貨布印刻塼残闕
後漢時代(二五年~二二二年) 素焼土製 縦九×横・一×厚さ一・二センチ(最大値)
骨董の世界には〝見所〟という言葉がある。一般的に言うと「鑑賞ポイント」の意味だが、美術館に収蔵されている名品はともかく市場にある骨董のほとんどは一長一短である。一つでも見るべきポイント、つまり見所があれば良しとしようといったくらいの意味で「見所があるじゃないか」という使い方をしたりする。今回の漢時代発掘品で見所があるのは貨布印刻塼残闕くらいだ。
塼は粘土を固めて焼いたレンガやタイルのこと。王宮や富貴邸宅の建築資材として使われたが、貨布印刻塼は墳墓の壁などに貼られた物だと思う。上下と左辺が残っており、完全なら九センチ四方の正方形だったようだ。中央に、恐らく凸型のスタンプを使って貨布が印刻されている。大量に焼かれ、墳墓の壁などをずらりと装飾したものだろう。貨布は新王朝が発行した貨幣である。
漢帝国は前漢と後漢に分かれる。途中に王莽による新帝国(八~二三年)が挟まるからである。王莽は前漢最後の皇帝から帝位を禅譲されて新を建てた。実質的な王位簒奪だが、禅譲もまた儒家が説く天命の移り変わりではある。王莽の新はわずか十五年で滅んだが、古代周帝国(紀元前一〇四六~二五六年)の治世を理想として、前漢時代にはなかった様々な施策を実行した。その中に貨幣制度の改革があった。前漢時代に流通していた主要貨幣は五銖銭と呼ばれる銅貨だったが(唐時代まで五百年近く流通した)、王莽は貨布と貨泉を新たに発行した。両者は王莽銭と呼ばれる。
【参考図版】貨布(王莽銭) 表と裏
マルクスを持ち出すまでもなく、貨幣の成立と流通の歴史は恐ろしく複雑である。中国では太古の殷・周時代から貝殻が貨幣(貝貨)として使われていたが、青銅貨が登場するのは春秋戦国時代頃からである。戦国の世を統一した始皇帝は貨幣統一にも積極的で、それが秦帝国の莫大な財政基盤になったとも言われる。秦の貨幣政策は漢でも受け継がれたが、実態は銭(青銅貨)、黄金、布(麻織布)、帛(絹織布)が貨幣として流通する複雑なものだった。黄金は貴重なので鋳つぶされて再利用され、布や帛は消滅して青銅貨ばかり残ったのだった。ただ都市住民の間では青銅貨が貨幣の中心だった。
十五年と短いが、新王朝の王莽銭はかなりの数が作られたことが確認されている。王莽銭は貨布の方が価値が高く、貨布一に対して貨泉二十五の値だったようだ。また漢代でも盛んに俑が作られ王墓に副葬された。秦時代と同様に素焼きで陶体の上から彩色した。ただし始皇帝陵のように等身大ではなく、ミニチュア版が多くなる。また俑は女官や楽人、家や蔵など多岐にわたるようになった。前後四百年の太平の世の中で、皇帝の墓を守る軍隊(武人たち)だけでなく、地上の栄華を死後(地下の墓の中)にまで再現する意図に変化していったのである。さらに太平の世は富裕層を生み、政府高官はもちろん富裕商人らも華美な墓を作るようになった。そのため何度も厚葬を禁じる御触れが出ている。
【参考図版】揺銭樹
後漢時代(一~二世紀) 青銅、陶製 四川省あるいはその周辺出土 高一二三センチ 東京国立博物館蔵
【参考図版】羊磚
前漢~後漢時代(前一~後二世紀) 土製 伝河南省滎陽県付近出土 高五八センチ
両方とも漢時代の墓から発掘された副葬品である。揺銭樹は金のなる木とも呼ばれるが、その意匠は複雑である。台座は羊に乗った仙人がかたどってある。てっぺんは玉をくわえた鳳凰だ。葉の部分には漢時代の五鉢銭銅貨や鳳凰、仙人などが鋳込まれている。いずれも吉祥である。発掘場所は四川省で、四川独自の巨樹伝説や不老不死の道教女神・西王母伝説の影響があるようだ。死者の魂が、樹木を伝って西王母のおわす桃源郷・崑崙山へと昇仙してゆく様子を表した副葬品だと考えられている。
羊磚は屋根瓦があることから墓の外壁レンガらしい。「美」や「祥」字につながる羊がかたどられている。羊は吉祥なのだ。ただ目と鼻は青銅貨の形である。角の間にも青銅貨が陽刻されている。副葬品なので冥銭の意味があるのかもしれないが、漢時代の人々の間に、死後の幸福も貨幣によって保証されるという意識が芽生えていたのは確かだろう。日用品だがフライパン型の銅器の中に炭火を入れて衣服の皺を伸ばす、熨斗と呼ばれる当時のアイロンの底にも青銅貨模様があったりする。これも貨幣経済が社会深く浸透し、貨幣(銅貨)が富貴と直結していた証左である。
副葬品や生活用品に表れる貨幣は容易に拝金主義を連想させる。言いにくいが現代に至るまで、中国人に拝金主義傾向があるのも確かである。中国的社会主義体制で安定しているが、メイン・チャイナは太古の昔から強烈な中央集権国家である。現実問題としても、多民族国家である広大な国土を秩序あるものに保ってゆくには相当に強い中央集権政府が必要だろう。広大な国土を一人の王が統治するのが国是になっているわけだが、それがメイン・チャイナがタイワン・チャイナの統合をあきらめない由縁でもある。中国王朝のアイデンティティーとも言える紫禁城の宝物の多くが蒋介石によって台湾に運ばれて、タイワン・チャイナも正統中国王朝を名乗る基盤があるのだからなおさらだ。台湾は民主化したが、メイン・チャイナはいまだに一党独裁だ。そのため人々の生活は一握りの権力者の意志に左右されやすい。革命とまではいかないが、文革のように一夜にして施策が激変することもある。その場合お金は身を助ける。ただ副葬品などに表れる貨幣のイメージを過剰に重視はできない。
