今号はいろいろ考えさせられる特集が組まれていた。句誌の特徴として、俳句界が俳句初心者のためになる特集を組んでいるのは当然である。ただ若い俳人と、ある程度の年齢を重ね、生きがいとして俳句を始めた初心者では夢となるような目標が当然違う。俳句は余技と捉えている人が俳句に求める役割も違う。外から見ると俳人はみな一緒に見えるが、一人として同じ立場の人はいないのだ。統計調査などでサラリーマンの平均年収などが報道されても、ほとんどのサラリーマンがピンと来ないのと同じだ。人間はそれまでの人生に雁字搦めに縛られていて、他者がどうであろうと自分が進むべき道は限られている。
新しく「風野薫」になった薫さんはあれこれ考えて、句集専門の出版社からソフトカバーで出すことにした。「先生、序文をお願いします」というので、これは結社に決まりがあるから、それに従ってくださいと答えた。跋文や栞も同様だ。句集ができたら読んでほしい方々に送りたいとすれば、その郵送料も考えておかなければならない。
「だんだんできてくると大変ですね。でも、ハワイに行くよりずっと楽しめるわ」と薫さん。
一ヶ月後に出版社から「初校」が送られてきた。(中略)だが、あれほど気をつけたのに、たくさんの間違いがある。それをひとつひとつ赤ペンで校正する。こうして句集の全体を見ると、ロマンチックな句より姑を見送った切実な句に佳句がある。
看取りして見送つて来し夏野かな 風野薫
「薫さん、これは良い句ね。句集名『夏野』はどうかしら」
「私、これが一番好きな句なんです。あの日を思い出すと今でも涙が湧いてきます」
「じゃ決まりね。『風野薫句集 夏野』」
「わあ、嬉しい。急に現実なんだっていう気がしてきました。早速『あとがき』と『略歴』にかかります」
(辻桃子「初句集への道のり」)
俳句結社「童子」主宰の辻桃子さんが、結社員の風野薫さんの処女句集『夏野』を上梓するまでの経緯をまとめたエッセイである。辻さんが選句から推敲、誤字脱字などの校正、ペンネームや句集タイトルまで親身になって指導しておられることがわかる。風野さんも辻主宰の熱意にこたえながら大きな歓びをもって処女句集を作っておられる。理想的な師弟関係だと思う。
もちろん風野さんの句集は自費出版である。辻さんは句集専門の出版社に紹介したと書いておられるが、その方が安全だ。句集に限らず本を自費出版する人は印刷費の相場を知らないことが多い。一〇〇ページ、二〇〇ページの本を出すのに三〇〇万かかった、四〇〇万かかったという話を聞くことがあるが、ちょっと商業出版を思い浮かべてみれば、そんな額になるはずがないことはすぐわかる。
仮に一〇〇〇部刷るのに二〇〇万かかるとすれば、一冊当りの単価は印刷費だけで二〇〇〇円になる。出版社の粗利を六〇パーセントとすれば、一冊三三〇〇円の定価でなければ印刷費すら回収できない。だが商業出版では三〇〇ページくらいの本でもせいぜい二五〇〇円程度なのだから、逆算すれば印刷費がどのくらいかわかるだろう。ソフトカバーの本で二〇〇部印刷なら、印刷費は高くても五〇万というところだ。ただし句集専門の出版社で自費出版すれば一〇〇万以上はかかるだろう。これは小規模とはいえ書店に本を配本したり、出版社が持っている句誌の書評などで句集を紹介する費用も含まれていると考えれば納得がゆくはずだ。
主宰に序文を依頼したりすればその謝礼も発生する。ただその大半は結社の運営費などに回されるはずで、陰に日向に結社員にその恩恵が返ってくる。地方で結社句会を開くにしても、結社主宰パーティをホテルで開催するにしても費用はかかる。現実問題俳壇は結社中心に動いていて、メディアなどで活躍するにしても賞を狙うにしても、大結社に所属しているか。小規模でも結社主宰になった方が圧倒的に有利なのだから仕方がない。この仕組みは一朝一夕には変わらない。そういうものだと思い、結社に所属する時は師をよく選び、いったん結社に入ったら得られる限り師の教えを吸収した方がよい。
もちろん若くて新しい俳句を詠みたいと意気込んでいる俳人は、結社に所属していても主宰とぶつかることがあるだろう。同人誌などに所属している俳人の場合は自由詩の詩人と同様に、基本的になにからなにまで自分で決めてゆかなければならない。大結社に所属するよりも俳人として頭角を現すのが難しいのは言うまでもない。
