文学金魚では、オープニング・イベントとして俳人・安井浩司さんの墨書展を開催するとのことだ。それにあやかって、すばる10月号の「連続講義 ササる俳句 笑う俳句」を取り上げる。お笑いコンビのピース又吉直樹と俳人の堀本裕樹の対談形式だ。
俳句のことはよく知らないので、ピース又吉の気後れみたいなものは理解できる。それに対して堀本裕樹が、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言っているというのが第一回の主旨である。題して「俳句なんて怖くない!」
揚げ足を取るようで悪いけれど、「怖くない!」と思えるようになるのって、そんなに幸せなことだろうか。世の中にはいろいろ、バンジージャンプとかジェットコースターとか、スリルを売り物にした娯楽がある。そういったものでなしに、俳句とかに興味を持つというのは、その怖さみたいなものを感じられる人だろう。
たかが、言葉である。しかも短い。5・7・5 に嵌め込みさえすればいい。何を詠んだらわからない向きには、季節の言葉を入れればいい。それだけで 3文字以上埋まる。季語は入れなくてもいい。ちびまる子のおじいちゃんだって詠んでいる。そのぐらいのものと考えている人が多いのではないか。そしてそういう人は、それ以上に興味を持ったりしない。怖い、それでも、いやそれだからやってみたい、そんな人に「怖くない!」と言ってあげるのは、もちろん背中を押す親切なのだろうが。
ところでピース又吉は、すでに自由律句集を上梓しているとのこと。プロの作家さんとの共著の形をとるなど、手を借りたところもあるようだが、それを明示している分、自分でもちゃんと書いているのだろう。書くことはともかく、本当に本が好きらしい、というのは伝わってくる。
一般には、自由律俳句みたいなものは、有季定型に飽き飽きした俳人がやるんじゃないか、という気がするが。自由律から入って、有季定型はこれから勉強します、というのは珍しい。有季定型の方が格好がつきやすいし、日本人なら何となく詠める、というものではないか。
ピース又吉の俳句は、お笑いのネタから派生したものなのかもしれない。記事の中で、お笑い番組「イロモネア」でのステージに並べられた「モノ」を使って瞬時に笑いを取るという芸と、俳句との共通点が語られていて、なかなか興味深かった。
俳句は確かに、句会などでお題を与えて瞬時に詠む、ということをやるし、心情や叙述を省いていきなり「モノ」について「写生」する、というところがある。それが意表をつくかたちになれば、「笑い」に繋がることもあるだろう。
そしてそれは川柳とは違う。時間をかけ、笑いを誘うように計算した痕跡が黒々としている川柳は本来、それだけで笑えるものではない。それこそ綾小路きみまろのような語り口が必要となる。ピース又吉の「句」はどうやら「芸」を離れ、「テキスト」たらんとしているようだ。
水野翼
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■