ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル『バベルの塔』展 16世紀ネーデルランドの至宝-ボスを越えて-
於・東京都美術館
会期=2017/04/18~07/02
入館料=1500円(一般)
カタログ=2500円
ピーテル・ブリューゲルⅠ世原画 彫版:ピーテル・ファン・デル・ヘイデン『聖アントニウスの誘惑』
一五五六年 エングレーヴィング 二三・一×三二・三センチ
ピーテル・ブリューゲルⅠ世(息子二人も画家で、長男が父の名を継いだのでⅠ世と表記される)は一五二六から三〇年頃に生まれ、一五六九年に四十歳くらいで没した画家である。ボスと同様、その人生の詳細はほとんどわかっていない。名前もブリューゲル村のピーテルという意味である。イタリアに旅行して絵を学び、現在のベルギーにあるアントウェルベン(アントワープ)に戻って本格的画業を開始した。アントウェルベンの画家組合に所属していたのである。
聖アントニウスは三世紀頃の聖人で、砂漠にこもって厳しい修行を積んだと伝えられる。その際、さまざまな欲望が怪物の姿となってアントニウスを誘惑した。ブリューゲル原画のエッチング(ビュランで銅販に直接彫刻する、エングレーヴィングと呼ばれる初期手法で作られている)では画面右下に、跪いて恐らく聖書を朗唱しているアントニウスが描かれている。ただこの作品の絵画的(視覚的)意図が、アントニウスの背後で繰り広げられる悪魔の誘惑にあるのは明かである。
木版より大量の絵を刷ることができるエッチングはブリューゲルの時代に盛んになっていた。ブリューゲルは原画を描き、彫師のヘイデンらと協力して作品を作った。『野ウサギ狩り』と題された、ブリューゲル自身が彫った作品も一点だけ残っているが、エッチング作品としてはシャープさに欠ける。専門の彫師と組んだ方がより良い作品が出来るという判断があったようだ。現代作家になるが、ハンス・ベルメール作品も、原画より彫師セシル・ランスのエッチング作品の方が遙かにシャープである。
『聖アントニウスの誘惑』は、ボスの強い影響を受けてブリューゲルが初めて作った作品である。魚の腹に空いた穴の中に人が住んでいる描写は『樹木人間』にも見られる。胴体が亀になったような人間や壺から足が生えている人間の姿には、ボスの死後に、その作風を自由に発展させた作品からの影響がある。ただもちろんブリューゲルは単純なボス模倣者ではない。展覧会のタイトルになった「ボスを越えて」という表現が的確かどうかは別として、ブリューゲル絵画にはネーデルランド絵画初の独創者であるボスを踏まえた、それまでの絵画遺産の統合がある。
ピーテル・ブリューゲルⅠ世原画 彫版:ピーテル・ファン・デル・ヘイデン『夏』
一五七〇年 エングレーヴィング 二一×二八・四センチ
ブリューゲルが「農民ブリューゲル」の異名を持っていることはよく知られている。『夏』はエッチング作品だが、油絵でも農民たちの日常生活を描いている。初期、といっても四十年ほどの短い人生だが、ブリューゲルはイタリアから戻った頃は旅で見た風景を描き、すぐにボス風の黙示録的宗教画を手がけ、同時に農民たちの生活を描くようになった。彼自身の言葉や書き物はもちろん、伝記的事実もあまりわかっていないので推測になるが、ブリューゲルがネーデルランド絵画とでも呼ぶべき独自の表現を目指したのは確かだろう。その大きなヒントになったのが風景画とボス絵画だった。
ブリューゲルが生きた時代はカトリックへの抵抗運動である聖像破壊と、それに続くオランダ独立戦争の時期にほぼ重なる。当時の画家らしく、ブリューゲルもまた本職は宗教画家だった。しかししブリューゲルには正統的祭壇画がない。一五五六年から五七年にかけてキリスト教の伝統に基づく『七つの大罪』のエッチング連作を制作したが、そこで描かれているのは神々しい神意ではなく、『聖アントニウスの誘惑』と同様の罪の猥雑さ、沸騰するエネルギーすら感じさせる自在さである。