ただいずれにせよ俳人は自費出版で本を出すのが普通だ。結社員が多く、新聞などで投稿欄の選者をしていればそれなりに本が売れるから企画出版になることもある。しかし売れ部数は多くない。句集がベストセラーになるのは宝くじに当選するよりも確率が低い。
これは絶望的な事実なのか。文筆で食べてゆくことを夢見ているのならその通りだろう。ただ九九・九パーセント以上の俳人にとって事実なのだから、創作活動のいずれかの時点でこの残酷な事実と折り合いをつけてゆかねばならない。俳人は、俳句を書かずにはいられないという強い創作意欲しか頼りにできないのだ。金であれ俳壇的出世であれ現世欲を先行させれば必ず創作のモチベーションは下がる。
音符らに置いて行かれる初舞台
楽屋無しリハ無しへ行く北風の国
鼻母音の上手く歌える秋刀魚かな
藤田三保子
今号には「俳句で音楽鑑賞」の特集が組まれていて、女優でシャンソン歌手の藤田三保子さんの作品が面白かった。明らかに藤田さんの実体験に基づいて詠まれた句である。
大多数の俳人が実生活をきっかけに俳句を詠む。しかし藤田さんのように鮮やかにある場面を切り取ったような俳句は稀だ。なぜか。作品意識がある場面をストレートに表現するのを妨げるのである。テニオハを直し言葉を入れ替え、より洗練された表現に推敲してゆくうちに、作品が当初の生活の場面から離れてしまうことはままある。
もちろん修辞を磨くことは俳人にとってとても大切である。ただし名人と呼ばれる俳人の句が、しばしば修辞を無視した破綻すれすれのところで成立していることも考えなければならない。中途半端なテクニックは表現の妨げになることもある。だから俳句を余技で書いている人の作品の方が一般的人気が出たりもするわけである。
魯山人は「プロの陶芸家の焼物とプロの書家の書ほどつまらないものはない」と言ったがある程度は当たっている。本当のプロとはテクニックの上限を突き抜けて、いっけん下手に見えるような作品をも生み出せる人のことだ。上手で固まってしまえばそれ以上の上達――つまり俳句という雁字搦めの形式の中で自由を得られない。
名月や両手で享くる飯茶碗
天上に咲くべき色を桔梗かな
荒神を祀り火を焚く秋の暮
秋篠光広
台風の轟音立てて接近す
台風禍言葉掛け合ひ励まして
豪雨来て夏空凝視立ち尽す
塩川雄三
祈りとは崩土の上の蛍草
地震のあとにこゑをあげだす貝割菜
より強し野分のあとの赤ん坊
森野稔
今号三つ目の特集は「緊急特集 天変異変」である。俳句は生活に密着した表現のせいか、俳人たちは天災を詠むのが好きだ。東日本大震災の時も震災を題材にした句集が複数冊出版された。ただ天災を句題にしたからよい句が生まれるわけではない。
特集から三人の俳人の作品を引用したが、秋篠光広さんの句は天災を抽象化したもの、塩川雄三さんの句は天災の渦中を表現した作品、森野稔さんの作品は天災が終息した後を詠んだ句である。天災を句題とする場合は大別してこの三つの方法になる。ただ俳句は現実風物の描写が主体になるので、震災で生じた人々の大きな心の動揺を捉えきれないうらみがある。
吹雪くなか来る人はみな頭垂れ、春の蕨のごとく頭垂れ
流されて家なき人も弔ひに来りて旧の住所を書けり
沖さ出でながれでつたべ、海山のごとはしかだね、むがすもいまも
柏崎驍二
柏崎驍二さんが東日本大震災後に詠んだ短歌だが、その切迫感は俳句とは比べものにならない。渦中で詠まれたのか事後に詠まれたのか、あるいは天災を抽象化しているのかを分類する必要もない。俳句に限らないが、技術的に分析できてしまう作品はどこか物足りないものである。
高濱虚子は「天災は俳句にならない」と言って関東大震災をほぼスルーした。俳句という短い表現では〝天災〟というリアルなテーマを意識すればするほど作品がこじんまりまとまってしまうところがある。目の前の天災に囚われていたのでは良い句が書けないのであれば、高く高く天災の句題を抽象化すべきなのかもしれない。
岡野隆
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