先月号から西村賢太氏の「雨滴は続く」が連載されている。西村氏の小説は読むに値する。今最も力のある純文学作家の一人だろう。ご本人もおっしゃっているように、彼の作品は私小説である。〝私〟の身の回りで起こった出来事を書き、〝私〟の心理の動きを叙述する小説だ。天下国家の大事には一切関わりがない。また日本や世界の行方といった大問題とも無縁である。にも関わらず西村氏の作品には魅力がある。人間存在に関する真理が描かれている。
今回の「雨滴は続く」は、西村氏のいわゆる文壇デビューの頃を舞台にした作品である。よくネタが続くなぁと思うが、常に題材を探しておられるのだろう。ただ西村氏のように多作な私小説作家は初めてである。葛西善蔵を始めとする大正・昭和の私小説作家は、おしなべて寡作だった。西村氏が次々に私小説を発表できるのは、言うまでもなく――論理的批評の形でまとまっているかどうかは別として――彼がまず私小説のいわゆる研究者として出発したからである。この作家は私小説を知り尽くしている。私小説の原理を抑えているのだ。
ただ難しいことを言わなくても、単に読むだけでも西村氏の小説は楽しい。楽しいというのは語弊があるかもしれないが、何かで追い詰められた人間の心理を極端な形でフィクション化すれば、こういう言動になると思う。ほとんどの人間が、胸に手を当てれば思い当たるような心の動きなのだ。今回の「雨滴は続く」もそうで、内容はいわゆる〝文学の世界アルアル〟である。たいていの文学者志望の少年・少女が「雨滴は続く」のような経験をしている。あるは今後することになる。そういう意味では文学者志望の方は必読かもしれない。
「ほかの同人のみんなに迷惑がかかるのは困るっ! 『煉炭』は君を中心に活動しているんじゃないんだぞっ!」
なぞ云う陳腐なイヤ味を投げつけられながらも、間違いなくこれが年末には〝半期優秀作〟に選ばれるであろう根拠のない自信をふとこっていた彼は、尚も平身低頭で頼み込み、さらに数日を経てやっとのことで書き上げ、誠意を見せる為に原稿を千葉の検見川の主宰者宅にわざわざ持ってゆき、著者校は彼だけ印刷の当日に、新小岩の町工場内一隅にて行ったものだった。
そして、かような印刷所での著者校と云う〝小説家ごっこ〟的な一幕も挟んだせいか、貫多はいよいよ該当作が転載作のロイヤルロードを突き進んでいる確信を覚えていたのである。
だが、彼にとっては意外なことに、また傍目から見れば至極当然なことに、それはどこまでも馬鹿馬鹿しい錯覚に過ぎず、翌月だか翌々月だかの〝同人誌評〟で、『煉炭』誌の他の収載作は採り上げられていても、彼のその自信作はまるで黙殺されると云う、この当たり前と云えば全く当たり前の事態に、根が異常に自己評価の高い質ながら、一方の根はクールなリアリストにもできている彼は、いっぺんに現実世界へと引き戻されてしまった。
(西村賢太「雨滴は続く」第一回)
西村氏の小説でお馴染みの北町貫太は、以前一人で私小説作家・田中英光の資料を集めて研究小冊子を作っていたが、次第に興味が私小説作家の藤澤淸造の方に移っていった。貫太の目標は淸造の全集と詳細な伝記を書くことだが、淸造に関する文章を発表する場として小説同人誌『煉炭』に入ったのだった。ところが創作発表の場の影響を受けたせいか、貫太が発表した最初の作品は小説の体裁を取っていた。『煉炭』には三作しか小説を発表しなかったが、そのうち一作が有名な純文学小説誌『文豪界』の同人誌優秀作に選ばれ、同誌に転載されることになった。
『文豪界』は言うまでもなく「文學界」のことである。文學界は長年同人誌評を掲載していたが、今は三田文學がそれを受け継ぎ、三田文學が選んだ優秀作が文學界に転載掲載されるシステムになっている。編集者だって退職後の生活を考えなければならずその一つとして大学教員は魅力的だし、大学でくすぶっている文学者志望中年だって日の当たる場所に出たい、といったバーターではもちろんなく、また三田文學が文學界の翼賛雑誌になったわけでもなく、両文芸誌の高邁な文学的理想が合致した同人誌評移転だろう。
それはともかく貫太が『煉炭』の主宰を始めとする同人から受けた嫉妬は、本当に陳腐な文学アルアルである。主宰の男は九十歳に設定されているが、貫太におめでとうを言う代わりに「一回、優秀作に選ばれっと、あとは二度目を許してくれねぇんだから、いつもこっちはよ、どんだけいい作を書いてもベストファイブ止まりなんでイヤになっちまうよ」と言う。主宰だって同人誌優秀作佳作に選ばれたことくらいはあるのだ。しかし文壇で活躍する作家の道は遠い。それでも一縷の望みを持って小説を書き続けている者が、チャンスを得た者に嫉妬や妬みの感情を持つのは半ば当然である。
