係の歪みはとても恐ろしい。小説でしか描けない独断場だ。
もう一人は「少女」と記述される戸田という高校二年生の女の子だ。父親は酒浸りで母や少女、弟に暴力を振るった。少女の腕には何度も父親のタバコの火を押しつけられた痕が残っている。父母は離婚したが母親は水商売のアルバイトを始め、次々に男を家に連れ込むようになった。男ができると上機嫌で捨てられると少女や弟に当たる。家事はせず水商売のアルバイトも気まぐれだ。少女は荒れる母親の生活を心配しながらまだ幼い弟の面倒を見ている。美咲とは境遇が違うが歪んだ家族の関係性に否応なく巻き込まれ、そこから抜け出せない社会底辺の少女である。決定的事件が起こらなければ救いの手は差し伸べられない。
美咲は職場で少女と出会う。まだ高校生だが生活費を稼ぐためにアルバイトに来たのだ。愛嬌のある女の子だがとても痩せている。それがなんとなく気になる。また少女は美咲が出た高校の制服を着ていた。高校二年生という年齢も引っかかった。美咲は成績優秀だったのに兄の横やりで志望校より一ランク下の高校に進学させられた。奨学金をもらって大学に進学するつもりだったが兄が専門学校を卒業して働き始めていたので、兄より高い学歴は不要と父母に言われ高校卒業後すぐに就職した。もちろん兄の歪んだ支配欲が父母を動かした。それが美咲の傷になっている。美咲はなんとなく少女から目を離せない。
友人の一人が、これからの受験のうっとうしさを口にした。けれども、そこにはちゃんと前に進む希望があるのがわかった。塾の春期講習の面倒くささを誰かが口にし、他の者もそれにのる。少女にはわからない。塾に通ったことがなかった。何も言わずに笑う。どんな時でも常に笑うことが出来るようになっていた。友人の一人が少女の方を見て、進学しないのかと聞いてきた。少女はやはり笑う。そうして、頷いた。以前にも聞かれた質問だった。重ねて聞いたところで同じ答えしか少女には用意できない。(中略)友人たちは以前聞いた答えと同じだったので、納得をしたのか、それぞれの進学の話題に戻っていった。少女は歯を見せて笑う。それは、彼女たちの話題に返事をしたわけではなく、たまたま、許された側にいるだけなのにという嘲笑だった。
同
こういった記述は美しい。少女は笑うがもちろん楽しいからではない。防御のためだ。笑うことで他者を、社会を拒絶する。それだけが女に生まれた無力な少女の武器だ。少女はアルバイト先のパン工場で年上の男に言い寄られるが彼に対しても笑いかける。拒絶の笑いだが男は気づかない。むしろ誤解する。しかし少女は笑う。笑いながら拒絶している間は男は彼女に牙を剥かない。襲いかかって来れば逃げるしかない。その最悪の瞬間まで笑いが少女を守る。
「祈りの涙」の文体はいわゆる写生文小説によく似ている。漱石『猫』ではなく長塚節『土』の文体に近い。二人の主人公、美咲と少女の心理描写は極めて客観的で冷たい。物語は淡々と進む。悲惨だろうとそれが現実なら現実のままを描くのが写生(文)の方法である。
だからまだ子どもの少女がよく笑うのに対し、社会人の大人で現実の理不尽を知りつくしている美咲は笑わない。口数も少ない。それが美咲という女性の写生だ。もちろん小説だから美咲と少女の悲惨と理不尽は交わる。
「私、あなたのことを、ちゃんと知りたいんです」
小さな顔が上がる。聞き返してくるように、薄く口が開く。くっきりとした二重の下にある黒目が揺れ、「言ったところで」と呟くのが聞こえる。今度は美咲が頷き、「誰かに言ったことがありますか」と聞いた。大きな目が美咲を通り過ぎ、遠くへと向かう。
「まだ際まで来ていないから、言っちゃいけない」
際? と美咲は思う。そこが彼女の分岐点。際から落ちたらどうなるのか。兄に痛みを与えられていた時の安堵を思い返す。ここが底だと思った。けれどこの子が際から落ちた先は、どこまであるのか。底は、あるのか。
「際に来る前に言わなきゃいけない」
彼女には何が見えているのか、黒目が宙を舞う。
「まだ、全然、大丈夫なんです。本当に、大丈夫で。だから、もし、ここで、音を上げたら、そしたら、絶対に責められる」
独り言のように呟いた言葉に、息を吸い込む。これが、彼女にとっての祈り。美咲は手をそうっと伸ばして肩に置き、誰も責めないとささやいた。
同
笑わず言葉少なで他者に対して奥手でもある美咲は、パン工場の更衣室で少女に心の内を明かすように迫る。それだけ少女の言動が切羽詰まったものであり、美咲の境遇と重なるものがあったからだ。
この小説が描き出す二人の女性の生は悲惨だ。淡々とした写生文的文体がそれを否応なく高めている。ちょっと涙ぐむほど切羽詰まった描写である。ただ徹底したリアリズム文体なので安易な救済は一切ない。小説の終わりにささやかな希望の光がスリップされるだけだ。最後まで安易な結末を避け、悲惨と理不尽を抉り出すように描くことで読者の心を揺さぶる「祈りの涙」は秀作である。
ただこの小説はいつの時代の悲惨を描いているのだろうか。スマホを使っているから現代なのだろうが、貧富の格差といった社会問題をベースにした小説と言うにはその肉付けが足りない。またなぜずっと悲惨を描くのだろう。悲惨を描くのが目的なのかという違和感も少しある。
小説全体として説得力はあるが、美咲と少女が置かれた悲惨は社会の本当の最底辺の〝際〟ではない。まだ底が措定できる以上180枚という小説枚数はいささか長い。このくらいの〝際〟ならもっと短くまとめられたのではないか。また安易な救済は論外だが、180枚あれば小説世界の上位審級に調和的倫理を付加することができたのではなかろうか。
しかしそれはこの小説を読んだ限りの感想である。「祈りの涙」は作家の肉体に食い込むような主題なのかもしれない。そうであればこの主題は今後様々に大きく展開してゆくだろう。
大篠夏彦
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