角川短歌では「31文字の扉-詩歌句の未来を語る」が連載されていて今号は佐伯裕子さんと恩田侑布子さんの対談です。佐伯さんは岡井隆さん主宰の歌誌「未来」選者です。恩田さんは俳句同人誌「豈」同人ですが結社無所属です。俳壇では珍しい一匹狼ですね。ただその作品の評価は高く論客としても知られます。
短歌と俳句は兄弟姉妹の関係にあるわけですが風土はだいぶ違います。結社中心なのはどちらも同じですが歌壇の方がぜんぜん緩い。句誌で俳人と歌人が対談すると歌人は「アウェーだなぁ」と感じるんじゃないでしょうか。俳人がどの結社に所属していてどういう俳風の持ち主かすんごく気になるでしょうね。できるだけ俳人に合わせ余計なことは言うまいと気を配ると思います。しかし俳人が歌誌の対談に呼ばれると相手の作品を読み下調べはするでしょうが意外と気楽だと思います。歌人は少なくとも相手の考えを「それはダメ認められない」と頭から否定したりしません。
意地悪な言い方をすれば歌人は度量が広く俳人は狭量ということになります。実際短歌は決まりごとが緩いですね。五七五七七の三十一文字でなければならないという一応の決まりはありますが逸脱していても歌が新鮮で見所があれば許容されます。季語が必要ないことは言うまでもありません。しかし俳壇は厳しい。「五七五に季語がなければ俳句ではない」と〝明言〟なさる大結社の主宰もいらっしゃる。結社ごとに御法度に近い暗黙のルールがあることもしばしばです。
普通に考えれば決まりごとの緩い短歌の方がジャンルとして動揺するはずなのです。三十一文字からの逸脱は〝どこまで〟が問われるわけでほおっておけば自由詩に近づいてしまう。しかしいわゆる伝統短歌と鋭く対立するはずのエクストリームな口語短歌歌人でも自らの作品が短歌であることを疑っている気配は一切ありません。短歌は形式を越えるなんらかの実質的基盤を持っているということです。その意味で短歌文学はある種傲慢なところがあります。どんな試みが起こっても短歌文学はちっとも動揺しないということです。
じゃあ俳句は実質的基盤が脆弱だから非常に形式にこだわるのかということになります。乱暴な言い方ですがそうだと思います。俳句の成立基盤は少なくとも短歌より弱い。形式的締め付けを緩めれば解体してしまう危険があります。短歌は内容はもちろん形式によっても必ず作家の〝私性〟を表現しますが俳句はそうではありません。ある抽象的な空虚を表現する芸術です。空虚は外皮となる殻がないと消え去ってしまうということです。
佐伯 評論集『余白の祭』の中で、「私はなくて季語さえあればいい」という風潮も行き過ぎると季語が記号化されていく、とお書きになっていましたね。
恩田 「私」が無くなって現実逃避になっていく。虚子の「極楽の文学」を表面的に理解して、花鳥諷詠さえ詠っていればいいということで、現代にも自己の問題にも目をそむけてしまう。退嬰的、後ろ向きの人間になってしまうのが俳句の陥りやすいところで、それを俳人は気を付けないといけない。
佐伯 モダンなのですね。それなら、歌は告白癖に気を付けないといけない(笑)。そのまま告白することが、楽になっていくんですよね、だんだん。
(佐伯裕子×恩田侑布子「対談 31文字の扉-詩歌句の未来を語る」)
佐伯さんと恩田さんは初対面だそうですが対話は噛み合っています。恩田さんは「俳句って短歌のように本殿を作れないんですよ、短歌は五七五七七があるから本殿をちゃんと作れる。でも悲しいかな俳句は七七がないので、拝殿だけなんです。拝殿にあなたも一緒に来て、向こうの景色を見て下さいね、そういう誘い掛けしかできないんです」ともおっしゃっています。比喩的な言い方ですがその通りだと思います。
佐伯さんがおっしゃるように短歌は何をやっても「告白」――つまり作家の自我意識表現になります。〝私〟を表現していなくても伝統的短歌と一線を画する口語短歌は書き方の選択において作家の自我意識表現であるわけです。この自我意識から逃れようとするのではなくむしろ煩悩と葛藤にまみれて抽象的認識地平に抜けるのが短歌作家の辿る一つの道筋だと思います。
