NHKニュース7
NHK総合 19:00~
NHK の夕方7時から始まるニュースは、やはり特別な番組だ。子供の頃からそうだったし、これからもそうだろう。何が特別かというと、「テレビというのは本来、これのためにあるんだっけ」と、実感する瞬間がある、ということだ。
テレビは本来、ニュースのためにある、という定義づけには、反発もあり得よう。ニュースならばラジオがもとよりあって、少なくともポータビリティではラジオに分がある。ドラマやドキュメンタリー、さらにバラエティといった視覚要素が欠かせないジャンルの方がテレビ的ではないか。
「テレビ的」という言い方は「映画的」と同様に、その機能を十全に発揮させ、作品 ( 番組 ) のテーマそのものとも密接に関わる表現形式を採っている、ということだ。「映画的」「テレビ的」という褒め言葉は、それが最も魅力的な表現形式だ、という意味になるが、しかし「最も魅力的」であることが、その存在理由そのものであるとは限らない。
ニュース・ショーといった言い方があるようだが、ニュースは一般に、起こった事実を伝える。事実というのは、端的に言語化できるものもあるが、言語化できないものも含まれている。ニュース映像もニュースの一部だ。その編集に意図が含まれていて、事実をねじ曲げる可能性があることは、よく議論されている通りである。
NHK の7時のニュースが NHK の存在理由であったということは、そういった映像の恣意性も、アナウンスの恣意性も、つまりは編集意図と呼ばれるようなものを極力排していたということも、確かに一つある。最近ではニュース・ショー的な売りもある、とアピールする気配もあるが、実際にはやはり、どの他局のニュースよりもプレーンだ。
NHK と言えば一般に、特定の商品名をアナウンスしない、というルールで有名だ。ときに笑ってしまうような苦心の言い換えが伝えられている。けれどもこれは存外に重要で、事の本質を示すのかもしれない。
NHK の番組で特定の商品名をアナウンスするということは、その商品の宣伝になるからだ、と考えられている。けれどもそうではなく、他の商品を排除する結果になるからだろうと思われる。宣伝が問題なら、特定の事務所に属する特定の芸能人を使うことも、大問題のはずだからだ。
そもそも「化学調味料」というべきところを「味の素」と言ったところで、それが味の素の直接的な宣伝になることなはい。が、結果として他の化学調味料の存在を無視することにはなる。「無視」は皆様から受信料をいただいている NHK としては、決してやってはいけないだろう。
NHK は権威としてではなく、基準としてあろうとする。そのプレーンさはニュースのアナウンサーなどにも現れていて、どの出演者もほとんど無個性な、同じ雰囲気を醸し出している。固有名詞を発しない、といった気遣いに、個性をすり減らしているのかもしれない。しかしそれは土壌であり、ルール、国是であって、そこから突出しようとする NHK アナウンサーは最後のところ、あまり愛されない。
われわれは紅白歌合戦以上に、NHK ニュース7の始まりに国民的一体感を感じるのだ。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■