ブリューゲル絵画では西ヨーロッパカトリック圏の、乱暴なことを言えば抹香臭い宗教表現が排除されている。宗教画ではあるが、杓子定規なカトリック的規範から、異形の者たちが溢れ出して来るような作品なのだ。ブリューゲルのエッチングはボスよりもさらに複雑で緻密だ。画題としては中心があるが絵画としては中心がない。絵全体で一つの調和世界を形作っている。しかし実に奇妙な調和だ。プロテスタンティズムの影響もあるだろうが、新たな国を作り出す際の大きな精神的盛り上がりが、聖と俗がないまぜになった混沌として表現されている。
【参考図版】ピーテル・ブリューゲルⅠ世 『バベルの塔』(ウィーン版)
一五六三年 油彩、板 一一四×一五五センチ
* 今回の展覧会では来日していない。
ピーテル・ブリューゲルⅠ世 『バベルの塔』(ボイマンス版)
一五六八年頃 油彩、板 五九・九×七四・六センチ
ブリューゲルは『バベルの塔』を二点描いている。一点はウィーン美術史美術館所蔵作品で一五六三年に制作された。もう一点が今回来日したボイマンス美術館所蔵作品だ。最晩年の一五六八年に描かれた。一般的にはウィーン版『バベルの塔』の方が有名である。理由は簡単で、ウィーン版は大作である。縦一一四センチ、横一五五センチある。これに対してボイマンス版は縦五九・九センチ、横七四・六センチとほぼ半分の大きさだ。実際に見ると迫力がぜんぜん違う。東京都美術館でボイマンス版を見た時、こんなに小さい絵だったっけとちょっとショックだった。
バベルの塔は『旧約聖書』「創世記」第十一章の記述に基づいている。大洪水を生き延びたノアの子孫が天に届くような塔を建て始めたが、それが神の怒りに触れた。人々はそれまで同じ言葉をしゃべっていたのだが、神はそれを複数の言葉に分かった。意思疎通ができなくなった人々は大混乱に陥り、塔の建設を放棄したのだった。バベルはヘブライ語で「混乱」を意味する。『旧約』では塔があった町がバベルと呼ばれるようになったとある。西暦一世紀に書かれたフラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』には、「バビロンの塔」と記されている。
『旧約』には「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなこと(塔の建設)をし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない」とある。『ユダヤ古代誌』には塔の建設は神の力をないがしろにする人間の不遜行為であり、建設を主導したのはニムドロという男だとはっきり書かれている。バベルの塔はモザイク画の時代からたくさん描かれてきたが、ほとんどの図像が『ユダヤ古代誌』を元に塔とニムドロの姿を描いている。
中世の画家は、現代画家のように自己表現のために絵を描くことはまずない。注文主の依頼で制作する。ブリューゲルも同様だった。ただ後から描かれたボイマンス版は、先行するウィーン版の画家自身の手になる縮小コピーではない。もちろん大きさの違いを別にすれば基本構図は同じである。手前に高台があり、平地の真ん中にバベルの塔がある。塔は港に面していて船が停泊している。雲によって、バベルの塔がそうとうな高さの建物だということがわかる。しかし同じ構図でも二つの絵が与える印象はだいぶ違う。
まずバベルの塔の色調が大きく異なる。ウィーン版はベージュ色でボイマンス版は濃いレンガ色である。そのため両者とも雲は出ているが、ウィーン版は穏やかな昼間、ボイマンス版は嵐の前を思わせる。雲の色もボイマンス版の方が濃い。
細かな相違点もかなりある。ウィーン版では手前の高台に、塔の建設指導者であるニムドロが描かれている。しかしウィーン版にはその姿がない。塔の先端の形も違う。ウィーン版では先端にひときわ高い円筒状の建物が描かれ、バベルの塔が天に向けて一直線に伸びてゆくことが示唆されている。これに対してボイマンス版には四つの突起が見える。ウィーン版が一本の縦軸に沿って上に伸びてゆく塔であるのに対し、ボイスマンス版は塔が全体的に上へと増殖してゆくような意匠である。
