過保護のカホコ
日本テレビ
水曜 22:00~
出だしの数字が好調だったようだ。確かに「取扱注意」などの赤札を散りばめた白いドレス姿のヒロインのポスターは人目を惹き、開始前から期待感を高めた。タイトルもいかにも現代的で面白そうだ。すなわち現代の私たちが、現代ならではの現象として見かけたり、思い当たったりする、ということだが。
タイトル通り、過保護に育った女子大生の話であり、過保護=純粋培養という解釈のもと、そのピュアな魅力を高畑充希が好演している。母親役の黒木瞳はコメディもこなせる、相変わらずの安定感だ。このピュアな女子大生はしかしある理想型であって、私たちがドラマに期待したものとは少し違う。このタイトルで、可愛い箱入り娘を観たいと思った視聴者がどれだけいただろう。
期待したものでなくても魅力があれば、それは見ていて不快なことはない。ただドラマ自体、アピールのポイントやテーマが混乱していないか、少なくとも明確に整理されないままスタートしたのではないか、という気がする。箱入り娘と過保護とは、同じ概念ではないのだ。
箱入り娘、ピュアなお嬢様というのは、端的に富裕層のものだ。地元でも知られた旧家、というのが昔からの発生場所である。これはすなわち「育ちがいい」というもので、世間知らずかもしれないが、過保護ではない。きちんと躾けはされているので、成人してからは意外なタフさを示す。豊かに育っているので金銭への執着もなく、わりと金欠に耐えたり、その気になると結構、稼いだりもする。
対して過保護、という言葉に非難や軽蔑のニュアンスが含まれるのは、それが弱さであり、ある種の貧しさを原因とする病いであるからだ。親としての見識のなさ、定見のなさは実際、旧家や名家では起きようがない。過保護が発生するのは、親に十分な教養が備わってない中流の下の方、たまたま富裕であったとしても成金、と相場が決まっている。差別的だけれど厳然たる事実だ。
ついでに言えば、過保護は都心部では少なく、首都圏なら鄙びた郊外、地方都市に多い。山間部や海沿いはもちろん少ない。つまり核家族でなおかつ経済基盤が弱いという条件が、母子密着を避けられなくする。たいてい一人っ子であり、シッターや家庭教師など他人によるサービスを長時間受けさせる余裕はない。何から何まで母親が面倒見ることが一番経済的だ、と判断される層である。過保護は相対的な経済弱者、教育弱者である親が罹患する病いであり、子供の精神的な弱さという結果を例外なくもたらす。
子供としても、都心部ではさまざまな刺激の密度と質が高く、精神的に親への依存度が低くなる。一方で高層マンションでは上階に行くほど母子密着が強い、という研究結果もあって、子供にとっての精神的・物理的な逃げ道のなさが生み出すのがすなわち過保護である。その結果はいわゆる「育ちのよさ」とは程遠く、他人にすれば目を背けたくなる醜悪な光景だ。
明らかに普通のサラリーマン家庭の娘であるカホコが、ピュアなお嬢様然としているのは、したがって無理がある。富裕層では視聴者の共感を得られないということかもしれないが、そうともかぎるまい。狙いと見識がはっきりしていれば、どんな設定にだって視聴者はついてくる。そして過保護というなら、成長物語にしかしようがなく、しかしそのぶつかる先は社会であるはずだ。家事ができない、など瑣末なことだ。回が進むにつれてストーリーが混乱し、ただのドタバタなホームドラマにしか見えなくなると残念である。
山際恭子
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