私は今回の安井浩司「俳句と書」展スタッフの一人として、ギャラリーの店番をすることになったのだが、そのオープン当日のこと、思ったより早く設営が終わって昼食をとり、開展の午後1時を過ぎたあたりからだろうか、ギャラリーにはどうにも落ち着かない緊張感が漂い始めた。「来廊第一号はいったいどなたなのだろうか」。おそらく誰でもこうした状況では同じような緊張を強いられるのであろう。特に初日の今日は夕方6時から近くのホテルでオープニングレセプションがあるため、お客さんの出足もそれに合わせてか、どうしても遅くなりがちであったのだ。
売約済みのシールがないのに気付いて近所の伊東屋に買いに出かけた私が、ギャラリーの階段を下りてドア越しに店内を見ると、ショートカットの小柄な女性がひとり、腕を組んで展示品の書軸を眺めていた。ニットのセーターにジーンズという、いかにも普段着で来ましたといった自然な着こなしからは、あたかも草原に立つバンビのような凛とした爽やかな印象を漂わせていた。芳名帖の名前を覗き込んで納得した。この来廊第一号の女性は、俳人の津沢マサ子さんだった。一緒にいらしていたお二人はどうやら津沢さんの息子さん御夫婦らしい。同じようにジーンズ姿のこちらの御両人も、肩肘張らないリラックスした雰囲気でオープンしたばかりのギャラリーの空気を和ませてくださった。
なぜ津沢さんと知って納得したかというと、かつて俳句同人「俳句評論」に属して師である高柳重信の薫陶を受け、安井浩司氏とはいわば同じ釜の飯を食った者同士だからだ。当時の俳句評論といえば花鳥諷詠全盛の俳壇に正面から戦いを挑み、文学たるべき俳句における知的かつ冒険的な俳句革新を目指した頭脳集団だ。つまり津沢さんと安井さんとは、俳句戦線の最前線で戦った戦友といってもいい。もちろん津沢さんのハツラツ振りは人柄に他ならないが、その小柄なからだには前衛としての血がたぎっているように見えた。
「おいくつになられましたか」と顔見知りの女性スタッフが尋ねると、「85.5歳です」と津沢さんはおどけたような表情で答えられた。「もう半分惚けてるから。大切なことは忘れちゃうけど、どうでもいいことだけは忘れないのよねえ」とよく通る声でおっしゃられた。もちろん「半分惚けているから」は御冗談で、話題は若かりし頃のエピソードへと広がっていく。エピソードといっても俳句の話ではなく、どちらかというと武勇伝といったほうがいい。津沢さんは保険の営業の仕事をしていたらしく、自転車を乗り回しながらの活発な営業ウーマンだったという。「ときどきダンプに乗って仕事してたんだから」。よく聞いてみると顧客がたまたまダンプの運転手で、忙しい時間を少しでも無駄に使わせぬようにと、ダンプの助手席に乗り込んで保険プランの説明をしていたというのだ。行動派の津沢さんは、同時に心遣いにも長けた有能な営業ウーマンだったようだ。
安井さんに一目会ってから帰りたいという津沢さんは、付き添ってきた息子さん夫婦をいったん帰らせてひとりで待っていらっしゃったが、おしゃべりの合間にふと一本の軸に目が止ったようだった。何気なく津沢さんの視線を辿ると、その行き着いた先の軸には次の一句が書き留められていた。
まひるまの門半開の揚羽かな 浩司
「まひるま」という柔らかなかな文字と取り合わされた華やかなアゲハ蝶に、女性として歩んでいらっしゃった御自分のお姿が重なり合ったのかもしれない。沈黙がきっかり90秒続いた後で、津沢さんは軸からその下に並んだ色紙額へと視線を移した。そして、同じ句が書かれた色紙を見つけるや否や、「これ持って帰ります。」とおっしゃった。聡明な津沢さんらしい、迷いのない御判断だった。
「門」といえば津沢さん御自身の句にも門で始まる句がある。
門を出てわれら花見に死ににゆく
津沢さんの代表句の一つだ。先の安井さんの句は、真夏の太陽が南中する一瞬、ゆっくりと開き始めた門がちょうど半開きになったところで一匹のアゲハ蝶が現れるという、白昼夢を思わせるような一句だが、春の花見と夏の真昼間という季節の違いはあっても、それぞれの句の舞台装置として登場する「門」が、生と死の接点を象徴しているのは明らかだ。だが、安井さんの句が全体として霊的なイメージをまとうことで白昼に立つ陽炎のように死を漂わせているのに対し、津沢さんの句は、花見という日常と死という非日常を、門を出て行くわれらという現実の世界の中にむりやり同居させてしまう。それは日常にこそ死が潜んでいるという、津沢さん特有の死生観によってもたらされたものといえよう。いや、それは津沢さんの死生観というよりも、津沢さんの肉体感覚そのものである。
結局その日、津沢さんは安井さんと再会することはできなかった。待ちくたびれた津沢さんが、息子さん夫婦が迎へに戻ったのを機に帰ろうと言い出したのだった。安井さんの新幹線が遅れて、ギャラリーへの到着が遅くなったのだ。あきらめた津沢さんは、額の入った箱を息子さんに持たせて、さっぱりとした表情でギャラリーを後にした。その背中には、気風のいい女流俳人の生業がはっきりと映っていた。
田沼泰彦
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■