* 安井浩司俳句作品原文にあるルビは、漢字の後に( )で表記してあります。
■『汝と我』昭和六十三年(一九八八年)より■
Ⅰ
塩杭へ蛇下りゆくとき悲し
つばくろや風は銅器をやわらげる
鉈をもて落とす日輪捲く蛇を
乞食は接骨木を連れ歩きけり
山通草手もむらさきの神変へ
Ⅱ
玫瑰や母を棄てたき砂洲(さす)がある
春の野を二牛三人行きにけり
肛門を柘榴となしき神曲は
桃林に短剣投げて母郷近し
舌骨が浮き残りたる老農忌
Ⅲ
野糞ひらき見れば中に心(しん)の種
めかるかやおかるかや言立つる山
神男(かむおとこ)泣くや熊掌のやまといも
棘草(いらくさ)おそれる眼球ふたつ陰囊に
天地分かれて柘榴の中をとぶ小蟲(さむし)
葛原に女形の石も起(た)たしむる
Ⅳ
まばたけば那智の黒石眼より出づ
夏鶴や甕割れて地の底が見ゆ
地の涯に牡牛の尿を燃やす秋
有耶無耶の関ふりむけば汝と我
■『風餐』平成四年(一九九二年)より■
天を曳く網に宿して瓜ひとつ
柿の花死ねばたれもが墓二つ
日光湯葉に蛇の一寸くるむ夢
鳴る風に野蛇が頬の紋なれや
夏垣に垂れる系図も蛇のまま
■『四大にあらず』平成十年(一九九八年)より■
Ⅰ
鶸湧くや異木ふたつの十文字
麦雨来て地に胆汁をたらす牛
Ⅱ
昼顔やかの沖に木の弥勒あり
翁面落つ長草の穂の一撃に
麦生に転がる狂人の軸捉えんや
老母丸まる山川廟堂わらび萌ゆ
Ⅲ
我死ねば来る鳥装の人ばかり
父は土間に倒れて塩濃き脳のまま
石山の燕は半紙につつみ去る
村椿いずれ腰裳をとる乙女
Ⅳ
誰かまた巫具を投げうつ青葉谷
土斑猫まだ王之印現われず
薊にひそめば軍旅のごとし鳩の首
Ⅴ
谷かぜに独活の幼霊立ちにけり
木賊の中を一本の羊歯堪えにけり
Ⅵ
円筒帽のみな顔亡しぞ昼の月
枯野の涯に船を焼いて塩を得し
Ⅶ
舌の痺れを恐れずに食(は)め蛇苺
雪垣に雪蛆(うじ)ひそむ帰郷かな
国剥(む)きの鍬振る一人うまごやし
■『句篇』平成十五年(二〇〇三年)より■
Ⅰ
天動のひるすぎて蜂みな静か
奥雉子は泣き鉄(くろがね)のこぼれけり
野菊原身伏せの跡を残さんや
石で打たん老虎の中に在る石を
冬の叢萩燃ゆ火娘のかたちして
Ⅱ
麦生はや頭に微毒をもつからす
おとこども来る麦比べ麦神楽
山蟇刺せる聖句入りの杖をもて
二(ふた)翁湧く国風のさるおがせ
鷹の翼に足かけ憩え湯殿山
Ⅲ
鳶の輪下に霊石を積む意味ひとつ
老母(はは)訪えば盥に在りき信天翁
蛇鳴いて草筆は墨欲しけり
拾い骨とて接げば痩犬草あらし
Ⅳ
人来ればわざと野面の皺の水
尼僧二人が野麦を分けて地獄湯へ
柱頭みな落ちて国原国鼠
国破れちがやに馬を曳くからす
髑髏から舌落ちきれず夕雲雀
Ⅴ
夏の旅人去る土壁に鷓鴣を刺し
曇天に残れる蝉の余羽根こそ
沖に立つや梭は一本の墓じるし
寒鯉より口中の刀(とう)抜けば死す
畝たばこ植えたる天地くらかりき
Ⅵ