あんまり書くと暗い気持ちになるのでやめておくが、人間の嫉妬や妬みはすさまじい。よくスポーツマンは爽やかだと言うがそれは一流選手だけだろう。中途半端な選手が抱く嫉妬がどれほど淫靡で執拗なのかは、経験した人なら誰でも知っている。スポーツのようにはっきりと優劣がつきにくい文学の世界では、なおさらのことである。
また私小説の研究を私的に行っていた貫太が『文豪界』同人誌優秀作に選ばれた途端、すっかりその気になってしまう様子もコミカルに描かれている。それもまた当然だろう。ロックバンドのプリテンダーズのボーカル、クリッシー・ハインドは音楽誌の記者からロッカーに転身した。その理由を聞かれて〝More fun〟と答えた。大学で文学を研究している学者さんだって、若い頃に一度や二度は創作に手を染めていることが多い。
ただ貫太はすぐに我に返る。「こんなものは、所詮はこれで終わる性質のものなのである。ベストファイブだの同人誌優秀作だのと云っても結句は団栗の背比べで、のど自慢レベルの素人コンクールに過ぎない」とある。本当に作家として活動するのなら、デビューの敷居など軽々と越えてゆかなければならない。また貫太が研究する私小説作家たちは、世間の低い評価に苦しみながらも自己の文学を追究した作家たちである。
西村作品では権威に揺らぐ弱い人間の心理も描かれるが、その基本は私小説的反骨であり反権威である。どんな経緯を辿ろうと貫太は作品を書き、それが読者に届けばいいのである。元々は自分で雑誌を出し、千万に届く金を払って私小説関連の資料を集めていたのだ。
「どうですか、その後は『文豪界』の方から、続けて作品を見せてくれるように言われたりはしていませんか?」(中略)
「いや、ぼくは何も言われてません」(中略)
そこで蓮田はふいと口を噤み、伏せた目の上なる眉根をやはり顰めたままでコーヒーカップを取り上げたが、貫太がその表情を盗み見た限りでは、先様の面上には〝しまった〟とでも言いたげな、何かの後悔の色がアリアリと浮かんでいる様子に見受けられた。
「――まあね、『群青』としても、同人誌優秀作・・・・・・でしたかね? あの欄からのかたにお声をがけすることは、めったにないんですけどね」(中略)
「もし、書ける自信があれば一度短篇の原稿を見せてくれませんか(中略)」
「ただし、それについては条件があります。三十枚きっかりのものを書いてきてください。一枚でも長かったり短かったりではなく、ちょうど三十枚です。(中略)」
「それと、もう一つ。前もって言っておきますが、この件に関してもそうなんですけど、今後のことについても、余り過剰な期待はしないで下さいね。(中略)」
「また北町さんの場合は、失礼ながら年齢も年齢ですし、(中略)古本屋さんの手伝いみたいな仕事というのをあくまでも本職として、ひとつ気楽な感じで書いてみて下さい。載る載らないは、この際、二の次ぐらいの考えで」
(西村賢太「雨滴は続く」第二回)
文學界からは次の作品をとは言われなかったが、貫太の元に『群青』(言うまでもなく「群像」編集部)から連絡が来る。てっきり作品依頼だと思い、喜び勇んで貫太は音羽の講談社編集部を訪れる。貫太への編集者の対応は、いわゆる大手文芸誌の編集部のマニュアル通りである。マニュアル通り過ぎるところを見ると、まあはっきり言ってあんまり優秀な担当者が付かなかったようだ。でも問題ない。文藝春秋社や講談社では人事異動ですぐに担当が変わる。また作家が有名になれば、副編集長クラスが対応してくれるようになる。
ただ西村氏が、単なるポーズではなく、日本の文学システムを見切っているからこういった私小説が書ける。その意味で西村氏は、古典的意味での私小説無頼作家だとも言える。
それにしてもまあ、なんだか空しくなるような相も変わらぬやりとりである。世の中はしょせん相手側、先様の都合で動くと言えば全部そうである。三十枚きっちり小説を書けと言うのもそう。限られた紙数で新人の作品を掲載しようとすればそうなる。それがイヤなら、どんな形であれ先様が言う決まり切ったクリシェ――つまりたいていの作家が辿る道筋――を越えてみせなければならない。商業文芸誌のクリシェは西村氏が書いている通り。文字通りその通り。ただ現代では別の道筋もある。要は結果を出せばいいのである。
大篠夏彦
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