今号では令和二年(二〇二〇年)七月十日にお亡くなりになった岡井隆さんの追悼特集が組まれています。お亡くなりになってあまり時間が経っていない時期の特集ですが意義ある内容でした。常識外れで無茶な放言は排除されますが歌壇は基本的に思っていることをストレートに表現できる風通しのいい風土です。個人的に仲が良かったか影響を受けたかということとは別に岡井さんに対しても忌憚のない考えが表明されています。
永田(和宏) 岡井隆を論じるのなら、最後まで論じなければあかん。だけど岡井隆の意義を論じるなら、『人生の視える場所』で終えたほうがいいと思う。今日は、岡井さんの何を残したいのかをはっきりさせる場だと思っている。後半の岡井さんが頑張っていたのはわかる。そこを無視したら岡井隆を全否定することになるかもわからないけれど、岡井隆を短歌史の上でどういうふうに残すのかははっきりした方がいい。(中略)
三枝(昴之) 岡井隆はどんな存在だったかという時、僕は『土地よ、痛みを負え』と『人生の視える場所』だと思っている。こういう完成度の高い作品を作った人が、なぜそうした世界を壊して別のトライを続けたのか、その意味は考えておく必要がある。
小池(光) 三十四冊歌集を残したけど、十七冊目の『神の仕事場』以降に十七冊の歌集がある。その後半の歌をどう評価するかという点がとても難しい。永田は前半だけでしゃべろうとしている。そうすると後半の十七冊は、誰も明確に読み解いたり批評したりするのを見ないんだけど、どうなんですか。
大辻(隆弘) (前略)九〇年代の岡井さんは、実験的に自己解体していった。二〇〇〇年代は、その収穫期だったと思う。二〇〇〇年代のベストは最後の『鉄の蜜蜂』だと思うけど、九〇年代の乱調があったからこそ、口語と文語が一体化した不思議な晩年の世界ができたと思うんです。(後略)
三枝 岡井隆がどういう成果を短歌の歴史に残したかと言うと、昭和三十年代を思想詠にしたこと、もう一つは復帰後の調べと人生を一つにした歌の美しさ。まずそこです。その後をどう評価するかは難しくて、後期岡井隆は短歌との向き合い方があきらかに違っていますね。(中略)短歌は、もの言いを楽しむ詩型なんだ、日常的なお喋りも短歌にすると別の味わいになる、そういう働きを自分なりに楽しむよ、という「楽しむ岡井隆」というキーワードで見たいと思っている。
(「追悼座談会 岡井隆の偉業」三枝昴之×永田和宏×小池光×大辻隆弘)
特集では三枝昴之さんと永田和宏さん小池光さん大辻隆弘さんの「追悼座談会 岡井隆の偉業」が組まれています。少し若い大辻さんを除いて三枝・永田・小池さんの基本的な考えは岡井短歌は前期と後期に分けた方がいいということです。前期に岡井さんの全盛期がありその代表歌集は第二歌集『土地よ、痛みを負え』と第八歌集『人生の視える場所』だということです。
これは現状ではおおむね正しい考えだと思います。〝現状では〟という留保をつけたのは二〇〇〇年以降のいわゆる高度情報化社会--ポスト・モダン社会の未来をわたしたちがまだはっきり掴めていないからです。現在進行形の新たな世界システム・文化の行く末がある程度定まれば後期岡井短歌の評価も自ずと見えてくると思います。
岡井さんは生涯に渡って変化し続けました。大辻さんは「岡井さんは「歌の理解魔」で、近藤芳美の歌を読めば近藤に、塚本の歌を読めば塚本に面白さを感じ自分も試作してみる。ライトヴァースも、村木道彦の口語歌を再評価するところからスタートした。九〇年代のニューウェーブへの傾斜は、加藤治郎さんや荻原裕幸さんの逆輸入だと思う」とも発言しておられます。このあたりに前期岡井隆だけでなく後期理解のヒントもあるかもしれません。
