今号の大特集は「4週間で身につく「切れ」入門」である。なんで4週間、約一ヶ月なのかはわからないが、僕らの世代的に言うと「あんたも好きねぇ」的な惹句である。毎回この繰り返しだ。「切れ」は基本的に「けり・かな・や」のことだが、「けり」の使い方でも「や」のコツ伝授でも特集は成り立つ。それを繰り返し、角川俳句的世界はなべて事も無しで十年二十年推移する。
ただまあこれは、俳句が基本的には〝なべて事も無し文学〟なのだから仕方がない。同じ詩でも自由詩は未踏の表現領域を開拓する前衛文学であり、日本文学におけけるアンテナ文学である。現代だけでなく未来を先取りする前衛的表現を見出せなければ日本文学における自由詩の存在意義は消滅する。ポピュラリティを得られるのは抒情詩だが、痛切な抒情は短歌でも表現できる。自由詩のコアは前衛表現なのだ。実際現代詩以降のヴィジョンを見出せない自由詩は、現在では短歌俳句から見れば本当に微々たる実作者と読者を抱えているに過ぎず、ほとんど存亡の瀬戸際に追いつめられている。
短歌は、驚くべきことにと言っていいだろうが変わり続けている。善し悪しの判断は人それぞれだろうが、口語短歌は確かに従来的短歌とは違う。古典的形式文学といえば俳句より短歌の方が歴史が古いわけだが、古いから基層が不変で固定しているというのは誤りである。むしろ短歌は時代に合わせてダイナミックに変化し続けている。
これに対して俳句は変わらない。芭蕉元禄時代からぜんぜん変わっていない。切れ字の「けり・かな・や」は文語で、これらを口語化する試みもあったが、そんなことをすれば誰が考えても俳句は表現の柱を失うことになる。一時の新し味といったって、うんと寿命が短いことは目に見えている。鷗外の『舞姫』程度の変態文語体ですら「現代語訳がないと読めません」と高校生が言う時代に、俳句は昔ながらの文語体骨格なのだ。若い俳人もなんの疑問もなく文語調で句を詠む。しかし俳句の文語体骨格の本質はけり・かな・やに代表される〝文語の使い方〟にはない。それらは一種の符号に過ぎないとも言える。確かに〝切れ〟――日常的文脈に沿いながら、それを〝切ること〟がポイントである。
俳句は極小の詩型のため、時間芸術と空間芸術の境を持ちません。そもそも日本の表現は絵巻や能や茶の湯や落語などに見るように時間と空間が一体なのです。(中略)切れを空間表現に限る方が不自然です。即座に胸に滴り落ちる俳句は、雫の中に長大な時空を畳み込んでいます。切れの生む余白に入れ子構造のような時空が展開する。それが名句です。
従来、切れは一句の独立性と完結性を保証するものとされて来ました。しかし、両者は峻別されるべきです。芭蕉の「いひおほせて何かある」は、完結性の貧しさを嫌い、背後で変幻する世界を肯定しています。
切れは一句を自立させ、同時に自己完結を拒否するのです。切れの生む余白によって、十七音はいっぽんの草のように木のように立ち上がります。地面から水を吸いあげ、大気に枝葉を拡げ息をし、光合成をします。優れた句は自立しても完結しません。自閉しないのです。つねに深く広く大いなるものに結ばれようとします。いいかえれば余白を抱えて他者に向かって開かれます。他者とは、死者であり生者であり、過去、現在、未来、あらゆる宇宙です。そこに世界詩としての俳句の方向性があります。
(恩田侑布子「切れ――他者への開け」)
特集総論として書かれた恩田侑布子氏の「切れ――他者への開け」は、〝切れ論〟としてまったくもって正しい。俳句は五七五と短い表現なので、しばしば空間表現が得意で時間表現は苦手だと言われる。正岡子規もそんな議論をしている。ただ技術的に言えば俳句では季語が時間軸を保証する。
よく知られているように短歌は近代以降、歌の中に季語を織り込むことを必須としていない。無季でも有季でも短歌は成り立つというのが歌人の総意である。季語は短歌の一要素に過ぎないのだ。しかし俳句は違う。季語は必須である。それを〝制度〟と見なすと議論はそこで行き止まりになるが、恩田氏のように日本文化は「時間と空間が一体」と考えれば自ずから理論の行き着く先は見えてくる。
