ロキシー・ミュージックは東京の武道館でライブを見たことがある。再結成ロキシーのアルバム『アヴァロン』がヒットした時のワールドツアーだから、一九八三年のことだ。ツアーの直後また解散してしまった。ライブのためにリユニオンすることはあるがアルバムは出していないので、今思えば生きたバンドとしてのラストステージだったかもしれない。この時のメンバーはブライアン・フェリー(Vo)、フィル・マンザネラ(G)、アンディ・マッケイ(Sax / Oboe)の三人だったと思う。ロキシーも入れ替わりの激しいバンドで三人は初期からの中核メンバーだが、バンドのソングライターであるブライアン・フェリーと彼のお友達バンドという雰囲気だった。
で、バンドのフロントマンであるブライアン・フェリーはなんとなくダサい。野暮ったい。ロキシーにはデビュー当時、シンセサイザーの先駆者であるブライアン・イーノが在籍していて、プログレとグラムロックの中間という感じだった。プログレは個々のミュージシャンの超絶技巧、変拍子、現代詩的な奇矯な歌詞を組み合わせたロックの前衛音楽だったが、グラムロックはそれをヴィジュアルにまで広げ、よりポップで親しみやすい音にまとめあげていた。代表格はデヴィッド・ボウイだろう。
『ジギー・スターダスト』の頃のボウイは本当に魅力的だった。美男子と言えないことはないのだが、どうもしっくりこない。人間離れした異様な雰囲気があった。ボウイ主演で地球にやってきた宇宙人の物語『地球に落ちてきた男』という映画もある。年を取るにつれだんだん普通のオジサンだということがわかって僕らは安心したのだが、若い頃は化粧をしていて男か女かわからない雰囲気だった。声も金属的で決して声量のあるボーカリストではなかった。加えてあの歯並びである。イギリス人だからなのか、ボウイは歯列矯正をしていなかった。笑うと乱杭歯が剥き出しになる。それが魅力的なのだ。Ugly が Charming に変わってしまう希有なミュージシャンだった。
初期のロキシーはグラムロックバンドでもあったわけだが、ビジュアル的に目立っていたのは、今では信じられないが針金のように痩せたブライアン・イーノだった。当時はまだ珍しかった、いっぱいスイッチやソケットのついたシンセサイザーを操っていたこともあって、彼にはボウイ的な宇宙人の雰囲気があった。ブライアン・フェリーはリーゼント、つまり一昔前、五〇年代のエルヴィス的コスチュームだった。イーノは前衛だったから初期ロキシーには『リ-メイク/リ-モデル』などのパンクな楽曲もあるが、ブライアンはフィフティーズのロッカーが背伸びして現代ロックをやっているような感じだった。
イーノが抜けた後のロキシーは、グラムロックとムード歌謡の中間のようなバンドになっていった。ブライアン・フェリーのファッションも僕らが思い浮かべるそれに変わった。七三に近い分け方の髪形にスーツである。イギリスのジェントルマンを派手にしたような感じだ。ただブライアンさん、何をやっても似合わない。カッコよくならない。どう見てもごく普通のオジサンがロックをやっているようにしか見えないのだ。八三年のステージもスーツ姿だったが、遠目にズボンに三本の縦ラインが入っているのが見えた。それがアディダスのジャージに見えてしまう。たまにキーボードを弾くが、ほとんどマイクを握って歌い踊る。その踊りがまたダサい。なんとかならんもんかなぁと思ったのだった。
また『アヴァロン』ツアーのオープニングはニール・ヤングの『ライク・ア・ハリケーン』で、アンコール曲はジョン・レノンの『ジェラスガイ』だった。カバー曲を好んでやるバンドではなかったが、ブライアン・フェリーは『ライク・ア・ハリケーン』と『ジェラスガイ』を自分の持ち歌のように演奏していた。
『ライク・ア・ハリケーン』は『 I am just a dreamer, but you are just a dream ―― 僕は夢見る人だけど、君は夢そのもの』と歌う。『ジェラスガイ』のサビは『 I didn’t mean to hurt you/I’m sorry that I made you cry/Oh my I didn’t want to hurt you/I’m just a jealous guy ―― 君を傷つけるつもりはなかったんだ/泣かせてしまってごめんよ/おお 本当に君を傷つけたくなかったんだ/僕はただの嫉妬深い男なんだから』である。いずれも一種のフラれ男の歌で、ブライアンはそういった曲を自分の歌のように愛していた。
奇妙な言い方だが、ブライアン・フェリーのダサさはフラれ男のそれに通じるところがある。マッチョで女にモテモテというのがハードロック系歌詞の王道だが、ロキシー・ミュージックは逆をゆく。ちょっぴり自虐意識が混じったフラれ男の心情は、男の子にしかわからない一種の美学かもしれない。ダッさいなぁと思いながら、僕らがブライアン・フェリーとロキシー・ミュージックに惹き付けられる理由である。
Same Old Scene
Bryan Ferry
Nothings last forever
Of that I’m sure
Now you’ve made an offer
I’ll take some more
Young loving may be
Oh so mean
Will I still survive
The same old scene?
