川名大さんの連載「昭和俳句史―前衛俳句~昭和の終焉―」第5回は「前衛俳句の勃興(昭和三十年代④)「「十七音詩」の新風―林田紀音夫の無季俳句の成果―」である。林田紀音夫は今ではあまり読まれていない。今後、なんらかの形で焦点が合って紀音夫ブームが来るとも想像しにくい。しかし俳句史上ではとても重要な作家の一人だ。そういった作家の仕事にフォーカスを当て丹念に論じてくださる川名さんの評論はとても有難い。
昭和二十年代の後半から三十年代の前半にかけて、無季俳句の領域に表現史上の新風をうち立てたのは、林田紀音夫であった。その無季俳句は新興無季俳句の精神を継承しながらも、実作と理論の両面で、新興無季俳句が遺したものとは異なる新風であった。(中略)
大正十三年生まれの林田は、赤尾兜子と共に弾圧後の新興俳句に連なる最後の俳人である。大正末期から昭和初期に生まれた俳人は出征体験(海外出征とは限らない)の有無がその精神構造に大きな影を落としている。この戦争体験と、それに基づく戦没者への鎮魂の思い、それに加えて肺結核の闘病生活の有無が、いわゆる戦後派俳人とそれにつづく「第四世代」俳人(注=沢木欣一による命名で、昭和一桁生まれを中心とする世代)とを分かつ重要な要素である。
川名大「「十七音詩」の新風―林田紀音夫の無季俳句の成果―」
川名さんによる、林田紀音夫と彼が生きた時代に関する必要十分な的確なレジュメである。紀音夫は無季俳人として知られるわけだが、それは戦前からあった。大別すれば河東碧梧桐の新傾向俳句から生まれた中塚一碧楼、荻原井泉水の無季無韻俳句、そして新興俳句である。
戦前の無季無韻俳句は俳句でより自由な表現を求めた俳句史上初めての革新的試みだった。新興俳句の無季無韻は少し質が違う。季(季語)を重視しないというだけで積極的な無季(無季を規則化した)とまでは言えない。紀音夫はこの新興俳句を引き継いだわけだ。ではどのような形で「無季俳句の領域に表現史上の新風をうち立てた」のか。
戦後の無季俳句は、戦前のそれが全面的に失敗であったと断定するところから出発した。そして不思議なことに、「風流より生活へ」の根本理念が忘れられ、過去の奔放な詠ひぶりに対する反動として俳句性の掣肘を伝統的な意味で肯定することから始められた。三鬼氏が「広島」「行列」だけで行き詰まった原因はそこにあるし、永田耕衣・波止周平等の諸氏の印象深い諸作品が次の展開を示さなかったのもそのためである。
林田紀音夫「無季俳句実践の第一歩」(「十七音詩」第9号)
川名さんの論考からの孫引きだが、紀音夫が戦前と戦後の無季俳句の違いは「「風流より生活へ」の根本理念が忘れられ」、「過去の奔放な詠ひぶりに対する反動として俳句性の掣肘を伝統的な意味で肯定」したことにあると考えていたことがわかる。
紀音夫が批判している西東三鬼の「広島や卵食ふ時口ひらく」は名句として知られるが無季である。三鬼がこの句で「行き詰まった」、つまり「広島や」を嚆矢として無季俳句に進もうとしていたとは言えないが、戦前・戦後の無季俳句の質的違いは紀音夫の指摘した通りだろう。ならば紀音夫はどのような無季俳句を理想としたのか。
季語による普遍性・連想性に富んだ言語を探りあてることによって、無季俳句もまた在来の俳句に比肩するボリウムを持ち得ると考へるのは早計である。(略)事物のひとつを表はす部分的な言葉が重心になるのではなしに、季を棄てた代償として得られる近代的なポエジーを十七音に結晶せしめた一句そのものが重量感ある共感を呼ぶのである。
林田紀音夫「無季俳句実践の第一歩」(「十七音詩」第9号)
紀音夫の無季俳句論は論旨が通っている。しかしこの理想的無季俳句論は戦前の河東碧梧桐のそれと質的にあまり変わらない。乱暴な言い方になるが無季俳句とは徹底した季語との闘いである。それが逆接として俳句にとって季語が表現の中心であることをあからさまに示している。理論的理想は理想として、実際の俳句創作現場で「季を棄てた代償として得られる近代的なポエジーを十七音に結晶」できるのかはまた別の問題である。
戦死者の沖からの波足濡らす 『風蝕』以後
死ぬわれに妻の枕が並べられらる 昭24
棚へ置く鋏あまりに見えすぎる 昭24
鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 昭28
運河には個のさびしさの影とどかず 「十七字音」10号
受けとめし汝と死期を異にする 「十七字音」10号
黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ 「十七字音」14号
消えた映画館の無名の死体椅子を立つ 「十七字音」22号
筏で流された夜のようにひらたく寝る 昭36
生きのびて流れる方へ傘をさす 昭37
いつか星ぞら屈葬の他は許されず 昭38
滞る血のかなしさを硝子に頒つ 昭38
これも川名さんの論考からの孫引きだがいずれの紀音夫代表句だろう。川名さんは紀音夫は「孤独な魂に共鳴させる口語文体による独自の無季俳句を作った」「林田紀音夫・鈴木六林男・佐藤鬼房の三人は、暗喩のコード化に陥った関西の前衛俳句の渦に巻き込まれることなく、それぞれ独自の社会性俳句を貫いた」と高く評価しておられる。紀音夫俳句(理論を含む)を丹念にたどり、俳句史的評価を与えれば川名さんの書いておられる通りである。
ただうんと引いて遠くから紀音夫俳句を読めば(眺めれば)、やはり弱いのではあるまいか。新傾向俳句―無季無韻俳句―新興俳句などの形で直接的、間接的に続いた俳人と季語との闘いは、季語の絶対的重要性を示している。紀音夫俳句は彼の〈個〉の魅力に収斂するがそれ以上の広がりを持ちにくい。紀音夫俳句が広く読まれない理由である。
季語と闘った俳人たちは、今もしわたしたちの目の前に座っていれば相当な論客で切れ者であるだろう。しかし彼らの必死の闘いの帰結はもう出ていると思う。無季にこだわればこだわるほど季語の重要性が増すのは当然だが、これは絶対矛盾である。端的に言えば真正面から季語と闘っても必敗になる。もちろん闘いをやめるべきではない。だだその方法は大きく変えた方がよい。それもまた俳句史が教えてくれる残酷な真実だろう。
岡野隆
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