季語が必要不可欠なのは、俳句が普遍的なある一点だけを見つめている芸術だからである。逆に言えば短歌より本質的に表現の幅は狭い。なるほど現実の俳句作例を上げれば様々な表現方法と内容がある。しかし原点は相変わらず「古池や蛙飛びこむ水の音」であり、これは俳句が文学として成立した瞬間から変わらない。また未来永劫変わることがないと断言できる。「古池」は空間描写であると同時に永遠の時間を表現している。この原点を押さえなければ、俳句文学における多様な表現は根を持たなくなる。
詩とは何かを考えてみればよい。詩が表現するのは直観的真理である。この直観真理は論理や社会的軛を超える。宮沢賢治の「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」は校本全集では三十七行の詩だが、最初の二行ですべてを表現し尽くしている。そのあと五行で終わろうと、百行以上の長詩であろうと同じことだ。このような直観真理を表現しているのは俳句も同じである。意味的に言えば単なる風景叙述に過ぎない芭蕉「古池」の句が俳句文学誕生の記念する一句であり、現在に至るまで俳句文学最高の句であるのは、この句が日本的世界観を端的に表現しているからである。古来「古池」が禅の悟りの境地になぞらえられるのは理由がある。
恩田氏は「切れは一句を自立させ、同時に自己完結を拒否する」のであり、「切れの生む余白によって」、俳句は「つねに深く広く大いなるものに結ばれようとします」と論じている。では「深く広く大いなるもの」とは何かといえば、「死者であり生者であり、過去、現在、未来、あらゆる宇宙」だということになる。東洋と西洋では文化的な違いはあるが、恩田氏が論じる汎神論的かつ調和的世界観は人類共通のものだろう。「そこに世界詩としての俳句の方向性があります」という恩田氏の指摘も正しい。しかしこれは、現代を生きる俳人たちにとっては呪いのような究極的位相でもある。
恩田氏的のように「あらゆる宇宙」と言っても汎神論的かつ調和的世界観と言ってもいいが、俳句は端的にそれを表現するのを極点とする芸術である。しかしこの極点は唯一絶対であり、常に同じ貌として現れる。「古池」でも子規の「柿くへば」でも蕪村の「菜の花や」でも表現されている実質は同じなのだ。なるほど言語的にはそれぞれ味わいが違う。しかし表現されている世界観は同じだ。
つまり俳句は俳句本体があらかじめ持っている直観真理の鏡像だと言える。作者の名前が冠されようと冠されまいと名句は同じ像を表現している。俳人は作品でそれがピタリと表現されるまで〝写す〟努力を続けるのだ。つまり俳句文学は近代的自我意識文学と決定的に背反する。近代的自我意識文学のオリジナリティは俳句では存在しないということである。もちろん現代人でしかも作家でもある人間が強い自我意識を持たないはずがない。しかし俳句文学において強烈な自我意識はかえって作家の首を絞めることになりかねない。偶然か必然か知らないが、俳句の〝俳〟は〝人ニ非ズ〟である。俳句本体が常に俳人に先行する。俳句では人の名前が印刷された句集ではなく、歳時記的な俳句アンソロジー集、つまりは俳句そのものが主体で主役なのだと言っても過言ではない。
夢みて老いて色塗れば野菊である 永田耕衣
恩田氏的に「切れは一句を自立させ、同時に自己完結を拒否する」ものとして捉えれば、切れを技法として規則化するのは無意味である。永田耕衣の「夢みて老いて色塗れば野菊である」は有季の名句だが、七/五/六の完全な破調。むしろ「夢みて/老いて/色塗れば/野菊である」という叩き込むようなリズム--一種の〝切れ〟だが定型技法ではない--で成立している。またこの句には作家の自我意識が表現されているようでされていない。「野菊である」が作家の辿り着いた位相だからだ。野菊に自我意識を昇華させたところに作家の強い自我意識がある。
この逆接は苦しい。具体的に言えば、俳句に一心不乱になればそれ以外の表現は難しくなる。俳句以外の文学はすべて自我意識文学だからだ。俳句的思考方法が肉体化してしまうと、俳句以外の作品を書けなくなる可能性が高いということだ。もちろんこの非自我意識文学の特徴を俳句の特権とするのか呪いとするのかは俳人次第である。ただ日本文学で一番取りかかるのが簡単で、一番極めるのが難しいのが俳句であるのは間違いない。
岡野隆
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■