前後編に分けて川名大さんの「「支那事変六千句」八十年目の真実―皇軍へのバイアスと捏造―」が掲載された。川名さんは昭和十四年(一九三九年)生まれで重信門だが、最近では珍しい俳句を書かない俳句専門の評論家である。ここしばらく戦中の俳句を精力的に研究しておられ今回の評論もその一貫だ。
角川俳句に限らないが、商業句誌は作品を除けば初心者向け俳句添削講座で埋まっている。それを俳論と称しているわけだが、テニオハを直してマシな俳句に近づけているだけで俳句とは何かを論じる俳論ではない。添削講座を本にまとめたとしても、著者名が違うだけでどれもこれも千篇一律である。また過去の有名俳人の作品や俳論を散りばめて権威付けしながら、大半がわかりきった技術指導を行うわけだから俳人も楽だ。勢い原稿は書き捨てになる。
俳人は口を開けば俳句は五七五に季語の形式で最短の詩であると言う。なぜ五七五に季語で、短いのに詩になるのかを本気で論じるのが俳論である。もちろん時間と労力がかかる。しかし原理的な俳論は一冊書けば必要十分だ。本にまとめれば二度繰り返せない。一人の著者の一冊限りの本気の詩論になる。いつまでも俳句は五七五に季語の形式だと言い続けられるのは、俳句の本質を掴んでいないからである。あるいは本質など知らない方が都合がいいからである。また俳句本質を認識把握できる知性を持っているなら、俳論と称する添削講座を書いて一生を終えるのは耐え難いでしょうな。
もちろん俳壇は初心者におんぶに抱っこで保っているわけだから、俳句添削講座は必要である。しかしたまには時間をかけた俳論を掲載した方が雑誌の格が上がる。川名さんの興味は次々に移り変わっていて、基本的に同じことを繰り返していない。またその評論は時間と労力がかかっている。短い俳句と同様にすぐに息切れしてしまう俳人の書き捨て散文とは違うわけで、俳句について考えるためのヒントを数多く提起してくれる。
戦争俳句は、中国各地に出征した将兵たち(主に出征俳人たち)が現地で詠んだ「前線俳句」(従軍俳句)と、日本国内の俳人たちが戦争に関して詠んだ「銃後俳句」(戦火想望俳句を含む)に大別される。
では、この「三千句」と「新三千句」(いずれも改造社俳句総合誌『俳句研究』の特集)のデータは俳壇における「前線俳句」と「銃後俳句」の数を反映したものなのだろうか。このデータを根拠にして、「前線俳句」の方が多く、戦局が進むにつれてますます多くなると主張する論者もいる。だが、わたしはその見解には以前から懐疑的だ。(中略)「前線俳句」は将校のヒエラルキーを反映した編集であり、また、「皇軍の戦争目的は着々と収められ(略)戦線に己を捨てゝ戦ひつゝある英雄詩人たる将兵諸君の戦線俳句」といった編集後記の文言から推して、戦勝や戦意高揚を意識して「前線俳句」にバイアスをかけたと推測されること。出征した兵士は東北地方の農村の若者が多く、俳句に親しむリテラシーは十分でなかったろうことなど。これらが懐疑的であることの根拠だ。
(川名大「「支那事変六千句」八十年目の真実―皇軍へのバイアスと捏造―」)
川名さんはまず、戦中に書かれた俳句で「前線俳句」と「銃後俳句」のどちらが多いかを明らかにしている。川名さんが予感した通り、『俳句研究』といった俳句総合誌(商業句誌)だけでなく主要な結社誌を調査してゆくと、圧倒的に「銃後俳句」の方が多い。やはりと言うべきか、当局による国民総動員のバイアスがかかっていたのである。ではどういった「前線俳句」や「銃後俳句」が書かれていたのか。
■前線俳句■
弾の音晩凉の夜をこだませり 熊谷茂茅
馬ゆかず雪はおもてをたゝくなり 長谷川素逝
凍る断層黄河文明起こりし地
かをりやんの中よりひかれ来し漢
汗と泥にまみれ敵意の目を伏せず
はればれあけぞらを仰いだ歩哨でした 尾崎善七
さめても子の夢を瞼にしづかな雨音を支那
木の芽またうそになるか凱旋の淡いのぞみだ
落日をゆく落日をゆく真赤い中隊 富澤赤黄男
やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ
灯はちさし生きてゐるわが影はふとし
闇ふかく兵どどと著きどどとつく 片山桃史
■銃後俳句■
兵隊が征くまつ黒い汽車に乗り 西東三鬼
空爆に白炎の街ぞかしぎたる
爆撃機青天に去り人ら飢えぬ
白栲のみ霊に菊は日を湛え 佐々木巽
未亡人泣いてみ霊を大きくす
菊咲けりよくぞ召されて人征きぬ すゞのみぐさ女
ばんざいのばんざいの底にゐて思ふ
銃後と言ふ不思議な街を岡で見た 渡辺白泉
提灯を遠くもちゆきてもて帰る
砲撃てり見えざるものを木々を撃つ 三橋敏雄
雪へ雪ふる戦ひはこれからだといふ 種田山頭火
山陰線英霊一基づつの訣れ 井上白文地
英霊下車二等乗客総起立
はじめて握る手の、放てば戦地へいつてしもう 松尾敦之
はげしく目が目をさがすばんざいの怒濤の中
