新年号ということもあり、巻頭には俳壇の超大物俳人が作品を寄せておられる。
四脚門くぐりて年の改まる
春聯を読む楽しさや廟詣
大台に乗りたる歳にお年玉
(後藤比奈夫「佛の日」)
われは秩父の皆野に育ち猪が好き
熊谷に猪の生肉食べに来よ
雪や降る花梨黄果を目がけて降る
(金子兜太「ふるさと秩父」)
後藤比奈夫(ひなお)氏は「ホトトギス」系の俳人だが「諷詠」を創刊し、現在は名誉主宰である。大正六年(一九一七年)生まれだからちょうど百歳だ。金子兜太(とうた)氏は「海程」主宰で大正八年(一九年)生まれの九十八歳。ちょっと前に『私はどうも死ぬ気がしない』という本をお出しになった。
お二人ともご高齢だが創作意欲は旺盛である。百歳近くになれば気力体力が衰えるのは当たり前だ。にも関わらず継続的に俳句を詠めるのは、俳句の作り方に無理がないからである。特に金子氏は若い頃は社会性俳句の旗手で、高柳重信と肩を並べる前衛俳人でもあった。しかし兜太氏の俳句は、前衛で思い起こされるような苦しげな作句法とは無縁だった。後先考えない前衛は続かない。それは今も昔も同じである。
俳句は短い表現である。論じ始めると長くなってしまうので結論だけ書くが、俳句は日本文化の真髄でもある。だから優れた俳句は一瞬で日本語の一部となって多くの日本人に共有される。芭蕉の「古池や」とか子規の「柿くへば」などみなそうである。だから俳人はしばしば、多くの人に愛誦されるような代表句一句あればいいと言う。それはまったく正しい姿勢だが、実際に俳句を書く人たちにはそれだけでは足りない。名句はそう簡単に生まれ出てはくれないからである。
俳人たちができれば名句・秀句を書きたいと望み、それがなかなか難しいなら、過去に優れた俳句を書いた作家たちに学ぶしかない。いわゆる作家論を考えることが、そのための一番効果的な道になる。芭蕉や蕪村、子規らの物故作家なら全集を読めばいいが、現存作家の場合は今現在までの作品を射程に入れなければならない。その場合でも過去作品を読み込んでおけば、ある作家の現在はうんと理解しやすくなるだろう。
たとえば金子兜太氏の「われは秩父の皆野に育ち猪が好き」一句を読んで、彼の俳句の特徴をきちんと理解できるだろうか。答えは言うまでもなく、できるといえばできるし、できないと言えばできないということになる。金子氏の俳業に関する知識があれば、彼の現在の立ち位置やその意図が理解できるということである。
俳句芸術は単純化して言えば、広いダーツの的の面に、俳句という矢を投げて突き刺してゆくようなものだ。人間が行うことだから、面いっぱいに満遍なく矢が突き刺さるということはまずない。必ず疎密ができる。その偏差が自ずから俳人の俳風を形成してゆくのである。その癖というか特徴を把握しておけば、現在進行形の俳人の作品を読んでも、その持続性や変化をある程度正確に理解できるようになる。
逆に言えば、未知の俳人の近作二十句や三十句を読んで、その俳人の特徴を捉えるのは難しいということになる。偏差を確認するには数が足りないのだ。少なくとも句集一冊は必要になるだろう。だから句誌ではある俳人の仕事を長い年月のスパンでまとめて紹介してゆく作業が必要になる。様々な俳人の長年に渡る作句活動の紹介が、自ずから俳句文学が目指すべき方向性を示唆してくれる。
愛ほしき嘘や秋刀魚の焦げ剝がす
朝寒の貝殻骨をぐいと引く
晴天や枯れたらきつと逢ひませう
(恩田侑布子「冬三日月」)
一月号には「日本の俳人100」のシリーズとして、恩田侑布子(ゆうこ)氏の句業が紹介されている。恩田氏は昭和三十一年(一九五六年)生まれである。俳壇のメインストリームを歩いてきた作家だとは言えないが、優れた俳人であり論客でもある。平成二十五年(二〇一三年)には評論集『余白の祭』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞しておられる。パリ日本文化会館の客員教授でもある。
