鳥彫文鉢
十四~十五世紀初頭
口径27×高さ8.7×底径11センチ(いずれも最大値) 著者蔵
日本のような焼物好きの国と違い、よほど審美的に優れた作でない限りヨーロッパでの焼物の評価は低く、ビザンティン文化を論じる際に焼物がクローズアップされることはまずない。焼物研究もそれほど進んでおらず、使われ方もよくわかっていない。食器類なのは間違いないだろうが用途を知る手がかりが少ないのだ。今伝わっているビザンティン陶器の多くは沈没船などから引き上げられた物(いわゆる海揚がり)である。一九七〇年代頃までは数が少なかったが現在はかなりの数が確認されている。ほとんどが比較的大きな鉢と皿だ。これだけで用が足りたはずはなく、ほかの陶器や木器、金属器と併用して使われていただろう。ただよくわかっていない。
それにビザンティン陶器の様式は周辺文化のどれともまったく似ていない。ギリシャ陶器の伝統はローマに引き継がれ、黒一色の硬質陶器(テラ・ニグラ)と赤一色の硬質陶器(テラ・シギラータ)に大きく分かれることになった。しかしビザンティン陶器がギリシャ陶器の影響を受けた形跡はない。鉄分の強い赤土を使い模様はほぼすべて線刻である。その上から薄い銅釉を掛けて焼いている。中国陶器とイスラーム陶器(ペルシャ陶器)は影響を与え合い華やかな陶器文化を開花させた。しかしビザンティン陶器はプリミティブである。様式はほぼ統一されているので、簡素な施釉陶で線刻模様であることには独自の意味があったと考えるべきだろう。
またローマ法王庁とビザンティン正教は様々な点で対立するようになるが、教義上の大きな争点に「精霊の発出」があった。ローマは「精霊は天父と聖子(キリスト)より発出する」と定義したのに対し、正教会は「精霊は聖子を通じて天父から発出する」とした。ニカイア会議で父と子と精霊の三位一体は公式教義となったが、ローマが父と子(キリスト)を同格に置いたのに対し、正教はあくまで父を全能の神とした。キリストに神性と人性の両方を認めるのは同じだが、聖なるもののオリジンをどこに置くのかということである。一神教の教義としてはビザンティンの方が古く正統的だ。またこの教義上の大争点は微妙に東西キリスト教世界の政体とも関係している。
動物(蛸か?)彫文皿
十四~十五世紀初頭
口径23×高さ4.7×底径10センチ(いずれも最大値) 著者蔵
ローマの父と子の並列は大衆の根強いキリスト人気を反映させたものだが、微妙な形で法王庁の権威を高めるのに役立っている。並列の教義は聖性の拡大を内包しているからだ。これに対してビザンティンは神聖帝国だった。皇帝の権威は唯一絶対の神意によってもたらされたものであり、キリストの聖性と皇帝のそれは微妙に重なり合う。実際オスマントルコに制圧される前のコンスタンティノープルには、キリストが処刑された際に使われた十字架など様々な聖遺物が集められていた。もちろん真偽は定かでないが、それはキリスト教を国教に定めたコンスタンティヌス帝が、キリストを通して神権を委ねられたことの表象だった。神聖ビザンティン帝国の譲れないプライドもここにあった。
一四五三年にトルコがコンスタンティノープルを陥落させ、一四九二年にスペインがナルス朝を亡ぼしてレコンキスタが完了すると、ヨーロッパとイスラーム世界の勢力分布図はほぼ確定した。それまでの破竹のような領土拡大が止まり、外部の敵を失ったイスラーム世界はじょじょにそのダイナミズムを失っていった。中世イスラーム世界は隆盛を極めていた。プロティノスの発見から短期間でプラトンにまで至り、ギリシャ哲学をアラビア語に翻訳してイスラーム神学に取り入れた。アラビア語翻訳を通してヨーロッパがプロティノスやプラトン、アリストレスなどのギリシャ哲学を知ったのは言うまでもない。
また中世ムゥタズイラ派の哲学は神学として一つの極点に達していた。ムゥタズイラの神学者たちは神の〝真姿〟にまで思考を進めた。神が世界創造のすべての源泉で絶対不可侵・不可知であるとするならば、人間が知り得る神はその仮象ということになる。予言者を通じて神が人間に語りかけた際の痕跡がこの世に残っているだけということになる。イスラームに即せばアッラーは神が人間に理解できるようにその姿を現した際の仮称/仮象であり、その言葉である『クルアーン』も神のほんの一部だということになる。この思想はスンナ派にとっては一神教に抵触する多神教異端になり得る危険思想だったが、神学/哲学としてはとても重要だ。
イスラーム哲学の碩学である井筒俊彦が最も重視したのもムゥタズイラ派系の思想である。無、といっても虚無ではなく、生成以前の恐るべきエネルギー総体が分節することで世界生成が行われるという思想は禅に見られるが、井筒さんはイスラームやキリスト神秘主義思想に同様の思想を見出した。また無(エネルギー総体)の分節による世界生成は、現代のビッグバン理論などに奇妙に似通っている。井筒さんは無の分節生成の思想系譜を汎ユーラシア的な〝共時的世界思想〟として捉えようとしたのだった。
ただイスラーム哲学の深化はウンマの動揺と表裏一体だった。政教一致のイスラーム世界ではウンマの危機、すなわちイスラームに試練を与える神の真意を探ることが哲学探究と密接に関係していた。共同体の中で自足するようになると、イスラーム世界の思考はじょじょに形式に流れていった。『クルアーン』などに規定されたスンナ(慣習)を厳格に守ればムスリムの務めは果たされるのであり、それ以上の思想的探求が行われなくなったのだった。この形式主義は今でもムスリム社会に根強い。神の絶対性はその真姿を探求する知的好奇心にもなり得るし、絶対をアプリオリな真理としてしまえば思考放棄にもなり得る。
