日本のお寺にはかなりの数の地獄絵図が伝来している。古くは奈良時代の「地獄草紙」などがあるが、たいていは江戸時代末期に描かれたものだ。あまり古くないので色彩鮮やかで、多少ヨーロッパの影響も入っているので意外なほどリアルだ。もちろん地獄絵図とセットの浄土図も展示されているが、ほとんど記憶に残らない。多くの人が凄惨な地獄絵図を目の底に留めてお寺の宝物庫を後にする。考えてみれば不思議なことだ。日本人は救いがあり楽しげな浄土よりも、地獄の方が好きなのだろうか。
ある意味そうなのだと思う。日本人は地獄絵図が好きだ。浄土より地獄に惹かれている。よほど敬虔な宗教者でない限り、浄土を信じていないと言ってよい。じゃあ地獄の責め苦が好きなマゾ的心性を持っているのかと言えば、そうとは言えない。人間が生み出した抽象的救いの観念なしに世界を裸眼で見たいのだ。世界をありのままに見つめれば現世は苦の世界である。その上に脆く儚い「浮世」が乗っている。ありのままの世界を見て、それが苦の世界だと確認しなければ享楽的な現世を楽しめないのである。
技術的な話を抜きにして日本固有の小説形態である私小説を見れば、それは地獄を好む日本人の心性から生み出されたものである。浄土は空疎な観念だが、地獄は人間世界のどこにでもぽっかりと口を開いている。人間関係のほんのささいな亀裂から地獄が垣間見える。もちろん杓子定規に言えば浄土と同じく地獄も抽象観念である。しかし地獄には浄土にはないリアルな手触りがある。人間存在は間違いなく原罪を抱えており、おぞましく混乱した精神が、ときにどうしようもない行動を起こす。何人もそれを制御できない。しかしその矛盾と混乱は人間存在を越えたある大いなるものの摂理に沿っている。それは不可思議な調和を保っている。地獄の底にまで降りてみなければこの調和は見えない。
「マサヒサとマサヤ、どっちがいいい」
意味が分からず、
「だれ、それ」と訊くと、
「あなたに決まってるじゃない」と母は答えた。(中略)
「カイメイよ」と言った。だが、そのカイメイが分からなかった。母の説明で、ようやく名前を変えることだと知った。
「あなたの泰紀って、画数がいま一つなのよ。だからタイセイする名前に変えるの」と母は言ったが、そのタイセイが意味を結ばない。(中略)母が言うのだから、なんとなく運がよくなるのだろうと感じたのだった。
「どっちがいい」と母はまた言って、こちらが答えないでいると、「雅久、どうかしら」と言った。それで母はこっちの名前が気に入っていると思ったのだ。雅久にしても雅也にしても、単に紙に墨で書かれた字にすぎなかった。自分の名前になるとは、まるで思いも寄らなかった。気がつくと、
「雅也の方がいい」と答えていた。母のすすめる雅久を、知らないうちに拒んでいたのだ。すると母はにっこり笑った。その笑顔を見て、母の仕掛けた罠にはまった気がした。
(芳川泰久「蛇淵まで」)
「蛇淵まで」の主人公は横川泰紀で、中年にさしかかろうとしている大学の仏文の先生だ。幼い頃に父親は亡くなり美容室を経営する母に育てられた。ビジネス・ウーマンとしての母はそれなりに有能で、弟子として雇った従業員に店舗を持たせ小規模なチェーンを営んでいた。ただ母は占いに凝っていて、占い師か霊媒師の言うまま理解しがたい行為を繰り返した。母が特にこだわったのは漢字の画数で、良い字画でなければ「タイセイ(大成)」できないし「カウンリュウショウ(家運隆昌)」も訪れないと信じていた。中学生の頃には主人公の名前を改名しようとした。「母のすすめる雅久を、知らないうちに拒んでいた」とあるように、主人公は物心つくと母親に反発する。しかし母子関係はそんなに簡単ではない。
泰紀は大学院を出て結婚し子供も生まれるが、案の定、母は孫の名前に口を挟んできた。盛夫という名前で母は、「凶を福に転ずる名前なのよ。盛が十一画、夫が四画で」と言った。泰紀は「十一画と四画ならいいんだ」と答えてしまう。盛がフランス語のMor(死)を意味するため母の言う通りにはしなかったが、「子供の運を親が阻んでどうするの、という母の言葉が耳に付いて離れない。名前に託した親の願いを言霊の力が運ぶと言われて、否定できなかった。いつの間にか、漢和辞典で十一画と四画の字を探していた」とある。母と同じ占い好きになるわけではないが、主人公は母親を完全に拒絶できない。母は彼の存在の〝根〟でありどこまでも付いてくる。
もう息が上がって走れない。そう感じたとき、前方に駅ビルが見え、その道路をはさんだ向かいの建物に「中国料理」の看板がかかっていた。(中略)制服のボーイに案内された席に着き、ハンカチで眼鏡のしずくを拭い、顔を上げると、雨の降りしきる闇のなかに母の顔が浮かんでいた。その口が開いて「こっちよ」と呼んでいる。返事をした方がいいと思うのに、焦って声が出ない。脈が激しくなる。思わず目をつむった。大きく息を吸って、目をあけると、向かいの窓側の席に母がひとり座っていて、窓ガラスに映った母を暗闇の宙に浮かぶ幽霊か何かと見間違えたのだ。母は濡れネズミのこちらを見て、にっこり微笑んでいる。それに気づいたボーイが母に、
「お知り合いですか」と訊き、母がうなずくのを見ると、「席をごいっしょになさいますか」と訊いている。