銃後俳句ではっきりとした翼賛句は、すゞのみぐさ女の「菊咲けりよくぞ召されて人征きぬ」くらいである。しかし同じ作家が「ばんざいのばんざいの底にゐて思ふ」と含みのある句を残している。よく知られているように昭和十五年(一九四〇年)に新興俳句弾圧事件(京大俳句事件)が起こった。銃後俳句を書いていた西東三鬼、渡辺白泉、井上白文地らが治安維持法違反容疑で検挙されたのである。そのため新興俳句(京大系銃後俳句)は反体制だったと思われやすい。しかしあからさまな反戦句はほとんどない。解釈によっては反戦的な体制批判句と読める程度である。それは前線俳句と比較するとよりはっきりする。
尾崎善七の「木の芽またうそになるか凱旋の淡いのぞみだ」は体制批判句と読めないことはない。長谷川素逝「汗と泥にまみれ敵意の目を伏せず」、富澤赤黄男「やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ」には反戦とまでは言えないが、明らかに厭戦の感情が表現されている。しかし兵士の句は反戦とも厭戦ともみなされなかった。皇軍の兵士として身を挺して戦場に立つ者らの俳句は、体制側の判者によって社会的文脈では読まれなかったのである。
実際新興俳句弾圧事件で検挙された俳人で、戦後に反体制活動に参加した者は少ない。反体制句として最も有名なのは白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」だろうが、体制批判句かどうかは判者の主観に大きく左右される。「銃後と言ふ不思議な街を岡で見た」と同様に、戦時という世相を不思議そうな目で見つめて写生しているとも言える。実際に従軍した俳人にとっても銃後の俳人にとっても、戦争は一筋縄ではいかない。
○『俳句研究』―「馬肥ゆる秋、北支・南支の戦況愈ゝたけなは。――出征された俳人諸氏の武運長久を祈念するのみ」
○「京大俳句」―「私達が戦争を詠ふことによつて、1、伝統の徒のなし能はざる戦争俳句を作り出し、2,今尚ともすれば認められる伝統俳句的観念をキレイサツパリ精算し、3,無季俳句を再認識再建設し、4,今日以降の新興俳句を強化し、たいと思ふからであります」
川名さんは戦中の伝統俳句派と新興俳句派の散文(俳論)も比較して論じている。「戦争と係り、あるいは戦争俳句を作ることで既成の伝統俳句観念を超えた新しい俳句を生み出そうとする「新興俳句派」と、出征俳人や将兵の「武運長久を祈る」という表層的なところにとどまっている「伝統俳句派」との立ち位置が対蹠的である」と総括しておられる。俳壇的に言えば川名さんが指摘なさった通りだろう。しかし俳壇を離れると違う見方もできる。
大政翼賛会は文学の世界にも及び、作家たちは雪崩を打って戦争に協力した。最も戦争を翼賛したのは日本文学の最古の粋である短歌だった。短歌の世界で反戦歌は日露戦争中の与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』くらいしかない。詩人や小説家たちも積極的に戦争を翼賛し、反戦・厭戦の意志を表現した者は数えるほどしかいない。しかし俳句は違う。戦場でも銃後でも多くの俳人たちが厭戦を表現した。これはもっと考えてもいい問題だと思う。
昭和十五年(一九四〇年)くらいから苛烈さを増す当時の社会にリアルな肉体感覚を持って立てば、戦争は簡単ではない。親兄弟が兵士として動員され、自らも戦場に立たなければならない世の中で、簡単には反戦を口にできない。SNSが普及した現代では、一つの社会問題に対してあらゆる方面から意見と批判が浴びせかけられる。絶対的に正しい立場の人はいない。当局によって強力に情報統制されてはいたが、戦中でも同じことが起こっていた。人々の心は千々に乱れていたのである。ただそれを表現できたのは俳句だけだった。判断の拠り所として自我意識を前面に立たせず、むしろ自我意識を小さくして世界を写生する俳句が戦中という難しい時代を的確に表現した。
寝ころぶやほどなく帰る春の空
雪間川のやうに話してみたかつた
咲きみちて天のたゆたふさくらかな
楼閣とおもふ青蚊帳出でにけり
たましひの片割れならぬ夜の桃
月光をすべり落ちさう湯船ごと
水澄むや敬語のままに老いし恋
母てふ字永久に傾き秋の海
(恩田侑布子「一の字」)
今号では恩田侑布子さんの句が優れていた。男性作家か女性作家かはたいした問題ではないとも言えるし、大問題だとも言える。世の中には男と女しかいないからである。短歌は作家名を隠しても女性作家の作品だとすぐわかることが多い。しかし俳句は難しい。男性的というより中性的表現になりやすいのだ。恩田さんは違う。女性作家だということがすぐわかる。これは貴重なことである。
犬かきも蛙泳ぎも平和の子
僕は今アブラゼミだよジージだよ
水澄んでカバの臀部につく浮力
カバ浮いて秋の火星が大接近
雲は秋座礁の船に親しんで
(坪内稔典「僕は今」)
大ベテランであり、老大家でもある坪内稔典さんの作品も独自の作家性が際立っている。誰が詠んでも同じような花鳥風月俳句ではなく独自の作風だ。ただ坪内さんの俳壇パブリックイメージに沿った作品になり始めている。「雲は秋座礁の船に親しんで」は衰弱なのか余裕なのか。難しいところである。
岡野隆
■ 川名大さんの本 ■
■ 恩田侑布子さんの本 ■
■ 坪内稔典さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■