冷戦後の現代では、民族と宗教が新たな紛争の火種になっている。またインターネットの普及によって、わたしたちは異なる民族・宗教・国家の実態を、細部に至るまで情報として知ることができるようになった。それは異文化間の相互理解を可能にした。が、同時にどうしても理解しにくい民族・宗教の固有性が露わになっている。有史以来日本文化に多大な影響を与え続けてきた中国も同様である。異文化に対しては世界中似たようなものだが、日本人は自分たちが理解しやすい中国文化を受容してきた傾向がある。
孔子は「怪力乱神を語らず」と言った。孔子は魯国の政治顧問のような思想家だったから、お化けなどについて語ってはいけないということではない。君主は常に理性的でなければならないという意味である。儒教は理知主義なのだ。ただ一方で孔子は天命を重視した。姿形を持たないが、天命は常に絶対的に正しい理性的指針である。また地上の万物おのおのにその本質を与える超越的神性でもある。この理性主義と超越的神性が儒教の中に同居している。
イスラーム教がアッラー(アラビア語で「神」の意味)を絶対神とし、天上(天国)も地上も地下(冥界)も神のものと捉えているのはよく知られている。そのためイスラーム社会はキリスト教のような政教分離ではなく政教一致である。原則として政治指導者は神の代理人でもある。質は大きく異なるが中国儒教文化も似た面を持っている。絶対理性で絶対神でもある天命を受けた王(為政者)は、天上と地上と地下を統べる天の代理人である。俑の貨幣イメージは庶民の場合は拝金主義的意図があるだろうが、貴人の陵墓では現世の富の象徴である貨幣が王侯の権威を荘厳する一要素になるのはあたりまえということだろう。
また儒教は地上の万物にはおのおの天から与えられた本質があると説き、それが封建身分社会の〝分〟という思想制度になった。が、劉邦が農民の子から皇帝になったように天命は移り変わる。易姓革命は、天命を得れば誰もが天下人になれるという思想をも包含している。この安定と動乱をもたらす儒教思想が中国の絶対中央集権体制を強固なものにしている。
歴史をかえりみれば明らかだが、中国ではほぼ全ての文化が皇帝のまわりで花開いた。杜甫は科挙落第組で高位高官の夢を果たせなかった。詩仙と呼ばれた李白は科挙を受験しなかったが、唐の玄宗皇帝に認められることを夢見た。権威に弱いわけでは必ずしもない。自らの分を思い知らされても、その中で最高位を目指そうとする指向が中国人の中にはある。そのため中国社会では、為政者に限らず文化・産業界でトップに立った者が絶対化(皇帝化)しやすい傾向がある。
歴代中国皇帝は「千人の屍により治世自ずから定まる」と言い放ってはばからない、苛烈で残酷な現実主義者たちだった。その一方で天命の体現者(代理人)である彼らの心の中には濃厚な想像界が広がっていた。天命が天上と地上と地下を統べる絶対規範であり神性なら、この世と来世はつながっている。それが近世の明・清時代まで続く、世界的に稀な広大で贅を尽くした皇帝たちの地下墳墓になっている。随・唐時代になると仏教の影響が強くなるが、地下帝国的な陵墓は基本的に儒教思想をバックボーンにしている。
怪しげな道教道士の言を容れて不老不死を求めた皇帝もいたがその夢は叶えられなかった。しかし天命を得た者は現世も来世も世界の王という思想はずっと一貫した。現実を理想化した厳しい俑の写実性は、現世を超える死によって皇帝の絶対的権威(天命)は完成するという思想の表れでもある。
骨董の楽しみ方は様々である。ただどんな場合でも贋作の名品より本物の残闕の方が価値がある。お金があれば完品の名品を買えばいいが、残闕からでもある文化の全体像を把握できる。中国皇帝周辺で作られたと推測される骨董は、俑だけでなく陶磁器でも陶片なら比較的簡単に入手できる。その造形は日本や韓国に比べて驚くほど厳しい。
始皇帝兵馬俑博物館や漢陽陵博物館(前漢第六代皇帝・景帝の陵墓博物館)を見学して、皇帝の現世的力と、来世にまで伸びる不吉なまでの帝意に驚いた方は多いだろう。暗い地下墳墓の中には極彩色の世界が広がっていた。日本人作家の中でも中国の史実を題材にした小説は大人気である。ただ日本文化との共通項と絶対的異和(相違)をどう表現するのかが最大のポイントになる。本当に骨董が好きなら馬の足の残闕をいじりまわしているだけでも、さらに一歩思考と感受性を深めることができる。(了)
鶴山裕司
(図版撮影・タナカ ユキヒロ)
■鶴山裕司詩集『国書』■
■ 中国俑関連の本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■