「こちらに移ってもらって、伝票いっしょで」と言い、ボーイに言われるままに母の前の席に着くと、そこに料理が運ばれてきた。
(同)
泰紀が大学院を出る頃には、母はそれまでの占い師を離れある新興宗教に入信した。その教団の勧めに従って、建てる際には石の質や戒名で大騒ぎした埼玉の大宮にある墓から、教団の運営する墓地に父と父方の祖父母の骨を改葬すると言い出した。もう止められない。泰紀は結局は母に従って骨壺を大阪に運ぶことになる。ただホテルの部屋に母と二人でいるのに耐えられず、雨の中外に飛び出してしまう。気がつくと母が黙ってついてくる。泰紀は走って母を引き離し、ようやく中国料理店を見つけて駆け込んだ。しかし窓際の席に母がいた。魔法や呪術ではない。雨の中息子を追うのに疲れた母がタクシーを拾い、近くの料理屋まで運んでもらったのだ。寂れた街だったので、料理屋は泰紀が入った中国料理店しかなかったのだ。
ただ「窓ガラスに映った母を暗闇の宙に浮かぶ幽霊か何かと見間違えたのだ」という記述は現実描写でありながら現実を超えている。母は泰紀について回る。生きている間は反発と否定を繰り返す存在として。亡くなってからは解きがたい謎として。母子だが別の人格である以上、泰紀は母の行動すべてを理解できない。しかしまったくの謎であるわけでもない。母の行為が息子や亡き父、その祖父母への愛に基づいているのも確かである。だが一方で母のいささか常軌を逸し行為には、現実世界の激しい拒否のようなものが垣間見える。母は本当に来世を信じているのだろうか。恐らく違う。来世の幸福を願うのは家族に対してであり、彼女は本質的に救いなど求めていない。
「いや、もう一仕事してから休もう」と言うと、仏壇の脇に置かれていた薄紙に包まれた縦長のものを手に取っていた。薄紙をはがすと、なかから淡いオレンジ色の厚紙が出てきた。全部で三枚ある。墨で文字が書かれていた。「光明院」と読んだとき、戒名だと分かった。(中略)気がつくと、順番に戒名を読んでいた。(中略)「由縁大姉」とある。だれだろう。(中略)次の戒名を読んでいた。「光明院章光居士」とある。これも思い当たらなかった。(中略)次の戒名を読んだとき、背筋がぞっとした。「光明院泰紀居士」とあったからだ。(中略)戒名の記された厚紙を持つ手が震えている。疑いようなく、自分の戒名だった。となれば、他の二つの戒名は妻と息子のものか。(中略)間違いない、これは自分たち家族の生前戒名ではないか。母が新しい墓に刻んだのと同じ「光明院」ではじまるのだから、母は入信していた新興宗教の教団からこちらの戒名までもらっていたのだ。
(同)
母はある日電話をかけてきて、進行性の肺がんになってしまったと告げた。泰紀は手術と治療を勧めたが拒否した。「このまま時期が来たら死ねばいいの」と言って教団の運営する終末ホスピスに入ってしまった。見舞いも拒否してホスピスの場所も教えなかった。経営していた美容室の土地建物などすべてを教団に寄付する代わりに手厚い終末介護を受け、泰紀に経済的負担をかけることなく教団の墓に入ることにしたのだった。亡くなったという報せを受け泰紀は初めてホスピスに行った。そこで弁護士から詳細な契約書を見せられた。概要は母から聞いていた通りだが、教団に家を明け渡すまでの期間は一週間しかなかった。妻といっしょに実家の片付けに行った泰紀は、自分の家族の生前戒名を見つけたのだった。
泰紀の母のような存在は、生きている時よりも亡くなった後の方が恐ろしい。存在が消え謎だけが残るからだ。絶対不可知の謎ではないのでさらに恐ろしさが増す。母の行為は身勝手で混乱しているようだが、何かの原理に突き動かされたものだった気配がある。母は息子にはわからない何かを見て、何かの原理を把握していたようなのだ。泰紀が幼い頃から続いた溺愛と呼べる過干渉と死に際の冷たい対応は、虚無を媒介にしてどこかで繋がっている。それは手強い。手がかりはあるが決して全体を解明できない。常に精神が揺れていて何事に対しても確信を持てないのは泰紀のような常識人の方なのだ。
母の死後、泰紀は母のことばかりにかまけていたと思い、父と祖父母が暮らした高知の原籍に小旅行する。辺鄙な山奥だ。そこでほんの小さい頃、この場所に来たことがあり、その時母もいっしょだったと思い出す。父が若い女と出奔して母子が精神的にも経済的にも一番追いつめられていた時期だ。記憶に甦った母の姿から、泰紀は母の占い狂い、新興宗教狂いの理由を見出す。ただそれは理知の人である主人公が導き出した仮初めの結論に過ぎない。しかし決してこの小説の欠点ではない。むしろ作品をエンターテインメント的私小説に高めている。
作品を読めば母が作者芳川泰久氏の一生のテーマになり得る存在だということがはっきりわかる。私小説にするだけの理由があり、私小説でしか描けないテーマである。母の存在が喚起する謎を観念的思想にまで高めれば、純粋なフィクションとしてもこのテーマは展開可能だろう。「蛇淵まで」は水増しのない私小説の秀作である。
大篠夏彦
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■