連載対談「宇多喜代子の「今、会いたい人」」第8回は、漢字学者の阿辻哲次さんがゲストである。KADOKAWAの『角川新字源 改訂新版』編者のお一人だ。漢字に関するエッセイは根強い人気がある。白川静氏の『漢字-生い立ちとその背景』など今や古典的漢字エッセイである。漢字が中国伝来の文字であるのは言うまでもないが、日本ではカタカナ、平仮名、それに日本にしかない漢字である国字として変化発展した。俳人に限らず作家は漢字、平仮名、カタカナ、時にはローマ字や欧文を交えて作品を書く。もちろんどの字体を使うのかを意識と無意識の狭間で峻別している。考えてみればとても複雑な作業を日常的に行っているわけだ。ただ平仮名の成り立ちよりも漢字の起源の方がなんとなく読みたくなるのは、やはりそこに日本語のオリジンがあるからだろう。
阿辻 そうです。文字は大きく分けますと、文字に意味がある「表意文字」と、発音しか表さない「表音文字」があります。例えば「公園」「公害」「公民館」の「公」は「みんなのため」という意味があります。野球のバットは「BAT」、ボールは「BALL」、少年は「BOY」、それぞれ最初にBがありますが、そのBに共通する意味はないですね。(中略)
もともと、Aは牛の角、Bは家の屋根というように、ABCも表意文字だったのですが、その文字を借りて、違う言語の発音、つまり万葉仮名の方法で表したときに意味を失ってしまったんです。世界中の文字の成り立ちはほとんどが表意文字から始まるんですが、やがて意味をなくした表音文字に変わる。
(第8回「宇多喜代子の「今、会いたい人」」ゲスト阿辻哲次)
今回の対談は柿衛文庫で公開で行われたようで、時間制限もあるわけだからそれほど突っ込んだ話は為されていない。ただ阿辻さんがおっしゃっているように、人間が作り出したすべての文字は最初は表意文字だったはずである。ある自然物の形を簡略化した記号にしてそれを決まった音声で発音し、そこから記号と音声を複雑に組み合わせて現在に近い言葉が出来上がっていったわけだ。しかしその起源を辿るのはとても難しい。
阿辻さんは「現在のイラクのあたりで、紀元前三四〇〇年くらいの、粘土板の表面に竹ひごで書いたような「くさび形文字」が残っています。しかし、その文字の子孫を使っている人は今はおりません。エジプトでは紀元前三〇〇〇年くらいにはピラミッドの中でヒエログリフが使われております。でも、今のエジプト人が使っている文字はアラビア文字です。それは古代エジプトの象形文字とは全く違うものです」とも語っておられる。
人類発祥の地はアフリカだとほぼ特定されつつあるが、考古学的成果から言えば文字の発生は今のところアフリカとは言えないようだ。中東エリアのくさび形文字は高度に抽象的で、すでに表音文字化している。これに対して時代的には若いエジプトのヒエログリフは表意文字である。さらに時代の若い南米のマヤ文字やアステカ文字も大部分が表意文字だ。人類最初の文字が表意文字だったのは間違いないが、それが表音文字に変わってゆく過程にはかなりの地域差が見られるということである。
人類が未踏の地に計画的に進出してゆく時には、母体となる共同体が経済的・技術的な力を蓄えているのが前提条件になる。自然環境要因などの理由でか、この力を蓄える凪のような期間は数十年、時には数百年に渡って同時に続いたようだ。その期間に民族意識が生まれ、支配を含む意志伝達のための言語も生み出された。そしてある民族(文化)が共同体外部に進出し異民族(異文化)と接触すると、古代では勝者による虐殺や略奪が起こった。しかしある民族が亡ぼされてもすべてが失われることはなかった。制圧者が被制圧民族共同体の文化を吸収していったのである。
制圧者にとっては文字も戦利品の一つだった。ただ表意文字のシステムは理解できても異民族では言葉の発音が違う。表意文字システムは受け継ぎながら自分たちの発音に合わせて文字を使ってゆくうちに、アルファベットのような完全表音文字が生まれたと考えられるのである。中東エリアのくさび形文字が今のところ最古の文字であるにも関わらず表音文字化しているのは、この地域で民族間の衝突が激しかったことを示唆している。エジプトのヒエログリフが長く続いたのは、このエリアで安定した文化共同体が続いたからである。ただエジプトは紀元前三十年にローマによって亡ぼされ、その後も様々に変遷して現代ではムスリム国家である。言葉も変わった。表意文字が続いている民族・文化共同体は世界的に見て少数なのだ。
