四月号に単発小説で掲載されているのは、深田晃司氏の「海を駆ける」と古市憲寿氏の「彼は本当は優しい」の二作のみである。いずれも大きめに文字を組めば単行本一冊になる長編だ。実際深田晃司氏の「海を駆ける」は文藝春秋社から単行本化された。深田晃司氏は映画監督で、「海を駆ける」は小説を元に脚本が書かれ、二〇一八年に映画化された。古市憲寿氏は社会学者・作家でテレビの情報番組のコメンテーターとしても知られる。
古くは池田満寿夫氏らを始めとして、他ジャンルの創作者が小説の世界に参入してくるのは珍しいことではない。ただ最近の他ジャンルからの参入は以前とは質が違っている。美術家、劇作家、タレント俳優といった表現者は本業ジャンルではプロだが、小説という芸術について的確な経験・知識を持っているわけではない(業界ルールを知らないという意味ではないですよ)。以前は他ジャンルから小説界に参入してくるにしても、文芸誌編集部がフィルターとなって、作品を最低限度の小説要件を満たすレベルにまで高めていた。その敷居のようなものがなくなっている。文芸誌編集部が小説とは何かという定義を見失っているとも言えるし、従来の要件などはあえて無視して、他ジャンルの表現者が小説界を活性化してくれるのを期待しているとも言える。
最近の文芸誌には俳人、歌人といった文学業界の作家だけでなく、俳優タレント、映画作家、演劇人、学者etc.の作品が掲載されることが多い。もちろん無名ではなく、それぞれのジャンルで名を成した人だちだ。その数の多さから言って、すべての他ジャンル作家が自発的に作品を書いて文芸誌にコンタクトを取っているとは思えない。文芸誌の方からアプローチしているのだろう。
そうなると他ジャンル作家は文芸誌にとってお客様ということになる。お客様に小説家の卵に対するように強いことは言えない。創作者は誰だって自分の作品にダメ出しされるのを激しく嫌う。ペーペーの若手作家だってそうだ。編集者はコイツ、何も分かってない自己中だぜと思いながらも、どこが小説として不足なのかを粘り強く説明しなければならない。編集者が作家の卵に教えるのは本質的には読者を意識した作品の書き方や構成である。文字だけの小説では楽しませ、怖がらせ、あるいは不快という快楽を与える方法が、他の表現ジャンルとは違う。しかし他ジャンルで仕事を評価され高いプライドを持つ作家には強くは言えない。ある程度のラインで作品をリリースすることになる。
その結果として文学界に新風が吹き込んでくれるのならメデタシである。しかし他ジャンル作家の付加的話題性で作品が売れることはあっても、本質的な意味で小説文学を変えるような変化は起こっていない。文芸誌編集部が現代の小説はどうあるべきか、何が必要なのかを把握していないのだから当然と言えば当然である。
テレビ番組でやっているように、五七五に季語の有季定型俳句は誰でも書ける。その中で優劣をつけることもできる。しかし本質的に俳句文学を変えるのはほんの一握りのプロ作家だけだ。つまりいくら数打ってもマトには当たらない。編集部か作家の側に、はっきりとした新たな文学のヴィジョンがなければ、誰に依頼するのかでマトを外し、ただ作品を書いてもマトを外すことになる。難しい状況になったものだ。
思い出してみると、まずは五感から始まった、気がする。みる。きく。かぐ。さわる。えーと、あとなんだっけ。そうだ、あじわう、だ。
最初に音が聴こえた。水と水がこすれる鈍い音。
耳が開くのとほぼ同時に、目が開いた。皮膚と皮膚の隙間にぬっと現れた眼球をあっという間に海水が包み込んだ。
(深田晃司「海を駆ける」「海」のパートより)
深田晃司氏の「海を駆ける」の負の主人公(実質的主人公)は、ラウ(インドネシア語で「海」の意味)と名付けられることになる記憶喪失の青年だ。インドネシア語が出て来ることからわかるように、作品の舞台はインドネシアのスマトラ島最北端にあるバンダ・アチェ。二〇〇四年のスマトラ島沖地震と大津波で甚大な被害を受けた街である。ラウはアチェの砂浜に打ち上げられていたところを保護された。インドネシア語もアチェ語も理解しないようなので日本人ではないかということになり、現地でNGOの理事をしている貴子という日本人女性が呼ばれた。
貴子にはタカシという一人息子がいる。インドネシア人とのハーフだが、子供の頃からアチェで育ったので十八歳になった時にインドネシア国籍を選択した。この貴子の元に日本から姪のサチコが訪ねてくる。子供の頃に両親は離婚し最近父親が亡くなったが、再婚した母は元夫の遺骨の引き取りを拒んだ。父は生前アチェを訪れたことがあり、その綺麗な海に散骨してほしいと言っていたのを思い出したサチコは、散骨のためアチェを訪れたのだった。物語は貴子・タカシ親子と姪のサチコ、それにタカシの友達でインドネシア人のクリスとイルマの交流を描くことで進む。しかし主人公は一貫して謎の男ラウである。