正直に言えば岡井隆はどこかいぶかしい。納得できないなにかを初期から発散していたように思います。戦後社会性短歌や前衛短歌の代表は塚本邦雄になると思いますが塚本の短歌は非常にわかりやすい。極端な作品は削ぎ落として点にまで思想表現を集約しています。しかし岡井さんにはそれがない。塚本と双璧と言われた時期もありましたがまずもって資質が大きく違っていたのではないかという気配があります。
「理解魔」――なるほど岡井さんの仕事をよく表した指摘だと思います。岡井さんは短歌だけでなく俳句や自由詩にも興味を持ち正岡子規論や宮沢賢治論などを書いておられます。晩年には詩集も何冊かお出しになった。しかし詩になっていない。また岡井さんの俳論や自由詩論を読んでも俳句や自由詩の本質を的確に捉えているように思えません。たいていの場合先行する読解評論に論旨を引っ張られそれを批判することで少しだけ新たな解釈を付け加えているのがほとんどでした。これは短歌にも言えるのではないでしょうか。これだけの大家に対して失礼に当たるでしょうが岡井さんは短歌の本質を真正面から捉えていたとは思えないところがある。なにか本質的なズレを感じてしまうのです。
このズレがはっきり露わになったのは二〇〇〇年以降だと思います。戦後文学が崩壊というより世界全体の変化によって霧散した時期に岡井さんは自らの資質を解放したような感じがあります。言葉で書くと批判しているようになってしまいますがその作品は放埒で無責任。でもそこに現代を捉えようとした戦後歌人の格闘があったと思います。楽に書いているようで規範がなくなった二〇〇〇年紀以降が最も岡井隆という歌人の資質が出た時期だったかもしれません。吉本隆明は『マス・イメージ論』と『ハイ・イメージ論』で思想家としての役割を終えましたが岡井さんは戦後文学の文脈で言えば廃墟になった二〇〇〇年紀以降に無茶な格闘をした。それは意味のあることだったと思います。
歌はただ此の世の外の五位の声端的にいま結語を言へば
岡井さんの思想歌の代表は「五位の声」になるのではないかと思います。よく知られているように五位は貴族の最下位です。貴族には違いないのですが王朝位階制度では最も位の低い貴族ということになります。では岡井さんが自らを卑下しているのかと言えばそうではない。「此の世の外の五位の声」とありますから現実位階制度とは別ということになります。しかしこのなげやりとも諦念とも矜持とも解釈できる意味多層的な喩的な言葉遣いに岡井文学の特徴があったと思います。岡井隆はスルリと抜ける。決定的なことを表現しているようで身動き取れないところにまで表現を追い込まない。もちろん岡井さんは優れた抒情歌人でもあり思想歌よりもそちらの方がこれからも愛され続けるだろう歌人です。
あの頃は楽しかったぞ目に青葉山ほととぎす啼いていたっけ
侮蔑してしまったことがあったのだ若気というを疾うに過ぎて
口惜しき思いをされたことだろう三鷹へ帰る夜道歩きつ
思想とは教えてくれよ岡井さん鞣した革の輝きですか
さにあらずさにはあらずよ思想とは脆くこぼれる鋼の艶よ
説を替える愉しみ君らは知らぬのかきりきり痛いほど痺れよ
暗黒とまぐわうように苦しげに痙攣をしつつ歌いているか
(福島泰樹「月光山日録「if」同人岡井隆に」)
これは勝手な想像に過ぎませんが福島泰樹さんが岡井隆文学に諸手を挙げて賛辞を呈することはないように思います。一九六〇年代以降の生きざま歌のありようがあまりにも違い過ぎる。ただ福島さんは岡井隆追悼歌を書いておられその内容は実に微妙なところを衝いています。これも友情ですね。作家は誉め合うことが友情には繋がらない。この追悼歌の骨格は文語体。文語体でなければこういう微妙は表現できない。
高嶋秋穂
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