しかしこれも比喩的な言い方ですが七七を欠落させた俳句は自我意識表現になる前に表現が尽きてしまう。最初からある抽象を表現することを余儀なくされるわけですがそこに居直ると恩田さんがおっしゃっているような虚子的「極楽の文学」になってしまう。極楽は美しいかもしれませんが退屈です。じゃあ俳句は自我意識を取り込めばいいのかというとそうでもない。自我意識を表現するにしても一種の抽象の内面化(自我意識化)の道筋しかないのです。恩田さんの「俳句拝殿説」はそのようなもどかしさも含んでいるでしょうね。
描き眉の白炎雨月物語 恩田侑布子
通いつめしロードショー館パンテオン父が病む日も母が病む日も 佐伯裕子
今回の題詠は「映画」で恩田さんと佐伯さんの――つまりは俳人と歌人の表現の違いが際立つ作品で締めくくられています。
ここではじめて離れるのかゐのこづち動かなくなつたらいらない
声をかけあつてゐたから解つてゐるはずだ揺さぶつたのは鴉
口数のすくなくなつたあたりからなによ帰りのことばつかりで
ISの旗みたいに集まつてからすだよからす このゆびとまれ
生きてゐるのよりころされたのがおほいといふ数字ですわかります
ここでとつぜんサルですが木登りはさせないそれでよろしいですね
鴉でなくなるものもゐるつてわけですがこんなときにかぎつてまあ
ロバイヌネコニハトリ集まつてみたのはいや寓へですたとへです
楽隊にはいづれ入つてもらひますロバにかぎつたことではなく
あとでふる雨が消すぶんだけここをとほつたことを覚えておかう
(平井弘「おまへが鴉だつたときに」)
平井弘さんの短歌は独特なので読んでしまいます。現代詩の藤富保男さんを思い起こさせるようなライトバースとして捉えることもできます。「ここでとつぜんサルですが木登りはさせないそれでよろしいですね」などはつい笑ってしまいます。ただもちろん平井さんは歌人で作品は短歌です。昭和十一年(一九三六年)生まれで昭和三十六年(一九六一年)に処女歌集『顔をあげる』を出版しておられますが現在までに刊行された歌集は『前線』『振りまはした花のように』のわずか三冊です。結社にも所属しておられません。
寡作で大結社の主宰や編集人でもない平井さんの評価が上がってきたのは若い口語短歌歌人が平井さんの作品を口語短歌の先駆として高く評価するようになったからです。ただそれはどうかなぁ。両者はけっこう質的に違うような気がします。
大半の口語短歌歌人はちょっと感覚欠落症的資質を持つ俵万智さんや穂村弘を除くとごく普通の作家だと思います。作家としては当然のことですが自己作品の高い評価を求め社会的に著名になることを目指しています。歌壇内上昇志向も非常に強い。口語短歌はとりあえずの武器といった感じがあり当面のテリトリー拡張のために緩い同盟集団となっているようなところなにきしもあらずです。
平井さんにも自己作品評価を求める普通の作家の側面はあるのかもしれませんが作品の質がちょっと違います。平井さんの短歌は口語にこだわっているわけではなく短歌の決まりごと――クリシェをすべて外して回避することで生じているように思われます。その意味で平井さん独自の表現であり継承は難しいでしょうね。
平井さんはなんやかんや言って戦後の前衛短歌の時代をくぐり抜けた歌人でありその中で背中を向けて作歌を続けておられます。戦後短歌の流れの中での一つの貴重な試みとして評価できますが同時代同世代の作家からは正面から短歌と向き合っていないという批評が起こってもおかしくないと思います。つまり平井さんのような作家は一人で十分。現代の口語短歌歌人がいくら持ち上げても平井さんの方からスルリとその期待を抜けそうな気配があります。少なくとも持ち上げた方が暗に期待するような現世利益はないでしょうね。
高嶋秋穂
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■