小説の書き方は一人称一視点である。小説は「サチコ」「イルマ」「タカシ」「クリス」という独立した断章パートから構成される。一人称の語り手が自分以外の登場人物の行動や印象を描く形になっている。「海を駆ける」では要所要所で夏目漱石の言葉が繰り返されるが、作者深田晃司氏は漱石文学がお好きなのかもしれない。また実際「海を駆ける」には漱石文学の微かな影響が見られる。「海を駆ける」では『吾輩は猫である』のように、カメラを固定して一人称の話者の視点で世界を描く方法が採られている。『吾輩は猫である』と同様に、小説はラウが意識を持った瞬間から書き始められてもいる。いわゆる写生文で書かれた小説だ。
もちろん地震と津波で甚大な被害を蒙ったアチェを舞台にした理由には、日本の東日本大震災を重ね合わせる意図がある。日本からやって来たサチコという女の子が、日本人にもなれたのにインドネシア国籍を選択したタカシ、それに彼の友達であるインドネシア人のイルマとクリスと交流する姿には、日本とインドネシアの交流を描く意図もあるだろう。
インドネシアは十七世紀からオランダの植民地だったが、第二次世界大戦中の日本軍の侵攻でオランダの支配から逃れるきっかけをつかんだ。オランダからの独立運動の闘士だったスカルノは日本軍によって獄中から解放され、傀儡政権幹部として日本軍に協力することで巧みに独立の道を探った。そのため日本人を救世主と考えるインドネシア人もいるし、オランダと同様の、制圧者であり敵だと憎むインドネシア人もいる。
スカルノ、スハルト時代でインドネシアの国家的基礎は固まったが、そこには多民族・多宗教・多言語共同体で多くの島嶼部を束ねる努力があった。ムスリムが大半を占めるがインドネシアはイスラーム国家ではない。しかしその内実は複雑だ。多宗教・多民族を国是とすることにはムスリム国家樹立を阻止して民族・宗教紛争をなくす目的だけでなく、彼らの土地から産出される天然資源を国家のものとする意図もあった。そういったインドネシア政治の暗部も小説に取り込まれている。盛りだくさんのテーマを詰め込んだ小説である。ただし小説の焦点はあくまでラウである。
――話せるの?
驚いて問う私に、
――話せるよ。子供、苦しいんだよね。
と答えたラウは、右手を体の前に差し出すと、手のひらをくるっと返して空に向けた。(中略)ラウの手のひらの上で空気が歪んだように見えた。(中略)それはみるみるうちに集積し野球のボール程度の大きさの水の球へと成長していった。(中略)
柔らかにゆったりと伸縮する水の球は息を飲むほど澄んでいて(中略)その水の球を見つめたラウが、不意に人差し指でそれを突つくと、ぱっと飴玉ぐらいのサイズに分散した。その一粒を摘まんで、女の子の口の隙間にするっと放り込んでゆく。それを二度三度と繰り返すうちに、女の子は血の気を取り戻し、ゆっくりと目を開いた。
(「海を駆ける」「イルマ[3]」のパートより)
イルマというインドネシア人女性は成績優秀な高校生だったが、津波で働き手だった母親を失い、父はムスリム国家独立運動の際のとばっちりで政府の虐待を受け歩けなくなった。そのため大学進学を諦めて小さな商店で働いている。しかしイルマにはジャーナリストになる夢がある。ブログを作り、記事や動画を掲載してジャーナリストになるきっかけをつかもうとしていた。謎の日本人らしき男が浜に打ち上げられたというニュースを聞いたイルマは、タカシが同級生で貴子とも知り合いだったことからラウを取材することにした。
貴子、クリス、イルマはラウを連れて、日本人を泊めたという宿にラウの素性を探るために出かけた。ラウの出自はわからないままだが、彼らは帰り道で熱中症で倒れている女の子を見つけた。貴子とクリスは助けを求めに村に戻ったが、残されたイルマはラウが何もない空中から水玉を作り出し、それを女の子に飲ませることで熱中症の危機から救うのを見て動画に収めたのだった。ではラウは奇跡を起こすキリストのような存在なのだろうか。もちろんそうではない。舞台は人間にはどうやってもその意図を解しがたい津波で、数え切れないほどの死者を出したアチェである。
――ラウが今朝、村の子供たちを川に引き込んで殺したって言ってる。あれはその子供たちの葬列だって。(中略)
――ラウ、そんなことしてないよね。
と、わたしはラウへ問いかけた。ラウが振り返る。ラウは否定も肯定もせずただ美しく微笑んでいる。わたしはそのとき、犬のルンプが死んだときのことを思い出した。あれはラウが殺したのではなかったか。では、子供たちも? そして、貴子さんの死を翌日にバンダ・アチェで知らされたとき、ようやくわたしはラウが死をもたらす者であったことを確信した。(中略)
