今号の特集は「没後30年 前川佐美雄」です。明治三十六年(一九〇三年)生で平成二年(一九九〇年)没。享年八十七歳でした。人間は死ぬ時を選ぶのは不可能ではないのですが生まれて来る時と場所を選ぶことはできません。戦前生まれの作家の場合は第二次世界大戦(太平洋戦争)の時に何歳だったのかが運命の分かれ道になります。佐美雄は開戦時(昭和十六年[一九四一年])に三十八歳だったので兵隊に取られませんでした。もう少し若かったら戦争末期には招集がかかっていたでしょうね。
戦中に壮年であっても徴兵年齢であっても少年少女でも皆さん苦労なさったわけですが青年期が大正デモクラシーに重なっている世代は比較的幸せだったかもしれません。日本は明治維新以降の急激な欧化主義の歪みが澱のように吹き出したように昭和の初め頃から信じられないような狂信的皇国主義に突入していきます。あの時代を経験した人ですら「あれは何だったのだろう」と考え込んでしまうような異様な時代でした。
しかし昭和十年代から終戦までの十年ちょっとの方が異常だったのでありそれまでの日本は比較的リベラルでした。小林多喜二が特高に検挙され拷問死したのは昭和八年(一九三三年)ですがまだそれを批判する声を上げることはできました。十年代になると難しくなります。あの小熊秀雄ですら沈黙せざるを得なかった暗黒時代です。
佐美雄は佐佐木信綱の「心の花」で歌人デビューしたわけですが短歌に留まらず詩人や小説家など様々な作家と交流したことが知られています。モダニズムやダダイズムやシュルレアリスムといった欧米文化に影響されただけでなくプロレタリア歌人同盟の結成にも加わっています。詩人か小説家に限らず作家が自己の表現ジャンル以外の作家たちと密に交流した時代は大正モダニズムと戦後六〇年代のアヴァンギャルド時代だけです。佐美雄はわたしたちにとっては歌誌「日本歌人」を創刊してそこから塚本邦雄や前登志夫や山中智恵子らを輩出した大先生の印象が強いですがその素地は大正モダニズムの自由な気風にあるでしょうね。
ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる 『植物祭』(昭和五年[一九三〇年])
いますぐに君はこの街に放火せよその焔の何んとうつくしからむ
佐美雄処女歌集『植物祭』所収でよく知られた歌ですが特集で三枝昴之さんが「ひじやうなる」はロートレアモン『マルドロールの歌』が下敷きになっていると書いておられます。言われてみれば「あーなるほど」ですね。「いますぐに」の方はマリネッティ『未来派宣言書』からインスピレーションを受けているようです。佐美雄は戦後前衛短歌の先駆者と言われますが昭和初年代という時代を考えれば『植物祭』の表現は新しかった。大胆な表現でした。
いちまいの魚を透かして見る海は青いだけなる春のまさかり 『白鳳』(昭和十六年[一九四一年])
モダニズム詩にはなぜか海や青のイメージが多いですね。「しんしんと肺蒼きまで海のたび」篠原鳳作(昭和九年[一九三四年])や「ちるさくら海あをければ海へちる」高屋窓秋(昭和七年[一九三二年])などがすくに思い浮かびます。なにか遠くのものを見ているような気配が海や青を生み出しているようです。世界が狭くなり世界中の情報を文字でも動画でも即座に入手確認できる現代では〝彼岸〟としての「海」や「青」は昭和初年代ほどの説得力を持たないかもしれません。
ただ斬新ですが佐美雄のモダニズム短歌はそれほど数が多くありません。個性の強い作家たちと密に交流した人ですが自分を失うほどの影響は受けていません。骨格が歌人だと言っていいところがあります。
胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし 『植物祭』(昭和五年[一九三〇年])
ゆく秋のわが身せつなく儚くて樹に登りゆさゆさ紅葉散らす 『大和』(昭和十五年[一九四〇年])
春がすみいよいよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ 同
いずれも初期の代表歌ですが空虚が主題になっています。佐美雄の内面が空虚だったと言っているわけではなくこの歌人は案外自我意識の主張が薄い。もちろん痛切な感情を詠んだ歌もありますがそんな場合でも刹那の感情の高まりを自然に沿って空に昇華させようとする志向があります。
特に「春がすみ」はよく知られた歌で様々な解釈が可能ですが霞で視界が閉ざされたらそこに「大和」があると思えという表現は示唆的です。佐美雄の故郷が奈良の大和だったからという単純な歌ではない。「大和」に表象される〝定点〟があるということですね。そしてその定点は強い求心力を持ってはいても明確な姿を取らなくてよい。明るい真昼間にそれは〝在り〟かつ見えなくてよいのです。
斬新な表現を好み生み出した歌人ではありますが佐美雄短歌は意外と写生だと思います。自然描写の活用が非常に上手い。初期はモダンが目立ちますがそれだけでは続きません。佐美雄は多作で単独歌集を十四冊刊行しています。うまく年を取ったなと思える歌人です。もちろんそこには若さの免罪符ではしゃぎ過ぎなかった佐美雄の的確な知性があります。
われ死なばかくの如くにはづしおく眼鏡一つ棚に光りをるべし 『捜神』(昭和三十九年[一九六四年])
夕焼けのにじむ白壁に声絶えてほろびうせたるものの爪あと 同
さむざむと時雨する日に菊膾食うべてゐればむかしに似たり 『白木黒木』(昭和四十六年[一九七一年])
古ぐにの紅葉も見しと夜を眠る頭のなかの闇きほそみち 同
敗戦は佐美雄に非常なショックを与えました。戦後になると死や孤独を題材にした短歌が増えます。ただそれは「はづしおく眼鏡一つ」と物に憑き、「白壁」の「爪あと」の事後で表現されます。絶唱のようで絶唱ではないのですね。強烈な感情を直に表現せずに日常世界に逃がしてやる。ただその風景は「頭のなかの闇きほそみち」につながっています。
「さむざむと時雨する日に菊膾食うべてゐればむかしに似たり」は個人的にとても好きな句です。家族とではなく一人で膳に向かっている雰囲気です。そして「むかしに似たり」の「むかし」はどこまで時間を遡ってゆくのかわからない。でも食事は生の生です。しかし菊膾は日常的には食べない淡い料理です。また膳の上に菊膾以外の食べ物が乗っている気がしない。複雑に楽しめる歌です。
奈落におちおちてそのまま燃えずいつか隕石のやうに冷えたる 『松杉』(平成四年[一九九二年])
『松杉』は死後刊ですから最晩年の歌ですね。「奈落におちおち」ですから落下は進行形と受けとめることができます。そして最後には「隕石のやうに冷えたる」。〝何が〟という主語は示されていませんがそれに当てはまるのは佐美雄自身しかないでしょうね。冷え寂びだな。改めて読んでみて「ああお見事」と呟きました。
高嶋秋穂
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