氷峰に石投げて石生まれるも
春墓起しにめざす出羽雲然(くもしかり)村
透きるまで母屋は燃えつ枯蓮(はちす)
労農ひとり男糞女糞を混ぜる春
いずれ死す蛇模様なる帯の父
天の鶴おみなの腋に有るたまご
Ⅶ
野火分けて来し汝が精のはや死して
秋の亀首を刎ねると甘露出て
濡れ仏抱く月光は脾臓まで
春ふもと踏めば地煙いだす穴
振りむけば首無し童女鞦韆に
夏崖へ亡父の肘骨印とせり
笛声のおとこいずこに枯葎
あぐらして蜻蜒火(かぎろい)を視る父とわれ
餅搗けば血のまじりたり寒苦鳥
Ⅷ
雉子ごえの念仏紙を貼るふすま
仏桑花鏡を見れど誰もいず
銅蓋とつて諸霊を散らす草野かな
晩年や螺貝(まきがい)より抜く腸美し
万物は去りゆけどまた青物屋
睡蓮や今世(こんぜ)をすぎて湯の上に
■『山毛欅林と創造』平成十七年(二〇〇五年)より■
Ⅰ
春浮木跳ぶは海生(うみう)の白うさぎ
春土摩(さす)れば顔のかたちの古石出づ
春雷や鳥散りやすき浄土門
Ⅱ
悉く棺蓋上げらる白茅原
天つ窪みに乳満たし行く鶴がいて
遺跡土にそつと差し込む檪の実
鷹巡る春土に武勲詩ひとつ置き
「切られたみみずは鋤を許す」耕氓よ
熟柘榴ゆび入れ火薬を掘り出さん
Ⅲ
木賊深原「ゆるし給え」の墓一つ
種子零すいぬほおずきの犬殺し
蛇(くちな)無き国原過ぎるに夏寂し
Ⅳ
補陀落の冬波桶に汲み帰る
つぐみ黒原ただ一戒の墓高し
さえずりや喉に幼痕もつ鷹も
Ⅴ
かまどむし見んと火焔に鏡入れ
北窓にへちま垂れるとき死ぬや
金雀枝や種牛のいま曳かれ行く
Ⅵ
日蔭蛇産まねば神も殖えずして
木母寺や枝には鵙ら舌の片
Ⅶ
弧雲わが隷書の墓につぐみ来て
深草風恥骨のうらに符をかくし
夏草や葬家をめざす指じるし
秋の海一瞬尾を見せもぐる姉
■『空なる芭蕉』平成二十二年(二〇一〇年)より■
Ⅰ
樟の花天人修羅のいま静か
死鴉を吊るし春空からす除け
鬼箭木(にしきぎ)や燃える尿を振るおとこ
春鳶やほとけおろしの片川原
実忌や夕空うつくし止血帯
Ⅱ
二月はや深(み)谷の氷を焚く処女(おとめ)
葛あらし円き鏡を孕む女(ひと)
Ⅲ
初雷下る神学生らのラグビイに
秋蛇は轢かれて箸墓脇の道
寒鯉を煮るや人の血少し入れ
Ⅳ
金雀枝の花降りやまず浄土駅
蟷螂が生まれる末黒の一草に
Ⅴ
朝雲雀おとこが古塔の墜落死
隠沼(こもりぬ)を啜るや致死の青みどろ
岳神に下ろされ匍い初む野蛇ども
春筑波尾ある国人這えるまま
Ⅵ
農人は飛天の乳(ち)をあび白髪に
花野くぼこの天然の母に寝て
雨季の母羊の後門洗うなり
夏蓬無文字の墓をめざさんや
Ⅶ
巫医の手に少年の腸(わた)かがやけり
春荒土一本踊りの馬頭杖
冬墓苑土中ランプがぼんやりと
己が白骨数えて不足よもぎ原
歩みゆき寺火事の燠拝む母
天類や海に帰れば月日貝
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■