――そろそろ帰らないと。
ラウは突然踵を返し海に向かい走り始めた。(中略)
次の瞬間、わたしたちは海の上を滑るようにラウと一緒に駆けていた。
(「海を駆ける」「サチコ[6]」のパートより)
イルマが撮影したラウの奇跡動画は、あなたが公表すると単なるトリック動画になってしまうと言われ、老練なジャーナリスト・レニにわずかな謝礼で横取りされてしまう。レニは首都ジャカルタのテレビ局で、ラウを同席させた大々的な記者会見を開いた。動画はレニが撮ったものだと紹介された。イルマは怒りと屈辱を押し殺してサバン島に渡り、さらにラウの出自探求の取材を続ける。船にはそれぞれに思惑を抱えたサチコとクリス、タカシも乗っている。四人の主人公格の若い男女が勢揃いしたわけだ。サバン島に着くと、本当の、だが影の主人公であるラウがいる。ジャカルタのテレビ局にいたラウがサバン島に移動するにはテレポテ―ションを使わなければ不可能だ。ただ四人はラウの存在を受け入れる。
島ではラウが村の子供たちを川に引き込んで殺したと大騒動が起こる。サチコとイルマ、クリス、タカシは、村人から逃げるように海に駆けだしたラウの後を追い、海の上を自在に駆け回る体験をする。また奇跡が起こったわけだ。ただ最後のパートの語り手であるサチコは、「ラウが死をもたらす者であったことを確信した」と言っている。四人の若者がサバン島でラウの奇跡を体験した時、アチェで貴子は心臓麻痺に襲われ亡くなっていたのだった。ラウは当然だが海の上でふっつりとその姿を消す。
ラウはいわゆるエロスとタナトス、つまり生(愛)と死をもたらす人智を超えた存在だと解釈することはできる。ラウの周囲で不自然な死が次々に起こるが、ラウの出自を探る旅でサチコとクリスはお互いの好意を確認し、後に結婚することになるからだ。そこに津波という人智を超えた災害に対する作家の思想を読み込めないこともない。ただ小説として見れば「海を駆ける」には不自然な点が多い。少女を救ったのだからラウは単なる死に神ではない。が、その双面性は謎として放置される。サチコとクリスの愛情も運命的な純愛ではない。タカシの日本人とインドネシア人のアイデンティティの揺れも突き詰められることがない。イルマの苦悩と希望にも結論めいたものは付加されていない。
ただ〝絵〟を思い浮かべれば、「海を駆ける」は十分に映画の原作あるいは梗概台本の役割を果たしている。論理や感情の流れで見れば不自然でも、海の上を駆ける若者たちの姿、奇跡を起こすラウの絵は論理を超える。少し乱暴な言い方だが、絵を表現とする映画作家にとって小説的論理展開など二の次なのだ。「海を駆ける」の映画版の主人公はディーン・フジオカだが、この美男俳優が謎めいた男を熱演すればすべての矛盾は解消する。
同じようなことは劇作家の書いた小説にも言える。演劇では多くの場合カタルシスが必須だ。特に小劇場系の劇団はそうである。筋の通ったきちんとした劇はテレビや映画、あるいは新劇の舞台で見ればいいのであり、小劇場はシーケンシャルな物語進行を壊すことが多い。メチャメチャになった物語をまとめるのは大変だが、まとまり切らなくても大団円で水を噴射し火を焚いて炎を上げ、クレーンを使って俳優を宙高くつり上げればカタルシスを得られる。そういった本業の技法が劇作家や映画監督の書く小説には見られる。
もちろんそれがいけないと言っているのではない。読者は当然、劇作家や映画監督が書く小説に本業的要素を期待する。ただそれが小説文学の本質に届いているかどうかは別問題である。この敷居を抜けた者だけが劇作家や映画監督でありながら、本業を知らない読者にも小説家だと認知されるようになる。それを成し遂げるのは容易ではない。小説家がいきなり演劇を始め映画を撮っても、本業の作家は「ああ」と熱もなくチラ見するだけだろう。
プロとはなんだろう。その定義は、①質の高い作品をコンスタントに作り続けられること、②素人とは圧倒的な力の差を持っていること、の二点になると思う。純文学誌が盛んに他ジャンル作家に小説を書かせているのは、純文学誌編集部が専門小説家のプロフェッショナリティを信頼していないことの表れだと思う。しかし現状の混沌とした状況の本質的責任は、結局は小説作家自身が負うべきものである。小説家が奮起しなければ現状の小説界は変わらない。プロであることの定義は人それぞれだと思うが、作家が作品に即した絶対的自信を持っていなければプロとは言えない。
大篠夏彦
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■