明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー
毎年12月24日深夜(12月25日) 25:10~
毎年恒例。何よりも、変わらなさ感がいい。昔の映像と見比べれば、多少は変化しているのだろうが、明石家さんまも八木アナウンサーも、いつまでも歳をとらない。毎年毎年クリスマスはやってくるわけだが、変わらぬ行事として定着するのに、それはたいへん素晴らしいことだ。
クリスマスの不幸話というのは、特別な日における常同性、ということだ。何もよりによってクリスマスにそんな話を、というところで「笑い」に転ずる。本人にしてみれば結構ショックなことでも、考えようでは笑えるという、つまりはクリスマスに釣り合う程度の不幸だ。もちろん。クリスマスも誕生日もないような、深刻な話であるはずもない。
1990年からやっているが、その最初の年の放送をたまたま見ていた。何なんだ、これはと、ちょっと驚いた。今でも、あれは何だったのだろうと思う。とにかく、おかしくて笑い転げた。何事もスタートダッシュというのは、ああいうものだろうか。電話してきた一般の人たちが、どんな番組になるかもわからないのに、最初から狙ってネタを仕込んだとも思えない。
テレビ番組が祝福される瞬間、というものがあるなら、あれがそうだったと思う。電話で語られる一般の人の不幸話は巧まずして、信じられないほどオカシく、そうでもない話を切り捨てる明石家サンタの手際がまたオカシく、八木アナウンサーのフォローも最初からぴったりのリズムで決まっていた。
しかし何よりも明石家サンタの手により、不幸を認知する鐘が鳴らされた後、不幸者がパネルの番号籤から選んだプレゼントがなぜか話の内容とリンクしていて、どれも大爆笑を誘ったのだ。あれは妙なことで、実に不思議な晩だった。
「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」はそういうわけで、神に祝福されて始まった番組なのだが、もちろんそれは、ずっと続くことではない。
不幸話のテンションの低下は、一時は目を覆うほどで、それゆえにか芸能人枠が別に設けられ、現在に至るまで芸能人専用電話番号がある。顔を見知っている人の話は面白く感じやすいということか。また確かに笑わせるには話のテクニックも必要で、この場合にはテクニックを感じさせない朴訥さ、手短かに語る要領が望まれるだけだが、これがなかなか難しいとみえる。ある程度は芸能人を入れておけば計算できて安心、というのはわかる。が、ほとんどそればかりの年は、あろうことかチャンネルを変えてしまう。
今年の明石家サンタも無論、初年度ほどレベルが高くはなかったものの、芸能人枠も鼻にはつかず、例の「八木さんのファンです」といった内輪ノリもほどほどで、よかったと思う。一番感心したのは、あと一分の残り時間で、明石家さんまが無理矢理に一人を突っ込み、時間ぴったりでオチを付けたところだ。生放送、相手はど素人で、その不確定さを番組のテンションに変えようという意気込み。あえて計算しない、それが本物のプロだ。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■