In our lighter moments
precious few
It’s all that heavy weather
We’re going through
When I turn the corner
I can’t believe
It’s still the same old movie
That’s haunting me
Young loving may be
Oh so mean
Trying to revive
The same old scene
Young loving may be
So extreme
Maybe we should try
The same old scene
セイム・オールド・シーン
ブライアン・フェリー
永遠に続くものなんてない
それは確かだ
今君が一つの贈り物をしてくれて
僕が受け取るだけのこと
若い頃の愛ってたぶん
とっても貴重なんだ
僕はこれからも生き続けるんだろうな
あの古くて懐かしい光景を
僕らが明るく軽やかだった頃
大切なものなんて少なかった
あの激しい嵐だって
僕らはくぐり抜けたよね
街角を曲がると
信じられないことに
まだあの古くて懐かしい映画を上演してる
それが僕をとらえて放さないんだ
若い頃の愛ってたぶん
とっても貴重なんだ
戻ろうと努力すべきなんだ
あの古くて懐かしい光景に
若い頃の愛ってたぶん
最高の愛なんだ
僕らは再び生きるべきなんだよ
あの古くて懐かしい光景を
『Same Old Scene』はロキシー後期のアルバム『Flesh and Blood』(肉と血)に収録された曲である。映画『タイムズ・スクエア』(一九八〇年公開)の挿入曲にもなった。映画も見たが典型的なアメリカB級映画で、『ロッキー・ホラー・ショー』のティム・カリーがDJ役で出演していたこと以外内容は忘れてしまった。ただブライアン・フェリーらしい曲である。ブライアンの歌詞は後ろ向きなのだ。未来には明るい希望が待っていると歌うことはまずない。たいていは失われ、どうしても取り返せない過去を懐かしみ求めている。それが失恋と結びつくときブライアンとロキシー・ミュージックの音楽は最も輝きを放つ。ロキシーというバンド名がそもそも五〇年代にイギリスにあった映画館チェーンの名前である。
ロキシー・ミュージックはアルバムジャケットに女性モデルを使うようになっていった。アルバム『カントリー・ライフ』(一九七四年)のジャケットはセミヌードの女性二人だが、陰毛が写っているので日本だけでなくヨーロッパやアメリカでも問題になった。性転換した女性のヌードということも物議をかもした理由らしい。ただロキシーはエロティシズムをウリにしたバンドではない。
ロキシーの女性イメージの使い方は、奇妙な言い方かもしれないが日本の平安文学の〝色好み〟に近い。この世の花は散るから美しい。平安貴族はそれを桜に仮託し、やがて女性の華やぐ若さに広げていった。ロキシーの女性イメージの使い方にはこの世の華を、短い間に輝きを放つ若い女性の美しさを求めているようなところがある。
実際バンドメンバーが年を取るにつれてロキシーのステージは華やかになった。若い女性ミュージシャンを使い、コーラスに必ず若い女性数人を立たせるようになった。中にはビジュアルだけで呼んできたんじゃないかと思うような女性もステージに立つ。それが中年から老年になりかけたバンドに独特の華をもたらしていた。光源氏が玉鬘に寄せたような、触れようとして触れられない老いらくの恋のようなのだ。
A Song for Europe
Andrew Mackay / Andrew Edwin Mackay / Bryan Ferry
Here as I sit
At this empty café
Thinking of you
I remember
All those moments
Lost in wonder
That we’ll never
Find again
Though the world
Is my oyster
It’s only a shell
Full of memories
And here by the Seine
Notre-Dame casts
A long lonely shadow
Now, only sorrow
No tomorrow
There’s no today for us
Nothing is there
For us to share
But yesterday
These cities may change
But there always remains
My obsession
Through silken waters
My gondola glides
And the bridge, it sighs
I remember
All those moments
Lost in wonder
That we’ll never
Find again
There’s no more time for us
Nothing is there
For us to share
But yesterdays
ア・ソング・フォア・ヨーロッパ
アンドリュー・マッケイ/アンドリュー・エドウィン・マッケイ/ブライアン・フェリー
ここに僕は座り
人気のないカフェで
君のことを考えている
思い出す
すべての瞬間を
幻の中に消え去って
二度と僕らが
見いだせないあの瞬間を
だけど世界は
蛎殻のよう
殻があるから
思い出が保たれる
ここセーヌ川のほとり
ノートルダム寺院から伸びる
孤独で長い影
今は後悔だけ
明日なんてない
僕らに今日という日はない
そこにはなにもないんだ
僕らにあるのは
昨日の思い出だけ
町は変わってゆくだろう
でもずっと残り続ける
僕の執着
絹を広げたような水面を
僕を乗せたゴンドラが滑ってゆく
そして橋の、小さなため息
僕は思い出す
すべての瞬間を
幻の中に消え去って
二度と僕らが
見いだせないあの瞬間を
僕らに時は流れない
そこにはなにもないんだ
僕らにあるのは
昨日の思い出だけ
『A Song for Europe』はロキシー初期のヒット曲で舞台は花の都パリ、ノートルダム寺院が見えるセーヌ川に近いカフェからイタリアのヴェニスに移ってゆくようだ。しかも曲の最後に、初めはラテン語で、次いでフランス語でサビの部分の歌詞が繰り返される。「パリからヴェニスへの男の傷心旅行ってか、ううっ、キザっ」と呻いてしまうような曲だ。だけどなにをやってもかっこ悪く野暮ったいブライアン・フェリーだから様になる。ほとんどのロッカーと同様ブライアンもイギリス労働者階級の出身だが、ロキシーはヨーロッパの栄光と退廃、つまり〝雅び〟を体現したようなバンドだ。
岡野隆
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■