特集には「冬三日月」の新作七句が掲載されている。動きのある句である。また「晴天や枯れたらきつと逢ひませう」は俳句ならではの艶っぽい作品だ。俳句は影のない「晴天」表現でなければならない。生臭くてはいけないのであり、「枯れ」ていることが必要だ。恩田氏がそういった俳句文学の特性を捉えている作家だということは、これも特集掲載の「『夢洗ひ』自選20句抄」を読めばよくわかる。『夢洗ひ』は平成二十八年(二〇一六年)に刊行された恩田氏の第四句集で、第67回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。
男来て出口を訊けり大枯野
ゆきゆきてなほ体内や雪女
(恩田侑布子「『夢洗ひ』自選20句抄」)
この二句は明らかに対句である。一面の枯れ野の中を男がやって来て、出口はどこかと訊く。それに対して女は見渡す限りの雪原を行く雪女であり、それは体内でもあると表現される。男女の性差やジェンダーは言い出せばきりがない。一人として同じ男も女もいないのである。だから男女の捉え方は作家ごとに異なる。そして恩田氏の男女認識は直観的に正しいだろう。男はいつだって寂しい荒野で出口を探す者であり、女は冷たい体内を彷徨している。こういった男女差表現は俳句文学では珍しく、難しくもある。
これも乱暴な言い方だが、俳句は本質的に男性的文学である。日本の歴史を辿れば明らかなように、俳句は禅の思想の浸透とともにその認識的発想基盤を与えられた。平安朝までの密教的精神風土が鎌倉中期頃から禅系のそれに変わり、室町に入って和歌の七七を切り落とす、残酷で客観的な俳句文学が生まれた。平安文学の繭の中でうっとりと夢想するような夢の架け橋は、俳句文学では本質的に失われている。
だから結社主催の女流俳人の多くは、一種のキャリアウーマンのように、本質的に男系社会である俳壇で、男に立ち交じって力強く活動している。もちろん女性性は失われることはない。しかしそれを俳句で表現することは意外と難しい。男女を問わず、俳句で恋やセックスを詠っても、どこか浮いてしまう。また女性の〝性〟に引き付けた俳句表現は、独自性を表現できるようで、意外と脆い。女流俳人の性的な俳句は、実質的に俳句文学の余技的アクセントとして扱われて来たのも確かだ。性差に関わらず、「古池や」などの、殺伐としているとも言える客観描写が俳句の王道であるのは変わらない。
恩田氏の俳句は女性ならではのものだと思うが、それは奇矯さを伴う性的表現ではない。その艶めかしさは俳句の王道に立脚しながら、それに女性性という新たな表現の厚みを加えている。ふてぶてしくも艶めかしい。
吊し柿こんな終わりもあるかしら
香水をしのびよる死の如くつけ
あめつちは一枚貝よ大昼寝
(同)
何事かを大きく素直に肯定しながら、無理なく枯れてゆくことを詠った句である。創作者は社会運動のフェミニストではなく、男性至上主義者でもあり得ない(個人としてはそうであってもいっこうに構わない)。男性、女性という性差の認識は時代時代によって微妙に変わってゆく。それを踏まえた上で表現に活かすのが創作者である。たとえば完全な男女平等を前提とした小説を書いても、つまらない作品しか生まれないだろう。人間関係に差異をつけなければ物語は活き活きしない。完全男女平等は社会思想としては成立し得ても、物語世界では重要なとっかかりを自ら手放すことになってしまう。恩田氏の性差をうまく取り入れながら、決して安易な〝性〟に流れない俳句は優れている。女性俳人の一つの理想的俳句像を示唆しているのではないかと思う。
優れた作家の仕事を検証することは、手取り足取りテニオハの技法を教えるよりも、ある文学ジャンルの理想像をつかむことに寄与する。もちろん〝誰を選ぶか〟は大問題である。詩の世界で言えば、「現代詩手帖」のように見識のない作家特集を組んでいれば、雑誌のプレステージはどんどん下がってゆく。ただ俳壇には優れた先人がたくさんいる。恵まれた文学ジャンルである。
岡野隆
■ 後藤比奈夫さんの本 ■
■ 金子兜太さんの本 ■
■ 恩田侑布子さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■