今号では「われら20代俳人」の特集が組まれていて、二十四人の若い俳人が作品を書いている。一人五句と限られているが、いずれの俳人も頭を悩ませできる限り納得のゆく作品を寄稿しておられるだろう。ただ現代は――俳人に限らないが――なかなかオリジナリティを発揮するのが難しい時代である。
若い詩人にわたしたちが期待するのは新しさである。大別すれば、この新しさには作家固有の新しさと現代的な新しさの二種類がある。作家固有の新しさは作家独自の感性や思想から生じる。この作家固有の感性・思想は時に作家自身にとっても逃れがたい偏りであり、比較的若い頃から作品にはっきりした特徴と高い完成度を与えることがある。しかしそういった資質を持った作家はいつの時代でも少ない。
現代的な新しさは――もちろん作家固有の感性・思想も含むが――過去の詩作品の遺産を総括した上で、その基盤に立脚して現代ならではの新しさを表現しようとするものである。プライベートな感性・思想ではなく、パブリックな視点を重視して現代を捉え表現しようとする知的な作家の作品だと言える。ただ現代を正確に捉えるのは大問題である。多くの人が取り込んでいるがまだ一定の道筋すら見えていない。当分文学者の試行錯誤が続くだろう。
今回のようにほとんどの俳人が処女句集を上梓していない二十代俳人の場合、作家固有の新しさ、知的な現代性、いずれの場合も荒削りになる。当然だが作家自身がその方向性をはっきり定めるのは処女句集梓によってである。処女句集でそれまでの作風とガラリと違ってしまう俳人もいる。ただ未完成でも作家の生地はある程度は透けて見える。
鈴虫の羽の先より朝となる
窓際のひかり束ねるかりんの実
天高しリフトに足をあそばせて
水晶にふくらむ秋の嵐かな
サンルーフから手を振るや星月夜
(郡司和斗「サンルーフ」)
郡司和斗さんは一九九八年生まれで「蒼海」「歌林の会」「松風」所属。馬場あき子さん主宰の歌林の会にも所属しておられるので、俳句も短歌も詠む作家のようだ。情報化時代で創作方法だけでなく、各ジャンルに関する様々な情報を簡単に入手できるのだから、若い頃に複数の文学ジャンルを手がける作家は今後増えるかもしれない。また様々な文学ジャンル混交や越境の試みが為されているにもかかわらず、結局のところ文学ジャンルが消滅しないのは、それぞれのジャンルで表現できる内容が異なるからである。複数の文学ジャンルを試してみるのは各ジャンルの特性を把握するのにも有用だろう。
郡司さんの俳句は基本的に有季定型でスッキリしている。作品の完成度も高い。新しさという面では物足りなさも感じるが、安定して創作ができる作家だと思う。もちろん俳句の表現はこんなものと見切ってこの作風なのか、俳句文学の特徴を捉えてこの作風に抑えているのかはわからない。ただどのジャンルでも一定の基盤はある。俳句の基本は有季定型を逸れることはないので、郡司さんのようなタイプの作家がきちんと俳句を下支えしてゆくのではないかと思う。
梅ひらききつて力は青空へ
菜の花のとほくに見えてここも雨
雨の階段あたらしくぶんぶんが死ぬ
眠気ともちがふ野菊の咲きにけり
初風の日向に落とす両まぶた
(今泉礼奈「眠気」)
今泉礼奈さんは一九九四年生まれで俳句結社南風所属。今泉さんの句も基本有季定型だが、新しさへの指向はハッキリ読み取れる。「梅ひらききつて力は青空へ」にあるように〝新たな力〟を秘めている。それは「とほくに見えて」「眠気ともちがふ」といった表現にも表れている。もっと高い所へ、もっと遠くへと俳句表現を導こうとしている気配だ。ただまだ焦点が合っていないから「ちがう」という表現になる。
「雨の階段あたらしくぶんぶんが死ぬ」は最も今泉さんらしい句だろう。コガネムシをあえて「ぶんぶん」と表記し、それが「あたらしく」「死ぬ」と表現しておられる。「あたらしく/死ぬ」は「眠気ともちがふ」と響き合っているわけで、このあたりが今泉さんの正念場になるかもしれない。
今泉さんが表現しようとしておられる他者とは違う独自の表現欲求がもっとはっきりすれば、句はさらに魅力を増す可能性がある。もちろん今泉さんが抱いておられる微かな違和を、どこかの時点で従来的な俳句作法と折り合いをつけてしまえば、句はごく普通の有季定型になる可能性もある。
間違へて幾度と春の海に着く
君がわたしを君と呼ぶ詩にあげはてふ
一日を透けては濁る水母かな