似ているが大きく印象の異なる二つの作品は、約五年の間にブリューゲルのバベルの塔解釈が変わったことを示している。ニムドロの姿がないのがそれを端的に表しているだろう。ウィーン版はニムドロが主人公だ。白いマントを羽織ったニムドロと、塔の先端を結ぶ線がこの作品の主題を形成している。『ユダヤ古代誌』に沿った宗教画だと言える。
これに対してボイマンス版は、バベルの塔自体が絵の主題である。雲の暗さ、塔の色調の重厚さは神話の記述とは異なり、塔が堅牢な建物であることを示唆している。
【参考図版】スコットランドのジェイムズ四世の画家《バベルの塔》写本装飾『グリマーニの聖務日課書』
一五一五~二〇年頃(制作地:ブリュッヘもしくはヘント) ヴェネツィア、マルチャーナ国立図書館
【参考図版】コルネリス・アントニスゾーン『バベルの塔の崩壊』
一五四七年 エッチング
二点ともブリューゲルの『バベルの塔』に先行する作品である。『旧約』にも『ユダヤ古代誌』にも塔は建設途中で放棄されたとあるだけで、崩壊したとは書かれていない。しかし神意による塔建設の挫折は人間の力の限界を思い知らされる出来事であり、実質的な塔の崩壊である。『グリマーニの聖務日課書』には定型通りニムドロが描かれているが、塔は細く華奢である。『バベルの塔の崩壊』はブリューゲル作品と同様、ローマのコロッセウムのような形だが、神威で壊され逃げ惑う人々が描かれている。
宗教画には必ず先行するテキストがある。それぞれの画家のテキスト解釈が、絵を傑作にしたり駄作にしたりするのだ。また宗教画は本来、審美的観点から優劣を付けられるものではないという考えにも肯くべき点はある。敬虔なキリスト教徒は『グリマーニの聖務日課書』のバベルの塔を見て不安に襲われ、『バベルの塔の崩壊』の絵に怯えるかもしれない。なんらかの宗教的意味を伝達していなければ宗教画はその役割を果たせない。
ただ死の前年に描かれたブリューゲル『バベルの塔』(ボイマンス版)には、はっきりとした宗教的異図が読み取れない。この作品がわたしたちに強い印象を与えるのは、塔が崩れそうにないからである。ほかのブリューゲル作品と同様、ボイマンス版にも細密な描き込みがある。しかし塔の中の人々に不安な様子はなく、日常的な建設仕事に従事している。
ピーテル・ブリューゲルⅠ世 『バベルの塔』(ボイマンス版)部分
もちろん画題として『バベルの塔』を選んだ以上の意図が読み取れないからと言って、ブリューゲルがアンチ・キリスト的心性を表現したとまでは言えない。しかしオランダ独立戦争前後から、独立の方便であり、また精神的拠り所でもあったプロテスタント化の波によって、オランダ(ネーデルランド)では独自の精神風土が芽生えていた。
人々はカトリック的宗教画を嫌い、大作を切断して風景だけを残した。それが汎神論的心性を生み出し、ボスという幻視者が、カトリックが封じ込めていた奇妙な動植物を絵画の中に解き放った。人々はそれを恐れるどころか愛し、ボスよりも奇矯な作品を大量に作った。そしてブリューゲルが登場する。彼はイタリアで修行したがその画風に飲み込まれなかった。ネーデルランドの人々を描き、ボスの遺産を引き継いだ。宗教画として読み解ける『バベルの塔』(ウィーン版)と、宗教色の薄い『バベルの塔』(ボイマンス版)を残した。
ブリューゲルの二つの『バベルの塔』では海が目立つ。ここまで海に突き出したバベルの塔はブリューゲル作品だけだろう。もちろん『旧約』にも『ユダヤ古代誌』にも海辺の町という記述はない。ブリューゲルは『旧約』の記述通りにバベルの塔建築で使われた素材を描いているので、海辺の塔は意図的なものだ。ブリューゲルの時代、オランダは大航海時代に乗り出そうとしていた。海辺に立つバベルの塔が、オランダ繁栄の象徴なのか衰亡の予兆なのかは誰にもわからない。ただブリューゲルという画家に複数の中世精神が流れ込み、その作品が近世オランダ絵画の基礎となったのは確かである。(了)
鶴山裕司
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