阿辻氏は「中国はというと、紀元前一三〇〇年くらいから、ようやく文字が出てきています。時代的には中国のほうが新しいのですが、現在の中国人が使っている漢字は紀元前一三〇〇年ころの亀の甲羅や牛の骨に鑿で刻んだような文字と基本的には同じ文字です。今から三〇〇〇年前の中国人と現代の中国人、あるいは日本人は同じ文字を違う形で書いているというだけの話です。そう考えると、漢字は世界でいちばん長く使われている文字ということになります。いちばん古い文字ではありませんが」とも語っておられる。
漢字がその発生期からほぼ変わっていないということは、中国が古代から外敵を寄せ付けない強い国だったことを示している。中国には中国王朝と民族が世界で一番優れていると考える中華思想が根強いが、その根拠はある。もちろん中国大陸では漢民族と満民族が長く覇権を競った。ただ漢民族の宋王朝を亡ぼした満民族の元は、宋の徽宗皇帝コレクションを中心とした宝物をほぼそのまま引き継いだ。これは続く明、清王朝でも受け継がれ、現在メインチャイナ、タイワンチャイナの故宮博物館に収蔵されている宝物の中核を為す。正統中国王朝は宋以来の宝物を所有している者のことなのだ。
また異民族で征服者である満民族は、中国で最も肥沃な中原に住む漢民族を懐柔支配する目的もあって漢民族の言葉を受け継いだ。清朝は満民族国家なので初期は満州文字やモンゴル文字を使っていたが、中期以降の公式文書はほぼ漢文になる。民族衝突で為政者が変わったのは他のエリアと同じだが、中国では一貫して漢字が使われたのだった。
日本は言うまでもなく島国で、近代に入って蒸気機関が発明されるまで風などを利用して安定して近づくのが難しい位置にあったことから、大国でもないのに外敵の侵略をまぬかれて独自の文化を育んできた。その基盤になったのが朝鮮半島経由で移入した漢字であり、漢字が元になってカタカナが、次いで平仮名が生み出された。国風平安文化で平仮名が女文字として使われたこともあり、その後平仮名は和文字の位置づけとなり、カタカナは外来語や渡来文物などを表記するために多用された。このカタカナを使って日本人は明治維新以降の欧米言語も簡単に表現できた。これは漢字しか文字がなく、漢字の音をヨーロッパ諸言語に合わせたり、意味を元に表記したりする現代中国より遙かに便利である。
ただ日本語のオリジンが漢字にあるのは確かである。漢字は一つのヴィジョンとして存在している。年末に日本漢字能力検定協会が今年の漢字を発表するのが恒例になっているが、書を書くのは清水寺の貫主でほとんど御神体の扱いだ。漢字に神秘的な力を感じ取るのは中国や日本を中心とした東アジア全域共通の感覚である。この文化エリアの知識を深く理解すると、表音文字を使うヨーロッパ人も漢字の力を感受できるようになる。
フランス人作家のヴィクトル・セガレンは軍医として中国に来航し中国語もできたが、小説『ルネ・レイス』の中で、真性の中国を表す文字は北京の地下道の壁に隠されていると書いている。またポスト・モダン作家は多かれ少なかれ東洋的世界観を取り入れているが、ポール・オースターは”Lulu on the bridge”の執筆動機を、”Lulu”という文字が現実の〝橋〟の形に似ていると感じたからだと語っている。オリジンであることはそこから多様性が派生するということである。
さて長年漠然と考えているのだが、現代言語学はヨーロッパ表音文字を基盤として学問が組み立てられた。シーニュであり、それをシニフィアンとシニフィエに分類するのがスタートラインだ。ただそれはすべての言語に当てはまるのだろうか。言葉が記号と意味内容の関係性から成立しているのは確かだが、漢字は一種の文字絵である。じっと見つめていると意味と音が曖昧になり混乱してきて、ちょっと気が狂いそうになるのは誰もが経験したことがあるだろう。漢字の場合、音や意味のほかに形そのものが一つの〝像〟となって言語活動に影響を与えている。
これを真剣に考え始めると、人間の一生の時間では絶対足りない。ほんのちょっと成果を残しただけで時間切れになるだろう。その意味でも言語学者さんたちは偉いものである。ただ文学者には文学者なりの仕事の仕方がある。日本人は絶対神のような世界秩序原理を持たないのに明らかに調和的世界を理想とし、それに近づこうとする。その最も典型的な日本文学が俳句だろう。
俳句は様々なバリエーションを持つが、究極を言えば常に同じ境位を表現しようとしている。その世界観はどこかで漢字的〝像〟と重なっているように思う。この意味で短歌は平仮名文学だが、俳句は漢字文学と言えるのではないか。これはまあ半分冗談だが、「古池や蛙飛びこむ水の音」は「古池蛙飛水音」と表記してもだいたい意味は通じる。そういった俳句はけっこう多い。
岡野隆
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