クリスマス・イヴ恒例のフジテレビの明石家サンタを見ていたら、今年一番の不幸話に「東芝の社員なんです」と言った人が、一発で鐘が鳴りましたわねぇ。それで当たった景品がハイアールの家電セット。白物家電中心にグングン業績を伸ばしている中国企業の製品ね。お笑いの神様が降りたような展開でしたけど、まったくもって時代を感じさせるわねぇ。アテクシたちの時代は東芝やSONYは超一流企業で、もんのすごく就職が難しかったのよ。メーカーさんのお給料が安いことは知られていましたけど、退職金や企業年金なんかも含めると、一生安泰って感じだったわけでござーます。それがねぇ。
もちろん製造業は不滅よ。ティッシュからスマホなどのハイテク製品に至るまで、製造業がなくなったらアテクシたちの生活は成り立ちませんわ。だけど世界規模で状況がどんどん変わっていますわ。人件費の高い先進国では単純製品ではコストが見合いませんわね。付加価値がなければ競争に勝てないのよ。付加価値といっても製造方法のイノベーションも含みますわ。ただいったん新技術が確立されると、五年もたたないうちにイノベーション技術自体が売りに出されるような時代ですから、次々に新技術を開発していかなくちゃならないわねぇ。このサイクルから取り残されると、市場から消えてゆくことになるの。世界的好景気は株式証券市場が牽引してますけど、製造業がダウンしたら吹き飛んじゃうのはいつの時代も同じね。
ただまーハイテクってホントにくせ者ね。アテクシなんてああた、パソコンに触ったのはまだ5インチのフロッピーディスクの時代よ。その頃は基盤買ってゲームとかしてた人がまだいたわねぇ。んでパソコンがデンと業務の中心に入ってきて、それによって確かにいろんな仕事が簡単になりましたわよ。だけどねぇ、ハイテク化によって仕事の量が減るってのは、実感的に言えばウソね。むしろ個人が抱える仕事は増えていますわ。よく大学の偉い先生が十年後に消える仕事を発表しておられますけど、ピンポイントで言えばそうかもね。でもある仕事を消すまでと、消した後に、膨大な副次的業務が発生しますの。それが限られた現場の人間に押し寄せて来るわけですわ。理論で割り切れるほど現場は簡単じゃないのよ。
アテクシもアルバイトを数人使っていますけど、これがもー単純な書類整理仕事なのよ。ペーパーレス時代って言っても、人間のやることだから絶対に間違いはあるわね。数字とか文字の照合とかデータ管理とか。どーでもいいと言えばいいけど、おろそかにしておくと後で痛い目に合う仕事がたんとありますの。最初は部内でそういう仕事をやっておりましたのよ。単純だしたいしたことないって思ってたの。でもある日気が付きましたの。延時間にすると、こりゃ尋常じゃない労働だなって。ほんで上司に「んな仕事やってられるかやってられるかやってられるかぁこの、ハゲーっ」と噛みついて、アルバイト人件費のバジェットを組んでもらったのよ。
パソコンとネットワークでメインの仕事は簡略化されましたけど、ハイテク社会では福次業務が飛躍的に増えますわ。過労死のニュースが絶えませんけど、そういった方の中には、塵も積もれば山となる仕事に押しつぶされた人も多いと思います。一つ一つ見れば塵ですから、それが積もった時の作業量が予想しにくいのよね。
こういう時代ですから、それに逆行する職人仕事が注目されるのは当然よね。もちろんハイテク化でなくなっちゃう仕事もあるでしょうけど、ニッチな職人仕事はなくなりそうにないわね。だいたい人間って、本質的に手仕事が好きなのよ。今でもそうですけど、機械生産が大半になれば、価格は高くても手仕事ブランドが市場の一角を占めますことよ。
下着をクリーニング店に出すのか――という微かな動揺は、男としてのそれではなく、業者としての惑いであった。股引を出してくる独居老人がいることはいるが、こんな、硬く盛り上がったブラジャー、どう形を整えるべきだろうか。こんな皺の寄ったパンティーは、果たしプレスするべきだろうか。
(嶋津輝「カシさん」)
嶋津輝先生は第九十六回オール讀物新人賞受賞作家でいらっしゃるけど、お作品の安定感はもうベテランの域ね。「カシさん」の主人公はクリーニング屋のご主人で「男」と表記されています。チェーン店には所属せず、妻と二人で細々と仕事を続けています。それには理由があって、「男の店はシミ抜きに定評があって、ふだんはチェーンのクリーニング屋を利用している客も、落ちそうもないシミは男の店をたよってくるのだった」とあります。