どの秋果に似てゐる心なのだらう
耳当の外より道を聞かれけり
(野名紅里「透けては濁る」)
野名紅里さんは一九九八年生まれで俳句結社「秋草」所属。杓子定規に言えば有季定型だが、すべての句が野名さんの心象、つまり内面風景である。「一日を透けては濁る水母かな」は秀作だが、苦心の作でもあるだろう。こういった作品のように、作家の内面を短い俳句に仕上げてゆく(言語化)してゆくのは手間がかかる。ほぼ必然的に寡作になってしまううらみがある。寡作になると何が起こるのかと言えば、句を自在に詠めないというフラストレーションが溜まる。初発には新たなきらめきを抱えていた俳人が、いつの頃からか普通の写生俳句に移行してしまうのはそのためである。
「どの秋果に似てゐる心なのだらう」という句は野名さんには思い入れのある作品ではないかと思う。考えに考え試行錯誤を重ねた末に、放り出してしまうように呟きのようなこの句が生まれたのではないかと思う。もちろん作家の「心」はどの秋果にも似ていない。作家は苦しいかもしれないが圧の高い作品はやはり魅力がある。
注意事項に豚と母性と金閣寺
コンビニの世紀コンビニで母殺され
剥がすべき国旗のシール 現代鳥葬
蒲公英に無限軌道はためらいの褒美
大腿部見せ酒でも飲むかMishima-sanの忌
(髙田獄舎「Mishima-san」)
髙田獄舎さんは一九九二年生まれで「海程」所属の後、現在無所属。「獄舎」といういささか奇矯なペンネームからもわかるように、無季無韻の前衛系の俳句である。冒頭の句に「金閣寺」があり最後の句が「Mishima-sanの忌」で締められてるわけだから、三島由紀夫文学がお好きなのだろう。ただ今回の五句からは、髙田さんの三島への強い思い入れや、三島文学の特徴解釈などは読み取ることができない。自死による滅びの象徴として三島由紀夫が持ち出されている気配だ。
今回の五句で髙田さんにとって一番重要なのは、「蒲公英に無限軌道はためらいの褒美」だろう。キャタビラーではなく「無限軌道」と表記しているのは〝無限に変わり続けること〟を強調したいからだろう。しかしそれは「ためらい」だと受けられ、さらに「褒美」なのだと転調してゆく。そして句を統括しているのはいつの時代でも咲いている、なよやかでささやかな「蒲公英」である。
当たり前だが前衛系の俳句は、人とは違う作品を作りたい、突出した表現を為したいという作家の意志がなければ生まれない。ただ突出した表現を得るのはそんなに簡単ではない。奇矯なイメージや言葉を使いながら、作品全体としては〝決定的な事柄はなにも表現しないモラトリアム〟になりやすい。ただ髙田さんのような思い切った試みから新たな表現が生まれて来ることはしばしばある。「獄舎」が諦めを象徴するペンネームではなく、新たな表現に強く囚われた作家の強い意志を表すなら、決定的な何かを表現するまで前衛的試みは続くだろう。
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る
てざわりがあじさいをばらばらに知る
泉少しどもる少し話したいんだと言う
をあきのあぜと書く 裂け目
焚き火からせせらぎがする微かにだ
(福田若之「『自生地』より」)
福田若之さんは一九九一年生まれで俳句結社「群青」と俳句同人誌「オルガン」所属。口語俳句で、少し前のニューウェーブ短歌(口語短歌)と響き合っているようなところがある。俳句を口語で書けば、当然作品は現実の表面的な瞬間を切り取ることになる。「泉少しどもる少し話したいんだと言う」は「泉」という他者と水が湧き出る泉のダブルミーニングで泉=季語・夏である。
俳句ではけり・かな・やの切れ字を始めとして、基本文語体で書くのが基本である。ヘップバーン俳句など、過去に数々の口語俳句の試みが為されたが、いまだ市民権を得ていない。
略歴によると福田さんは句集『自生地』によって第六回与謝蕪村賞新人賞を受賞しておられる。今回の五句はは句集『自生地』からの抜粋のようだ。句集の宣伝のために新作ではなく旧作を抜粋したのか、新作を書けなかったのかはわからない。ただ口語俳句がいまひとつ市民権を得られないのは、口語で書くと、どうしても俳句ならではの深みが失われてしまうからである。すでに句集を上梓しているならなおのこと、福田さんには独自の道の新しい俳句を生み出していただきたい。
岡野隆
■ 金魚屋の本 ■