一.ザ・バンド
たまには贅沢した方がいい。ただ先立つものが必要。金、は二の次。まずは時間。そこそこない。年々足りなくなる。不思議。誰しも平等に一日二十四時間なのに。若い頃は結構持て余していたのに。
でも聴きたい音楽は増え続ける。別に最近のリリースとは限らない。数十年前のアルバムでも未聴だったら新譜。これ真実。でもそうなると割を食うのが、以前聴き込んだお気に入り、個人的名盤の数々。なかなか聴き返す時間がない。
改めてゆっくり聴きたい個人的名盤は――と考えた。無人島に一枚持っていくなら、ほど厳密でなく。案外すぐに浮かんだのは、ザ・バンド後期の名作『南十字星』(‘75)。最近御無沙汰。まあ、外出時にイヤホン経由で聴くような音楽ではない。それは「贅沢」ではなく「無駄遣い」。モッタイナイ。
腕利きの音楽家たちが、楽曲の中で自由に各々の才能を発揮し合う。ザ・バンドはそんな理想的なバンド。プレイヤー同士の奔放な交歓が、楽曲の輪郭を豊かに波打たせる。所謂前期はそれが顕著。ただ本作は少し違う。全曲リーダー格のロビー・ロバートソン作曲ということもあり、豊かさを感じるのは輪郭の内側の彩り。アルバムとしての統一感は抜群。
前年リリースされたボブ・ディランのスタジオ録音十四枚目『プラネット・ウェイヴズ』(‘74)にも全面参加。バック・バンドに徹した名演も併せて聴きたくなる。
贅沢するのに必要なもの。時間の次は金。これもそこそこない。結果、安くて良い店ばかりで呑んでいる。無論文句ナシ。でもたまには通常価格の良い店にも行きたくなる。人間、もといオトナだもの。
新宿の食堂「N」は創業百年越えの老舗。味のある外観と、その期待を一切裏切らない趣のある店内。テレビのワイドショーが猛暑日に喘ぐ各地の様子を伝えていると、前触れなく「本当、いつ涼しくなるんだろうねえ」とオネエサンに尋ねられる。そうですねえ、と応じつつ頼んだ肴はポテサラ270円。お安い。贅沢ポイントはビールの方。大瓶が角打ちの倍額。食堂あるある。二本分か。悩ましい。でもオトナだし、此方のはちゃんと冷えてるし、何よりビール呑みたいし……で、迷わず注文。小さめのグラスに注いでグッと呑む。窓の外は炎天下の新宿、汗まみれの若者。普段よりも贅沢な味がしたのは気のせい、単なるプラセボ効果。
【Hobo Jungle/The Band】
二.ビリー・ブラッグ
数十年前、CDの相場は国内盤三千円、輸入盤は約半値。今とあまり変わらないか。レンタル店にはお世話になった。学生だもの。勿論当日返却。数店舗掛け持っていたが、何処にも置いてない場合は購入。結果、家の棚にはマイナーな輸入盤が並ぶ。今のようにネット等の試聴ツールはナシ。頼りはレビュー等の文字情報のみ。百回読み返しても、結局聴かなきゃ分からない。購入は緊張を伴う贅沢だった。
初っ端は苦い記憶。社会派シンガー・ソングライター、ビリー・ブラッグの三枚目『トーキング・ウィズ・ザ・タックスマン・アバウト・ポエトリー』(‘86)。敬愛するミュージシャンの、聴かないヤツは「大バカ者のウンコたれ」という発言に背中を押された。イギリスでポール・ウェラーと共に「打倒保守党/労働党へ一票を」という選挙運動(=「レッド・ウェッジ」)を率いていたというキャリアも、期待値をぐいぐい上げまくる。人生を変える一枚かも、とさえ思っていた。そんなある日、遂に高田馬場の中古屋で購入、一目散に帰宅して再生スイッチオン。内容は――ドラムなしのソフトなアレンジ。大事なのはメッセージ、と気を取り直すも輸入盤に訳詞が載っているはずもなく……。
今なら楽しみ方が分かる。歌詞だけでなく旋律にも聴きどころが多い。でも義務教育中の耳に念仏。犬に論語、兎に祭文。即ち退屈だった。但し数年後に聴いたミニアルバム『インターナショナル』(‘90)は一発で個人的名盤に。労働歌として日本でも有名な表題曲を皮切りに、プロテストソングが並ぶ充実の一枚。
年上とばかり遊んでいたから、奢られることが多かった。大抵は家呑み。居酒屋へ行くのは結構な贅沢。ある時期よく行ったのが高田馬場の「S」。首都圏八店舗のチェーン店。入店前には牛丼を食うよう命じられる。謎の儀式、ではない。食べ盛り男子に対する予防策。呑めるのは150円の升酒一択。すっきりしていて呑みやすいから、後で大変なことになる。卓上の塩を舐める技術も習得。先日、久々入店。二十年以上経った升酒の価格は……180円。素晴らしい。そして呑みやすい。もうオトナだから牛丼を入れておく必要はナシ。
【The Internationale/Billy Bragg】
三.三上寛
創業三十余年になる下北沢のやきとん「T」。御無沙汰なのは営業時間のせい。閉まった店の前を恨めしく通ることが多い。けど先日、丁度タイミングが合った。炎天下から更に暑い店内へ。汗が噴き出す。これぞ夏を満喫する贅沢。酒は名物の焼酎(レモン入り)300円。これが強力。私は三杯で記憶が怪しくなる。あくまで個人の感想。一杯でダメな人はダメ。串を数本肴に十五分でお勘定。もう一杯呑みたかったけど、それは涼しくなってから。夏八木勲似の渋い店主から受け取った釣り銭は、焼け石のように熱かった。
暑い季節に聴きたい音楽と、暑い音楽は違う。歌詞を理解すれば音楽は暑くなる。浮かぶのは友川カズキと三上寛。二人とも東北生まれで同じ歳、七十歳を前に現役バリバリだ。斬れ味のいい言葉はどこか冷たいが、二人ともそれだけではない。ねっとりしている。声のせいか歌い方のせいか、三上のねっとりの方が暑苦しい。あくまで個人の感想。猛暑日に聴きたいのは『BANG!』(’74)と『寛』(’75)。スッパリ斬られた後に、その傷口をねっとりした物が撫でていく感触を是非。
【このレコードを私に下さい/三上寛】
寅間心閑
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■