ある日男の店に、三十代くらいの女がやってきます。受付担当の妻がトイレかなにかでいなかったので、男が対応することになります。女が持ち込んだ衣類の中に、けっこうな量の下着がありました。「微かな動揺は、男としてのそれではなく、業者としての惑いであった」とあるように、男は職人気質です。
ただクリーニング屋に下着まで出す女って、めんどくさそうよね。店に戻ってきた妻は一瞬でその場の状況を読み取って、「ごめんなさい、下着はね、お受けできないんですよ」とやんわり断ります。女は意外とあっさり引き下がるのですが、何かを抱えている女性だというのは間違いありません。アテクシの前にこのテの女性が現れたら、「じゃねお元気でバイバイ~」とマッハの速度で逃げ出すところですが、小説は面倒くささの先が描かれているから素敵よね。
妻が声をひそめる。
「×〇×〇、――つけてないの?」
「あ、やだ、わかりますか奥さん、ええ」
「あらやだ、せっかく洗い方きちんと教えたのに」(中略)
「どうして洗わないの」
また声を落とし気味にして、尋ねる。女客もすこし間をおき、
「私は郷ひろみとちがって、以前は洗ってたんですよ。でも、ここで洗うみたいにはきれいにならないでしょう」
などと言う。
(同)
女は常連客になってクリーニング店に通うようになりますが、最初の時にクリーニングを断った下着をつけていません。それは男も気づいていました。また男の作業場には大きな窓があり、外から素通しで見えます。男はクリーニングを依頼する前に、女がしばらく物陰から、自分の仕事をじっと見つめていることにも気づいていました。女客は多分、少なくとも衣類に関しては極度の潔癖症ね。クリーニング屋に出さないとキレイにならないと思いこんでるのよ。
ここからどう物語を転がすのかは、もしかすると男性作家と女性作家で大きく違うかもしれません。男と顧客の女が恋愛関係になるのは、言うまでもなく一番陳腐なオチよ。もちろん嶋津先生はそんな陳腐な物語にはなさいません。大文字ではなく、実に繊細な小文字の〝秘め事〟が描かれるのよ。
「あなたも、きれいよ」(中略)
女客はハッと顔を上げる。泣いてはいないが、黒目が膨張していた。(中略)
「私、おかしくなかったですか?」
「おかしくなんかないわよ」(中略)
妻は至極落ち着いて、女客に言い聞かせるように、答えている。
こないだ、とは、銭湯で一緒になったときのことだろうか。(中略)
「今度、ブラジャーとパンツも、持ってきていいですか」(中略)
「だめだって。しつこいわね、自分でやんなさい」
ふたりは朗らかに笑って、会計を終え、女客は帰って行った。
(同)
男の家では風呂場が壊れたので、数日だけですが銭湯に通うことになりました。そこで妻は女に会ったと言っていました。会話は交わさず、お互いそこにいることもわからなかったのではないかと言っていましたが、妻と女は銭湯でいっしょになったと認識していました。そして妻は銭湯での女の様子などから、女の心を読み取り理解するようになったのです。「あなたも、きれいよ」という言葉をかけてやったのはそれが理由です。理解されたと直観した女は「今度、ブラジャーとパンツも、持ってきていいですか」と甘えますが、妻は「自分でやんなさい」と突き放します。やんわり自立をうながしたわけです。
こういったお作品を傑作だと感じるのは、多分、女の読者だけね。男性作家にとって、女性の存在はたいていは社会と繋がっています。男権社会を突き崩す要素として女性が登場することがおおござーますわ。女性作家様の場合は違いますわ。特に恋する対象となる男性は、本質的に社会的要素を欠落させておりますの。むしろ女の希求の実現を阻む要素が男がまとっている社会性だと言っていい面がありますわね。
この感覚を突き詰めてゆくと、男女間の恋愛沙汰を描くより、女性同士の密やかな心の交流を描く方が小説のテーマがはっきりする場合がござーますの。嶋津先生のお作品はそういったタイプの小説ね。すこし地味かもしれませんが、女性読者の強い支持を得られる作家様だと思いますわぁ。
佐藤知恵子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■