鳥彫文鉢
十四~十五世紀初頭
口径20.1×高さ7×底径8.9センチ(いずれも最大値) 著者蔵
これに対してヨーロッパでは政教、そして神学と哲学がじょじょに分離されていった。福音の伝道と国家の領土拡張は原則として別であり、しかし大航海時代のヨーロッパ強国はキリスト教伝道師らを実質的先兵としながら南米や東アジアを植民地化していった。哲学でも神の実在の論証と実証哲学が分離されていった。神学的タブーはじょじょに棚上げされ、独立した実証哲学的方法論が自然科学などの分野で様々なテクノロジーの発展・発明を生んでいった。現代のヨーロッパ、そしてアメリカを中心とする世界秩序スキームは、十七世紀から十九世紀にかけての二百年強で決定的になった。
イスラーム世界がコンスタンティノープル攻略を一つのメルクマールとしてウンマのプライドを回復させたように、キリスト教世界は十字軍の失敗とビザンティン帝国の滅亡を棚上げして、手強いムスリムのいないエリアで植民地を拡大することでその傷を癒やしていった。十字軍の研究が本格化したのは二十世紀初頭からである。ただ単なる宗教的使命感ではなく国家的利益追求の野心が入り交じり、イスラーム側の論理をどうしても客観化できない欧米側の視点では、今に至るまで十分な成果を上げているとは言い難い。コンスタンティノープル陥落もそれが起こった当初はローマ法王庁を中心とする西側世界に衝撃を与えたが、法王の檄にも関わらず挙兵する西側諸国は現れなかった。コンスタンティノープル陥落とビザンティン帝国の滅亡が正面から論じられるようになったのも二十世紀初頭からである。
イスラームは原理を言えば民族・部族を超えた巨大なウンマであり、統合の可能性を秘めながら現実には民族・部族国家が激しく対立し合っている。民族でも部族でもなく、神の意志が降りた者が政教一致の理想的イスラーム世界を実現できるという思想がある以上、反体制的イスラーム新興勢力は必ずムハンマド親政だった理想の正統カリフ時代への回帰を掲げ、ムスリムの団結を呼びかける。ムスリムには反論し難いイスラームの大義と現実利害が混交するわけだ。矛盾は根深くほとんど解決不可能のように思われるが、イスラーム世界がウンマの統一を諦めることはその原理から言ってない。西暦二〇一八年はヒジュラ暦では一四四〇年である。比喩的に言えばイスラーム世界は近世から現代への過渡期にあるとも言える。またイスラームの政教一致は世界は何によって統御されるのかという問いかけである。この思考が深まるのはウンマが動揺した時代であり、現代はそういった時代かもしれない。
宗教と王権が密接に結び付いたヨーロッパの古代政権は、ビザンティン帝国の滅亡で終わりを迎えたと言っていい。千年に渡る帝国だが、美術は別としてビザンティン帝国は目立った思想家も神学者も生んでいない。皇帝はキリスト教を選んだ、つまりは神に選ばれた神聖帝王であり、その絶対性によってコンスタンティノープルは次第に聖遺物の博物館化していった節がある。ルネサンスの人文主義時代に差しかかっていた西ヨーロッパが、実質的にビザンティン帝国を見捨てた理由もそういった点にあるだろう。絶対化は思考の停滞をもたらしそれは社会全体に及ぶ。
また軍事的には堅固な要塞都市だが、コンスタンティノープルの閉塞性はどこかで精神の閉塞と繋がっていた。皇帝を頂点とする為政者はそれに無自覚ではなかったが、個の力では如何ともし難かった。攻略戦の最中でも海に囲まれたコンスタンティノープルから皇帝が脱出し、亡命する道はあった。実際亡命を勧められてもいる。コンスタンティヌス十一世がコンスタンティノープルと運命を共にしたのは、一つの時代の終わりを自覚したからだろう。
ただ何が世界の中心であり、何が世界を統御する原理なのか、かつて原理はあり、なぜそれを受け入れていたのかという問いかけは現代でも色あせていない。宗教的超越性と曖昧な関係を保ったまま王権を象徴として残す現代国家は多いが、先進国ではその起源と原理を巡る問いかけは棚上げされている。直截に問い始めれば必ず神的な問題に行き当たり、簡単な解決方法を求めれば思考が中世、古代へと逆行しかねない。民族主義や国粋主義の復活である。それは日本も同じである。
現代は民族・文化・宗教共同体ごとに、どうしても譲れない点が大きく目立つようになっている時代である。政教あるいは神学・哲学分離の西側世界と、数々の矛盾に苦しみながら一貫して神と現実世界の統合を目指すイスラーム世界が接点を持ち始めている。哲学的命題として言えば〝核はあるのか〟あるいは〝核のない生成はあり得るのか〟ということである。〝ない〟と断言すれば世界は無秩序になる。ウルトラ個人主義的利己主義でいいのであり、倫理も秩序も個の裁量次第だ。誰もが潜王で強い者がとりあえずの勝利を収めるまで争いは続く。〝ある〟という直観に従えば高次の普遍的思想が必要になる。しかし誰も既存の倫理・道徳、宗教概念では納得しない。現代では後者の直観に従う方が勇気がいる。(了)
鶴山裕司
(図版撮影・タナカ ユキヒロ)
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